|
1、はじめに
今年(1999年)2月に、所沢産のホウレンソウが高濃度のダイオキシンに汚染されているとテレビ朝日で報道され、
所沢産の野菜の価格が暴落するという出来事があった。誤報なのか、作為はあったのかと報道姿勢が問題にされた。
テレビ朝日の社長が国会に参考人として呼ばれ事情を説明させられるという事態にまで発展した。しかし、環境ホルモン問題では、
これと類似する報道は普通に行われてきたのである。今回は公正でない報道や研究などを中心に考察した。どういう点が公正で
なかったかを多くの人に知ってもらっておけば、第二、第三の環境ホルモン的問題が発生するのを抑えるのに役立つのではないかと
期待して本稿をまとめた。
日本人男子の精子について講演会があった。充実した内容であったが、企業からの参加者が少なかったし、メディアも報道
しなかったので、紹介しておく。
2、NHKによる環境ホルモン報道
1997年11月にNHKスペシャル「生殖異変〜しのびよる環境ホルモン汚染」が放送されて、騒ぎが一気に広がった。
また、この続編が1998年10月に放送された。これらの番組を担当した村松氏が「生殖に何が起きているか」1)を執筆し、
取材の状況と氏の考えを詳しく説明している。このNHKスペシャルと村松氏の本の内容を中心にどう公正でなかったかを考察する。
NHKスペシャルをTV、氏の本を著書と略称する。
2.1 マダイのメス化
長崎大学の調査結果によるとオスに比べメスの数が多い、精巣に卵が存在する、すなわちタイがメス化しているとTV放送された。
天然マダイがメス化しているのだと思った。ところが、著書によれば養殖マダイであるという。天然と養殖では大変な違いだ。
メディアの報道には疑い深い私もすっかりだまされた。ビデオで確認したところ、「全国各地から取り寄せた100匹をこえる成熟
したタイが集められた。」とナレーションが入るだけで、天然とも養殖とも言っていない。画面でもどちらとも判定できる材料はなかった。
天然のタイとは言っていないのでウソを言ったことにはならない。しかし、野生生物の異常現象を説明していると視聴者は思っている
のだから、断りなしに養殖のタイを取り上げるのはおかしい。
養殖マダイにメス化が起こっているのは確からしい。次のとおり学会発表されている。養殖マダイでは、約180尾のうち20%に
雌雄同体魚が観察された。天然マダイではこのような現象は確認されなかった2)。
養殖マダイのメス化の原因として、有薗先生(長崎大)は餌の影響とメスの尿に含まれる女性ホルモンの2つをあげている。
狭い場所で飼育した場合、後者も原因となる可能性があるそうだ3)。養殖マダイ用飼料には最大30%の大豆油かすが配合
されている4)ので、これに含まれる植物エストロゲンが原因だと私は考えている。
天然のタイがメス化していたら問題のはずだが、他のメディアは取り上げなかった。なぜ報道しないのかなと思っていたら養殖の
タイだったのだ。養殖魚業への悪影響を懸念して報道を控えたのであろうか。なお、養殖魚ではメスが多いことが珍しいことでは
ないようだ。成長が早く飼料効率が良いなどの理由でメスが好まれることがあり、メス化させる技術が実用化されつつあるそうだ5,6)。
2.2 巻貝のインポセックス
バイやイボニシにインポセックスという生殖異常が生じており、これらの貝が絶滅の危機に瀕している。この異常に最近になって
気が付いたようにTV放送した。
さらに著書では、法規制によって有機スズの全面禁止を取らずに、行政指導という形で対応しようとした手ぬるさが問題だという
堀口先生(国立環境研)の意見を支持している。日本だけでなく、海外、特に東南アジアでの規制をしっかりやらない限りあまり意味
がないという。
この件は、すでに取り上げた7)。すなわち、10年前にわかっていた問題である。すでに規制もしている。
症状も回復に向かっていることが確認されている8, 9)。これらも報道しないと不必要に不安を煽ることになる。
また、10年前に直ちに法規制で全面禁止にすべきであったという堀口先生の意見には賛成できない。船底に貝が着かないように
