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1、はじめに
日本政府は平成10年度に127億円の予算を計上して、環境ホルモン問題の解明にあたることとなった。これからこの予算を使った研究や調査の結果が発表されてくる。それを生かすことが大切だ。しかし、水環境中濃度の測定結果は、その評価が十分になされないまま、公表されることになりがちである。そして「環境ホルモンによる汚染が拡大している」と報道されることになる。ついては、水環境中濃度に問題あるのか、ないのかわかるように、測定対象物質の生態毒性データをまとめ、評価方法について検討したので説明する。また、これを使って、建設省1)及び環境庁2)が測定した水環境中濃度を評価した。前報3)で多摩川では尿中の女性ホルモンの寄与率が圧倒的に大きいはずであると書いたが、建設省の測定結果は私の推定が正しかったことを示している。
2、測定対象物質の生態毒性
2.1 測定対象物質
建設省と環境庁が水環境調査の対象としているものから次の物質を取り上げた。
括弧内は本稿での略号である。17β-エストラジオール(E2)、ノニルフェノール(NP)、4-t-オクチルフェノール(PTOP)、4-t-ブチルフェノール(PTBP)、ビスフェノールA(BPA)、フタル酸ジエチルヘキシル(DEHP)、フタル酸ジ-n-ブチル(DBP)、フタル酸ジエチル(DEP)、フタル酸ブチルベンジル(BBP)、アジピン酸ジエチルヘキシル(DEHA)、スチレンモノマー(ST)、4-ニトロトルエン(4-NT)、2,4-ジクロロフェノール(24DCP)、ベンゾフェノン(BZPH)の計14物質である。
次の物質は、水環境調査の対象になっているが、ほとんど使われていないし、検出もされていないので取り上げなかった。4-n-オクチルフェノール、4-n-アルキル(c=5,6,7)フェノール、フタル酸ジシクロヘキシル、フタル酸ジヘキシル、フタル酸ジペンチル、フタル酸ジプロピル、n-ブチルベンゼン、臭化ビフェニル、スチレン2,3量体、オクタクロロスチレン、ベンゾ(a)ピレン。
2.2 測定対象物質の生態毒性まとめ
これら14物質の生態毒性データを表1、表2にまとめた。また、女性ホルモン様作用についての試験結果を表3にまとめた。
表2、表3から生態毒性に対する閾値を表4のとおり推定した。この閾値は、魚、ミジンコ、藻類に対する慢性毒性の最大許容濃度(MATC:Maximum Allowable Toxic Concentration)のうち一番厳しい値に相当するものとして決めた。個々の物質についての閾値の根拠は5項に説明している。
3、水環境調査結果の評価
1998年10月16日に建設省が「水環境における内分泌攪乱化学物質に関する実態調査結果(前期調査)」を発表した1)。基本調査対象物質については全国 256地点での測定結果、追加調査対象物質については5地点での測定結果である。この結果と私の推定した生態毒性に対する閾値を比較して表5に示す。環境庁も「水環境中の内分泌攪乱化学物質実態概況調査(夏季)結果速報」を1998年12月7日に発表した2)。このうち河川での100地点と湖沼5地点の測定値について同様に表6にまとめた。また、環境庁が長年行っているモニタリング結果8)を使っての比較を表7に示した。生態毒性の閾値を測定結果で割った値を余裕度とした。余裕度が大きいほど安全であることになる。
建設省の調査は1級河川が対象で、環境庁は2級河川が主たる対象になっているという差がある。環境庁調査の方がやや濃度が高い傾向があるようだ。中央値ではほとんど両者の差はないが、環境庁測定には高濃度の地点が幾つかみられる。濃度の高い地点は2級河川に多い。2級河川では水量が少ないので局地的にまたは一時的に高濃度になりやすいのであろう。
個々の物質についての評価結果を以下に説明する。
3.1 尿中の女性ホルモン
建設省測定結果では、人畜の尿由来の女性ホルモンである17β-エストラジオール(E2)は、生態毒性の閾値 0.01μg/Lを超えている地点が256ヶ所中12ヶ所ある。この濃度では雄のニジマスに対してビテロゲニンを誘導する。日本の雄コイに対する試験結果はまだ報告されていない。17β-エストラジオール濃度が最も高いのは多摩川である。表8のとおり3地点すべて 0.01μg/Lを超えている。次に高いのは霞ヶ浦水系で8地点中6地点で 0.01μg/Lを超えている。多摩川での濃度が高いのは水量の80%が家庭下水の処理水であることによるのであろう。霞ヶ浦は人よりも養豚業の寄与が大きいらしい9)。