防汚対策を取らねばならない。代替品の検討をする期間が必要である。日本の対応は間違っていなかったと考える。規制を検討するには
幅広い知見と高度な判断力が必要だ。特定分野の専門家の仕事ではない。堀口先生には、日本の海を外国船舶に汚されないように環境庁
を通じて外国政府に働きかけること、および、外国、特に韓国、東南アジアの国の研究者と連携し、それぞれの国の実態把握をし、
使用量削減への動きを起こすことをお願いしたい 。
2.3 アポプカ湖のワニ
米国アポプカ湖の雄ワニのペニスが小さいのはDDTが原因である。近くの農場で使用した農薬DDTが流れ込んだのが原因と
放送された。
そういう見方もあるのだろうが、一般には、近くの農薬会社の事故で大量の農薬がアポプカ湖に流れ込んだのが原因だと解釈
されている10,11)。特殊な事件でなく、普遍的なことが原因である。アポプカ湖だけでなくどこでも起こっていることと
思わせたい。そのために少数派の意見だけを採り上げたのだ。
2.4 英国のローチのメス化
英国イングランド地方で1980年代からローチという魚にメス化が観察される。羊毛工場で使われる洗剤の分解生成物である
ノニルフェノール(NP)が原因であるとTV放送された。
英国環境庁は、全国的にみれば主たる原因は尿中の女性ホルモンであると結論していることを全く紹介していない。
著書でもそのことの説明が不十分である。これはNPや合成化学物質が問題であると思わせるためであろう。
2.5 多摩川のコイのメス化
日本でも同様の現象が生じていると、多摩川のコイ研究グループの活動状況を紹介している。NPが検出された。
しかし、NP濃度はそれだけでメス化を起こすには十分でない。どの化合物が原因かわからない。かえって不気味さが残ると
TV放送された。
尿中女性ホルモンも原因になりうることに触れていない7)。コイを捕獲した場 所は多摩川本流ではなく、
下水処理水の放流水であることを説明していない。こ のため合成化学品だけが原因と疑われた。
また、村松氏は著書で「工業界は女性ホルモンが原因だと主張している。仮にそれが原因であるとしてもそれを除去する技術を
考えるのは工業界の責任だ」と述べている。
しかし、対策を考えるためには原因をはっきりさせねばならない。NHKのやり方は原因究明を遅らせ、余分な研究費を使わせるものだ。著書の中 ではこの部分の言い訳が最も出来が悪い。
2.6 歯の充填剤とビスフェノールA
歯に詰める樹脂にビスフェノールA(BPA)が原料として使われているものがある。常に樹脂が口の中に存在することになる。
この樹脂を使って治療した18人の唾液を調べた。全員から高濃度のBPAが検出されたと放送した。
こんな放送では、常時高濃度で検出されるように受け取られてしまう。放送のもとになった研究報告12)には、
樹脂を充填した直後1時間の唾液をとって分析したこと、未重合の充填剤は24時間以内にほとんど溶出してしまうことが記載されている。
このことも説明すべきだ。また溶出量は90〜931μgと報告されている。
しかし、他の研究者が同じブランドの商品を含む7製品について再現試験したところ、BPAは検出されず(1歯当たり0.25μg以下)、
先の報告を疑問としている13)。
以下はNHKスペシャル続編と村松氏の著書についての考察である。
2.7 ビスフェノールAの溶出許容量
食品衛生法はBPAの溶出許容量を2.5ppmと定めている。しかし、この許容量は急性毒性や発がん性など旧来の毒性に基づいた
ものであって、環境ホルモン作用については全く考慮されていないと著書にある。
村松氏に限らず、環境ホルモンを問題にする人はこう言うが、それは間違いだ。環境ホルモン作用の影響を検査するのに最も適した
試験は生殖毒性試験である。
BPAの溶出許容量は、生殖毒性試験を実施したうえで決定しているのでホルモン作用を考慮済みだ7)。
2.8 へその緒から環境ホルモン検出
へその緒からPCB、DDTだけでなく、BPAとNPも検出されたと大変危険であるかのように放送された。
脂溶性物質は血液・胎盤関門を通り抜けやすい14)。消化管から吸収されるぐら いの脂溶性をもつ化学物質はみな胎盤を
通過するという15)。
だからBPAもへそ の緒から検出されるのだろう。生殖毒性試験はこういう点も含めて総合的に影響を検査している。
その結果も使ってBPAの許容摂取量を決めている。
ところで、森先生(京大)らがNHKにだけこの研究の中間結果を教えたのは国の予算を私物化したものでルール違反と考える。
研究者のルール違反を誘う、いき過ぎた取材は止めるべきだ。
2.9 ビスフェノールA及びDESの低用量試験
きわめて微量でも作用を示すという低用量効果は、すくなくともビスフェノールAとDESについては起こることが確認されている
と書いてある。
この試験結果は実質的に否定されていることを前報16)に詳しく説明した。
2.10 精巣重量と体重の比
1968年から1993年までの25年間に、東京都監察医務院で行った遺体の解剖結果を用いて次のように考察している。
この間体格は向上し続けているが、精巣(睾丸)の重さは1983年以降変わらない。体重に対する相対重量は低下している。
これが人間の生殖異変の動かぬ証拠であると主張している。
この件に関しては竹内久美子氏のように楽しく空想すればいい話と思う。仮に日本人の精巣の相対重量が低下しているとしたら、
その原因はなにか各自考えてみよう。私の空想結果は次のとおりである。
イ)かつて環境ホルモンに曝露されたため。1970年までは曝露量が増加した。その頃までに生まれた人に影響が出ている。
ロ)環境ホルモンの曝露量が1970年から低下したから7)。そのため精巣の性能が 向上し、小型でよくなった。
ハ)日本人がより道徳的になった。メスを獲得する競争に熱心な(霊長類)種ほど精巣が発達し、精巣の相対重量が大きくなる
17,18)。
ニ)人口が増えすぎたことによる自己調節。一定の広さの領域に棲むネズミの個体数が増加すると精巣重量が減って、生殖活動が
抑制されるという試験結果がある19)。
ホ)栄養状態が良くなったため。肥料をやりすぎると葉ばかり繁って、花は咲かないのと同じ。
へ)女性の高学歴化と社会進出が普通になったことにより、男性が萎縮した。
2.11 精子濃度の経年変化
以下は、NHKと解説を担当された香山先生(自治医大)に宛てた私の手紙(1998年 5月29日付)の一部である。
「5月26日のクローズアップ現代を拝見しました。(中略)一点だけフェヤーでないと感じたところがありましたので、
注意喚起したいと思います。精子濃度の正常値は1億/mLである。20年前の昭和大 学の調査では1億だった。最近の帝京大学の
調査では 4,200万(青年)と6,700万 (中年)だった。よって精子濃度は減少しているという内容でした。そのとおりなのでしょうが、
20年前に行った札幌医大の調査では 7,100万となっています。減っていると思わせるために札幌医大の調査を無視したと思われても
仕方ないでしょう。」
報道に納得いかないところがあれば都度抗議すると決心し、最初に実行したのがこれである。しかし、抗議をするのは多大の
エネルギーが必要で、その割には効果に乏しいと思い、これ一回きりになってしまった。
3、新聞報道の問題点
私のこれまでの論文7,31)は新聞報道の誤解を正すために書いたようなものである。要点は次のとおりであった。
PCBやダイオキシンとBPAやフタル酸エステルなどを同じにしないこと。日本での化学物質による環境汚染は改善されてきている。
日本には欧米のようにPCBなどで高濃度に汚染された地域はなく、これらによる野生生物による異常は報告されていない。
BPAなどの安全性は生殖 毒性試験をして確認されている。食物にも多量の女性ホルモン様物質が含まれていることも説明すべきである。
ここでは次の3点を追加しておく。
3.1 繰り返し使用時の溶出量
1998年 2月24日の朝日新聞は、プラ容器から環境ホルモンが溶出したため、環境庁はポリカーボネート製リターナブルボトルを