環境庁測定結果では、0.01μg/Lを超えている地点は105ヶ所中11ヶ所である。多摩川や霞ヶ浦では測定していない。
いずれの測定結果にしろ、女性ホルモン様作用に関するかぎり尿中の女性ホルモンの寄与率が圧倒的に大きいと考えられる。
3.2 ノニルフェノール、オクチルフェノール
合成化学物質で最も余裕度の少ないのはノニルフェノール(NP)である。測定結果の(濃度の低い方からの)95%値で余裕度は、建設省測定で20、環境庁測定で4.8である。引き続き調査していくことが望ましい。
オクチルフェノールの濃度はノニルフェノールの1/10程度である。界面活性剤原料としての使用量が、オクチルフェノールはノニルフェノールの1/10程度ということであろう。
なお、前報3)で、多摩川ではノニルフェノールは尿中女性ホルモンの寄与率の50分の1にすぎないと書いたが、今回の建設省の測定結果は表8のとおりで私の推定が正しかったことを示している。
3.3 他の物質
検討対象とした合成化学物質のうち、ノニルフェノール、オクチルフェノール以外の物質は、今回の建設省、環境庁の測定結果でみる限り余裕度は十分あると判断される。95%値の余裕度が100〜1,000の物質はフタル酸ジエチルヘキシル、フタル酸ジ-n-ブチル、余裕度が1,000以上の物質はフタル酸ブチルベンジル、ベンゾフェノン、スチレンモノマー、2,4-ジクロロフェノール、ビスフェノールA、4-t-ブチルフェノール、4-ニトロトルエン、フタル酸ジエチルである。アジピン酸ジエチルヘキシルは建設省調査では前者、環境庁調査では後者に分類される。
3.4 下水処理場での除去率
下水処理場への流入水と流出水中の濃度を、多摩川4ヶ所、淀川6ヶ所の計10ヶ所の下水処理場で測定している1)。流入水中の17β-エストラジオールの濃度は0.026〜0.056μg/Lでほぼ同じ濃度であるが、流出水中の濃度は0.0032〜0.055μg/Lと差が大きいことが注意を引く。下水処理場での除去率は、測定値のある5物質のなかでは17β-エストラジオールが一番低い。一般には天然化学物質は分解しやすいと思われているようであるが、事実は逆となっている。エストラジオールはステロイド骨格を持っているので分解しにくいのであろう。分解されるよりも汚泥に吸着されて除去される割合が高いらしい9)。下水処理場によって除去率に大きな差があるので、工夫すれば除去率を高くできるのかもしれない。
4、生態毒性データの見方
4.1 水への溶解度
水への溶解度は環境への影響を考えるにあたってきわめて重要な物性である。溶解度の小さいものほど、生分解性が悪く、濃縮性が高く、水生生物への毒性が強い傾向にある。
高分子量のフタル酸エステルの水への溶解度は1mg/L以下となり、正確な測定は難しいようで報告者によって大きな差がある。ここでは C.A.Staples のレビューの値を採用している10)。
4.2 分配係数
生体内での代謝、分解の受けやすさを別にすれば、この数値が大きいほど濃縮性が高くなる。水に溶けにくいものほど分配係数は高くなる。
4.3 生分解性
表1では化審法条件での分解率を示した11)。表1の括弧内は活性汚泥処理での分解率を示す。活性汚泥処理する場合は、その化学物質に馴化されているので分解されやすくなる。
4.4 濃縮性
濃縮倍率(BCF)は(魚体中の化学物質濃度)/(水中の化学物質濃度)で定義される。化審法では濃縮倍率が 1,000以下なら問題ないと判断されるようである。
フタル酸ジエチルヘキシル や アジピン酸ジエチルヘキシル の濃縮倍率は分配係数からの推定値にくらべてずっと小さい。これは魚体中で速やかに代謝され水溶性の高い化合物に変化するためである。甲殻類では代謝系が魚類ほど発達していないので濃縮倍率はやや高くなる10,12)。
フィールド(河川)での濃縮倍率は、魚はプランクトンを食べるという食物連鎖の影響もあるから、水槽の試験で求めた濃縮倍率より高くなるのではないか。こういう疑問が浮かんだ。以下はそうはならないという私なりの回答である。