使用するモデル事業を中止したという趣旨の記事を掲載した。これには「熱湯、油、アルコール、酢を入れて容器の成分が
溶け出さないかどうかを調べる試験で、(中略)BPAが溶けだしていることがわかった。最初は試験に使った8本のうち1本から
しか検出されなかったが、50回、100回と洗浄を繰り返すうちに8本すべてから検出されるようになった。
溶出濃度は最大で 0.18ppmなので、」と記載されている。
真実は次のとおりである。朝日新聞に記載されている熱湯などの条件では溶出濃度はほぼ全品とも検出限界(0.005ppm)以下である。
繰り返し洗浄するとBPAが検出されるようになったのは、熱苛性ソーダ水溶液を用いて強制的に劣化させるという新聞に書いていない
洗浄条件でのことだ。この条件は樹脂が劣化したときの状況を知るために実施したもので、50回、100回と洗浄すれば樹脂は完全に
白化し、使用する気にならなくなる。それほど劣化した容器でも、溶出濃度は最大0.18ppmで許容濃度2.5ppmより低く安全であることを
確認したのである。 また、環境庁はこの事業を中止してもいない20,21)。
取材を受けた環境庁の室長は発言内容が正しく記載されていないと新聞社に抗議してくれたそうだ。しかし、訂正記事は出なかった。
私はポリカ樹脂関係者から聞いていきさつを知ったが、一般の人は新聞記事以外はわからない。そして、環境ホルモン本は今もこの記事
を引用し続けている22)。学校給食用食器にポリカ 樹脂を使用するのを避ける動きが広がったのは、この記事の影響が
大きかった。
3.2 母乳中ダイオキシン濃度の推移
大阪府立公衆衛生研究所が凍結保存してある母乳を使用して、過去の母乳中のダイオキシン濃度を測定した結果が、1998年4月7日に
厚生省から発表された23)。 過去25年間にダイオキシン濃度は半減している。コプラナPCB濃度は1/4になっている
という内容である。この調査はダイオキシンに関する多くの研究の中で最も価値あるものと私は評価している。昔よりも汚染度が低下
していることほど人々を安心させることはないからだ。しかし、翌日の朝刊でこれを報道したのは東京地域の新聞6紙のうち朝日と東京
だけであった。両紙とも目立つ扱いではなかったし、ダイオキシンは危険だという圧倒的多量の報道の前にかき消されて、ダイオキシン
汚染が改善されていることに気づいた人は少ない。
3.3 相乗効果?
「微量でも生殖に害。複数で相乗作用」という見出しで、1998年4月2日の毎日新聞の一面トップを飾った。PCBとトリブチルスズ
をヒラメに同時に投与すると、単独の場合より毒性が強くなるという研究を紹介している。
この記事のもととなった学会発表要旨24)でもその後発表された研究報告書25) でも複合効果を調べたと
あるだけで相乗効果があったとは書いていない。試験結果からも相乗効果かどうか判断できない。それにしても一面トップ記事とは
大げさだ。
3.4 問題ないという報道はしない
1998年12月に日本内分泌攪乱化学物質学会の第1回研究発表会があった。これに先立ち、研究報告の一部が新聞報道された。
研究発表の中には問題があるというのもあれば、ないというのもあるのだが、BPAを中心に毒性があるとか溶出したとか問題だと
いう趣旨のものだけが紹介された。
メディアの報道姿勢としては当然かもしれないし、それが正しいという見方もあろう。しかし、新聞しか読まない人はBPAは
危険な物質であると受け取ってしまう。どこかおかしい。
4、疑惑の試験(多摩川のコイのメス化)
環境ホルモン問題の中で私が最も関心を持っているのはこれである。理由は2つある。環境ホルモン問題はPCBやダイオキシン
などのPOPs(Persistent Orgnic Polutants)に関する問題であり、日本では一応の対応は済んでいると私は考えている。
唯一対応がとれていないのが多摩川のコイのメス化である。もう一つの理由は、研究者や行政機関が尿中のホルモンも関与している
可能性があることを隠し続けてきたからである。それは、合成化学品の印象を悪くし、国民の不安を煽るためだと私は疑っている。
この問題がどう取り上げられたか経緯を追ってみる。これから日本の環境関係の一部研究者や行政は公正でないか、あるいは
情報収集力か研究センスが劣っていることがわかる。
<1996年>
11月 英国環境庁が河川での魚のメス化は尿からの天然ホルモンが主たる原因であることを発表した26)。
欧米のメディアがこれを報道した。この問題に関心のある人ならこの時点で容易に知り得たはずである。
12月 Science誌が原因は尿中の女性ホルモンであることを紹介した27)。
<1997年>
2月 日本化学物質安全・情報センター発行の情報誌2月号及び4月号で女性ホルモンが主原因であるとのECN誌28)と
Science誌の記事を紹介。
7月 環境庁の研究班が中間報告書を発表29)。尿中の女性ホルモンには触れてい ない。
7月 井口先生(横浜市大)らが多摩川でコイの調査を始める。
11月 NHKスペシャルでコイのメス化として放映される。尿中ホルモンの説明なし。
<1998年>
2月 「メス化する自然」の日本語版が出版される30)。
原英文にはメス化の原因は人口の多い地域では主として尿中ホルモンであると記載されているが、
日本語版ではあやふやな表現に改訳されている。(改訳状況については後述する)
3月 西川が尿中のホルモンが原因である可能性が高いことを指摘31)。
4月 井口先生、中村先生(帝京大)が水産学会で報告するも尿中ホルモンについては触れず32)。
4月 日本化学工業協会が「環境ホルモンについてのQ&A」を発行33)。
尿中のホルモンが主たる原因である可能性が高いことを説明。
5月 環境庁が「環境ホルモン戦略計画 SPEED'98」を発表。
この発表以降、次の表がいたるところで引用され、NPと合成化学品のイメージを損なうことに利用されることとなった。
表1 野生生物への影響に関する報告
| 生物 |
場所 |
影響 |
推定される原因物質 |
ニジマス ローチ |
英国の河川 英国の河川 |
雌性化、個体数の減少 雌雄同体化 |
ノニルフェノール *断定されず ノニルフェノール *断定されず |
6月 日本化学工業協会がSPEED'98に関して環境庁に抗議する。
尿中ホルモンについて何も記載なく、ノニルフェノールだけが犯人扱いされているのはおかしい旨の抗議。
6月 松井先生(京大)が日本の都市下水処理水でも女性ホルモンが高濃度で検出される旨(学者として最初に)講演会で
説明34)。
7月 建設省、環境庁が水環境の調査計画を発表。尿中のホルモンも測定物質の一つに加えられた。松井先生が建設省の委員を
されているからであろう。
9月 鈴木先生(日本内分泌攪乱化学物質学会会長)が講演会で尿中ホルモンが主原因である可能性が高い旨(学者として2番目に)
説明35)。
10月 建設省が河川中の濃度測定結果を発表。尿中ホルモンの寄与率が断然高いことが判明36)。
12月 環境庁が水環境中の濃度測定結果を発表。東京地区での新聞6紙とも環境ホルモン汚染として記事にしたが、
尿中ホルモンも検出されたことを取り上げたのは毎日新聞のみ。
<1999年>
1月 森田先生(国立環境研)37)、吉田課長(環境庁)38)がまだ表1を使用する。
尿中ホルモンの説明せず。
「メス化する自然」の改訳について
日本語版では次の表現になっている。「オスの魚のビテロゲニン産生に関する最近の研究によれば、イングランド南東部の
極端に汚染された地域では、女性の体内から排出される天然の女性ホルモンである 17β-エストラジオールとエストロンが、
川の水の中のエストロゲン様物質のカクテルに、大いに貢献していることが明らかになった。
これらの女性ホルモンは、無力化された形で女性の体内から排出されるが、下水処理施設で酵素の働きにより何らかの仕組みによって
再活性される。極端に汚染された地域ではこれらの化学物質は川魚に見られる変化を起こす主な要因であると
考えられた。」
下線部をひいたところは原英文では次のとおりである。前者は「人口の多い地域(heavily populated areas)では」で、