水生生物による化学物質の濃縮は(イ)水中に溶存する化学物質が鰓から取り込まれる経路と(ロ)餌中の化学物質を消化管から摂取する経路に大きく区分される。魚類は酸素呼吸のため鰓の表面積が大きくて多量の水が通過するため、水環境から化学物質が極めて効率よく取り込まれる。したがって、一般に水環境からの直接取り込みの方が食物連鎖によるものより重要である13)。通常、食物連鎖が問題になるのは、オクタノール/水分配係数の対数値が 4.5 を超える場合のみであるとの報告もある14)。
4.5 急性毒性15,16)
急性毒性も慢性毒性も淡水生物についてのデータを採用している。
1)魚類を用いた急性致死試験
96h LC50:96時間の試験期間に魚の半数が死亡する濃度。
2)ミジンコを用いた急性遊泳阻害試験
48h EC50:48時間の試験期間にミジンコの50%に遊泳阻害をおこさせる濃度。
3)藻類生長阻害試験
48h EC50:48時間の試験期間に試験に用いた藻類の生長率を50%阻害する濃度。
4.6 慢性毒性15,16)
特に断らない限り次の試験結果を示している。
1)魚類の初期生活段階(Early Life Stage)毒性試験
受精卵の時期から自由に餌を摂取できる稚魚になるまで試験する。試験期間は、試験する魚によっても変わるが普通30〜40日である。対照群と死亡率、形態異常、行動異常などへの影響を比較する。
2)ミジンコを用いた21日間繁殖試験
ミジンコは生後7日間程度で最初の仔を産む。その後2〜3日毎に仔を産む。21日間で産まれた仔数を数え、繁殖への影響をみる。
3)藻類生長阻害試験
単細胞緑藻類の生長に対する物質の影響を測定する。生長とは試験期間中の細胞濃度の増加をいう。単細胞緑藻類は、ライフサイクルが時間単位であるため、比較的短い日数で数世代にわたる影響について評価することができるという特徴をもつ。試験期間は通常は72時間であるが、今回は利用できるデータの多さを考慮して48時間値を急性、7日間値を慢性として振り分けた。96時間値でもEC50を急性、NOECを慢性値としたものもある。
性ホルモンの作用は胎児、新生児への影響が心配といわれている。それを調べるための最も適切な試験は生殖(繁殖)毒性試験である。ミジンコと藻類を用いた慢性毒性試験は多世代への影響をみている。魚を用いた多世代生殖毒性試験は1億円程度の費用がかかるようであるし、技術的にも魚を長期に飼育することは難しいとの理由でほとんど行われていない。私はそれらの試験結果をみたことはない。本稿で採用した初期生活段階毒性試験は胎児、新生児への暴露を行っているので、既にデータが存在する試験の中では性ホルモン様作用の影響をみるのに最も適した方法であると考えた。
4.7 女性ホルモン様作用
今回の対象物質のうち女性ホルモン様作用について多少とも魚を使った試験データがあるのは17β-エストラジオールとノニルフェノール、オクチルフェノールだけである。私は17β-エストラジオールのように極端に女性ホルモン作用の強いものやトリブチルスズのように極端にホルモン攪乱作用の強いものを除けば、ノニルフェノールやオクチルフェノールがそうであるように、女性ホルモン様作用による影響がはっきりでる濃度では一般的な毒性もでると予想している。本稿では、他の物質については一般的な毒性の閾値を求めたにすぎないが、そのまま女性ホルモン様作用についての閾値にもなると考えた。
なお、略号の意味は次のとおりである。NOEC:無作用濃度、LOEC:最小影響濃度、MATC:最大許容濃度で NOECとLOECの幾何平均値を採用している。したがって、数値としては LOEC > MATC > NOECとなる。
5、生態毒性データと閾値
調査対象物質の生態毒性の特徴と閾値の決定根拠を説明する。
1)17β-エストラジオール
ニジマスに対してビテロゲニン(Vg)を誘導する試験で、NOEC:0.001μg/L、LOEC:0.010μg/Lという報告がある。Vgを少し誘導するだけでは必ずしも毒性があるといえないと考えて、生態毒性の閾値として 0.010μg/Lを採用した。魚に対する半数致死濃度などのデータは報告されていないようである。
2)アルキルフェノール17,18,19,20)
魚の初期生活段階毒性試験での MATCと Vgを誘導する LOEC が概ね同じ濃度であるので、この濃度を閾値とした。女性ホルモン様作用を魚を用いて試験したのは、一般化学物質の中ではノニルフェノールとオクチルフェノールの2物質しか見あたらない。この結果からは女性ホルモン様作用の影響が明らかに出る濃度では一般的な毒性もでると言える。4-t-ブチルフェノールの毒性は弱い。おそらく水への溶解度が高いからであろう。