後者は「人口の多い地域では下水処理水に存在する天然ホルモンが川魚に見られる変化を起こすカクテルの主要成分であり、
工業地域では川に放流される各種化学物質のカクテルが野生の魚に見られる変化の主な要因と考えられる。」である39)。
原英文のまま訳したのでは、多摩川はまさに人口の多い地域にあり天然ホルモンが原因と思われてしまうので都合が悪い。
英国の極端に汚染された地域では天然ホルモンが原因であっても、多摩川はきれいであるから天然ホルモンが原因ではないと
思わせるために、井口先生が改訳させたのであろう。この本は井口先生が監訳されている。単に名前を貸しただけでないことは、
12頁にわたって解説していることからわかる。
5、日本人男性の精子濃度
5.1 精子濃度の調査結果
1999年2月15日に行われた日本内分泌攪乱化学物質学会の講演会で、5つの研究グループから精子調査結果の発表があった。
表ー2に要約する。
表ー2 日本人男性の精子調査結果40)

各報告の結論及び注釈
<札幌医大>
・20年前と比較して精子濃度は減少していない。
・両時点の調査とも対象者の年齢は18才〜36才であるが、年齢の高低による精子濃度の差は認められない。
・以上から、精子濃度は減少傾向にないと結論している。
<東邦大学>
・10年前に比較して精子濃度は減少していない。ただし、精子運動率は低下している。
<聖マリアンナ医科大学>
・若年者の方が精子濃度が低いという傾向は見られない。
・100人までの中間報告では平均濃度は82.6x106/mLであったので、追加の155人分 だけの平均濃度は124x106/mLということになる。
・妊娠させたことのある男性についての調査である点が他の調査対象と異なる。
・厚生省の委託を受けた国際プロジェクトの一環として実施している。
<帝京大学>
・精子運動率の低さは異常である、測定条件がおかしいのではないかと他の研究者から質問あり。
・中間報告は表ー3のとおりであった。これが、若年者の方が精子濃度が低い、環境ホルモンの影響かもしれないとメディアに取り上げられた。
表ー3 年齢別の精子濃度
|
平均年齢 |
人数 |
精子濃度 (x106/mL) |
若年群 中年群 平均 |
22.6 42.4 31.9 |
50 44 94 |
45.8 78.0 60.9
|
・中間報告から今回報告までの追加調査者54人の平均精子濃度は145x106/mLという計算になる。はじめの94人の平均は
60.9x106で、次の54人の平均は145x106である。精子濃度の測定ではこの程度のバラツキがでるものなのだ。
5.2 精子数算定の難しさについて
熊本先生(札幌医大)と岩本先生(聖マリアンナ医大)は次のように解説している。
・最も大きな問題点は、精子数算定の難しさである。そのばらつきがきわめて大きい。2つの群間の平均精子数の差を論ずるには、
検査対象が同じ条件のものを選び、しかもかなりな多数例で比較しない限り無理である。
・同一人でも5x106〜180x106/mLの変動がある。(WHOの報告書による)
・聖マリアンナ医大にくらべある分院での対象者は精子濃度が50%近く高い。精子採取場所が聖マリアンナ医大ではトイレ、
分院ではピンクのカーテン付きベッドという雰囲気の差が原因らしいという。
・同一人でも1回目、2、3、4回目と検査する度に濃度が高くなる傾向がある。
採取慣れによって高くなるらしい。
5.3 精子濃度に関する私の感想
・札幌医大、聖マリアンナ医大の調査結果から考えて、日本人の精子濃度は減少していないように思う。
・日本人の精子濃度は欧米人の平均的な値と差がないようである。日本人は大豆の摂取量が多いので植物エストロゲンの影響を
受けて精子濃度は低いはずだという説があるが、影響なさそうだ。
・札幌医大は札幌市住民、他は主に東京周辺住民が対象である。札幌市の方が気温が低いので精子数は多いのではないかと思ったが、地域差はみられない。
・仮に化学物質による精子濃度への影響があったとしても、その影響よりも他の変動要因の影響の方がずっと大きいので、検討しようがないと思う。
5.4 精子に関する動物試験などのまとめ
精子に関する試験結果などを整理しておく。これから精子問題は騒がれるようなことではないことがわかる。
5.4.1 DESの事例16)
ジエチルスチルベストロール(DES)の事例をもって化学物質が原因で精子が減少する可能性があるかのように言うのは間違いだ。DESを多量に服用した妊婦から生まれた男子は精子数が20%少なかったという報告はある。しかし、服用量が少なかった妊婦から生まれた男子は全く影響がなかったと報告されている。
DESのホルモン作用の強さを考慮すると、一般化学物質では多量に摂取したとしても女性ホルモン様作用が原因で精子数が減少するなどあり得ない。
5.4.2 動物試験結果7,30)
ビスフェノールAやノニルフェノールについては、すでに生殖毒性試験を実施済みである。ビスフェノールAでは被験物質投与に伴う精子分析結果への影響はみられなかった。ノニルフェノールでは高用量では精子濃度が10%低下したという結果があるが、その投与量では明らかに一般毒性が出ている。一般毒性が出ないように許容摂取量を設定しておけば問題ない。
5.4.3 低用量での影響7,16)
環境ホルモンは従来の常識では考えられないような低用量でも精巣重量が低下したという試験報告がある。しかし、ビスフェノールAについては3つの独立した研究グループの試験によって否定されている。オクチルフェノールについても報告者自身による再実験で否定された。
5.4.4 PCB、DDT、ダイオキシン7)
これらの物質の作用・影響については私は検討していない。しかし、日本ではPCBやダイオキシンによる汚染はこの25年間改善されいる。これらの物質が原因で精子が減少したとしたら、これから成人してくる男子は、汚染度が低下してから生まれたので、精子数が増加してくることになる。
6、おわりに
所沢産ホウレンソウのダイオキシン報道については参考になるところが多かった。第1の特徴はメディア対メディアの論争と
なったので争点が明確になったことだ。精子の場合でも5研究グループが一同に会して発表したので、どの研究グループの測定が
確からしいかがわかる。同じレベルの人たちでの議論が大切だと感じた。環境ホルモンではすべてのメディアが同じ論調であるし、
問題視する研究者の発言しかメディアは取り上げないのが普通である。これまでは論争がなかった。それが問題だ。
農業には同情が集まる。政治家の支援も期待できる。一方、化学工業に対しては問題点を指摘することが文化人である証拠と
思っている人が多い。
情報公開が大切とか、国は安全基準を設定するべきとか言われた。しかし、ポリカーボネート樹脂から溶出するビスフェノールA
の例では、厚生省が定めた安全基準があって、溶出量はその基準の千分の1に過ぎない。それでも問題にされるのだ。
所沢JAが測定結果を公表しなかったことを責められない。
NHKスペシャル「生殖異変」が、放送文化基金賞ドキュメンタリー部門の一等賞と科学技術映像祭の内閣総理大臣賞を受賞
したという1)。これは納得いかない。大きな話題を呼び、社会を動かしたのは確かだ。しかし、そのための手段に問題が
あったからだ。メディアの報道がどの程度までの偏向が許容されるか。NHKスペシャルが許容範囲内であったとしても表彰の対象
からははずすべきだ。
私は、TV番組の中でNHKスペシャルシリーズを最も高く評価していた。しかし、「生殖異変」がこのような賞を得たということは、他のテーマのときはもっとひどい番組作りをしているということになりはしないか。そんな番組を見て私は感動していたのか。
農業や水産業は被害者だから報道の仕方に配慮が必要だ。化学製品は加害者だから、安全のための警告なのだから、何をしてもかまわないと思っているのだろ うか。化学製品も報道による被害者なのである。本当に加害者扱いして間違いないのか、必要な警告なのかを十分吟味してから報道してほしい。それに、報道によって過大な不安を国民に与えるマイナスをどう考えるのか。環境ホルモン問題のような偏向した報道や一部の公正でない研究が今後されないようにするにはどうすればよいか。まずはそういう事実があったことを指摘することが出発点だ。そう思って私は本稿を書いた。