3)ビスフェノールA21)
魚に対してはまだ慢性毒性試験は行われていない。しかし、ミジンコと藻類に対しては慢性毒性試験が実施済みで、急性毒性値と慢性毒性値の差が少ないこと、
及び、ビスフェノールAの魚への急性毒性がミジンコや藻類への急性毒性にくらべて強いとはいえないので閾値は1mg/Lとした。
4)フタル酸エステル類10,22,23,24,25,26,27,28)
フタル酸ブチルベンジルまでの低分子量フタル酸エステルは、水溶解度が低下するに従って、言い換えれば分子量の大きいエステルほど毒性は強くなる22,23)。 フタル酸ジエチルヘキシルについては、文献によって大きな差がある。例えば LC50> 3,000 mg/L という報告11)もLC50> 0.16 mg/Lという報告22)もある。水への溶解度が小さく、溶解度以上の濃度で試験することになるので分散剤の使い方によって差がでるのであろう。ミジンコに低濃度でも毒性が出たという報告もあるが、ミジンコの体の表面にフタル酸エステルが付着したためであり、界面活性剤を用いて十分分散しておくと1mg/L濃度でも影響はみられなかったと報告されている24)。これを重視して閾値を1mg/Lとした。余裕度を計算するために閾値を決めたが、実際には、水への溶解度が小さいので、毒性を示すほどの量を体内へ取り込むことにならないという理解が正しそうである23)。
4)アジピン酸ジエチルヘキシル12)
魚や藻類には水溶解度以下では急性毒性はみられない。濃縮倍率は27である。分配係数から推定する濃縮倍率は2,700である。この差は DEHAが魚体内で代謝されるためと考えられる。
5)その他の物質
それぞれ次の文献を参考にした。スチレン29)、4-ニトロトルエン30)、2,4-ジクロロフェノール30)、ベンゾフェノン11)。
6、おわりに
環境ホルモン問題に関連して、現在の法規制や化学物質の安全管理の考え方で十分なのであろうか、それとも新しい規制や検査項目が必要なのかが問題となる。今回の検討からいえることは、河川での女性ホルモン様作用に関して言えば、尿中の女性ホルモンの影響が合成化学物質のそれに比べて圧倒的に大きそうだということである。それにもかかわらず、天然の女性ホルモンの生態毒性に関するデータがまことに乏しい。水への溶解度すらデータがない。まずは天然化学物質についてのデータを測定することから始めねばならないと思う。なお、女性ホルモンが検出されたということは測定さえすれば男性ホルモンも検出されるということである。イスラエルでの測定結果では男性ホルモンの方が濃度は高い31)。
現在は適当な評価基準がないため、測定結果の評価としては検出率がよく使われているようだ。しかし、検出率は当然のことながら検出限界によって変わる。生態毒性の閾値がビスフェノールAは1,000μg/L、トリブチルスズは0.001μg/L以下で百万倍以上の差があるのに、環境庁の調査では両者とも検出限界は 0.01μg/Lで同じである。このような検出限界のもとでは検出率を比較しても意味はない。大切なのは余裕度である。
私の見方のようにマスメディアの論調に合わないものは、マスメディアには取り上げてはもらえない。しかし、最近はインターネットが普及してきた。なかには私の意見も紹介してくれるものもある。《さうすウエーブ》である。毎月個性的な意見を紹介している。アドレスは http://www.atlas.co.jp/swave/ である。これの「環境―environment」をクリックしてバックナンバーを探してもらうと私のインタビュー記事も出てくる。「環境ホルモン問題は、何が問題か」(その1)(その2)が10枚のスケッチと共に掲載されている。是非おためしください。
なお、本稿は私の見解を述べたもので、特定の団体の意見を述べたものではないことをお断りしておく。
引用文献
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(1998年10月16日)
2)環境庁、水環境中の内分泌攪乱化学物質実態調査(夏季)結果速報(1998年12月7日)
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