なお、本稿は私個人の見解を述べたもので、特定の団体の意見を述べたものではないことをお断りしておく。
引用文献
1)村松秀「生殖に何が起きているか」日本放送出版協会(1998)
2)征矢野清ら、日本内分泌攪乱化学物質学会 第一回研究発表会要旨集 p57
(1998)
3)TRIGGER 99年 2月号,p12-14(1999)
4)日本水産学会監修「新しい養魚飼料」p90-91 恒星社厚生閣(1994)
5)平成10年度第1回水産増殖懇話会講演会 講演要旨 p1-9(1998)
6)渡辺直樹、コイ全雌生産実用化試験報告書 (1997)
7)西川洋三、アロマティックス,50(9/10),348-362(1998)
8)水口憲哉ら、平成10年度日本水産学会春季学会の要旨集 No.845-849(1998)
9)中野大三郎ら、内分泌攪乱化学物質学会 第一回研究発表会要旨集 p47(1998)
10)シーア・コルボーンら、「奪われし未来」 翔泳社(1997)
11)USEPA,Special Report on Environmental Endocrine Disruption(1997)
12)N.Olea,et al.,Environ.Health Perspect 104(3),298-305(1996)
13)A.Humid,W.R.Hume,Dental Materials 13,98-102(1997)
14)福田英臣ら監訳「トキシコロジー」p223 同文書院(1988)
15)加藤隆一「臨床薬物動態学 改訂第2版」p38 南江堂(1998)
16)西川洋三、アロマティックス,51(3/4),118-127(1999)
17)竹内久美子「男と女の進化論」p143-158,新潮社(1990)
18)竹内久美子「BC!な話」p115-126 新潮社(1997)
19)伊藤真次「学問のモラルと独創性」p138(1999)
20)食品衛生調査会毒性・器具容器包装合同部会議事録(1998年3月)
21)奮橋章、プラスティックス,49(11),44-50(1998)
22)厚生省母子保健課「母乳中のダイオキシン濃度」中間報告(1998)
23)佐藤淳「環境ホルモンのしくみ」p69 日本実業出版社(1999)
24)大島雄治、平成10年度日本水産学会春季学会の要旨集 No.285(1998)
25)大島雄治ら、環境毒性学雑誌,1(1),26-35(1998)
26)UKEA,R&D Technical Summary P38,November(1996)
27)Science 274,p1837,Dec.13(1996)
28)ECN,p48.Nov.18-24(1996)
29)環境庁リスク対策検討会監修「環境ホルモン」p33,環境新聞社(1997)
30)デボラ・キャドバリー「メス化する自然」p246 集英社(1998)
31)西川洋三、アロマティックス,50(3/4),110-126(1998)
32)中村将ら、平成10年度日本水産学会春季学会の要旨集 p67,282(1998)
33)日本化学工業協会「環境ホルモンについてのQ&A」p7 (1998)
34)松井三郎、環境技術、27(9),665-675(1998)
35)鈴木継美、EAJ Imformation No.80,p1-21(1998)
36)西川洋三、アロマティックス、51(1/2),36-44(1999)
37)森田昌敏、第14回環境工学連合会講演会講演集 p37-40 (1999)
38)吉田徳久、用水と廃水、41(1),7-12(1999)
39)D.Cadbury,The Feminization of Nature,p183 Hamish Hamilton Ltd(1997)
40)日本内分泌攪乱化学物質学会 第二回講演会テキスト p30-50(1999)
|