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アロマティックス 1998年3/4月号 掲載

環境ホルモン問題は、何が問題か(その1)

ー環境ホルモン問題はPCB問題だー

西川洋三(三菱化学株式会社 環境安全部部長)

                       

1. 要旨

 

1.1 目的

 私は環境ホルモン問題を最重要テーマの一つとして1994年12月から検討している。欧米で問題になっていることは 日本でも問題になると思ったからだ。しかし、検討するにしたがって、日本では騒がれるような問題ではない、あるいはほとんどないはずと 思うようになった。ところが、最近のマスコミの報道をみるとなるほどと思うこともあるが、納得のいかない問題のとらえ方をしているよう に思う。これは化学品安全を担当する者が積極的に情報提供や易しい説明を行ってこなかったことにも責任がある。 ついては、私の検討結果と見解を説明したい。私はこの問題を歴史的、地球規模的かつ常識的な見方で考えるのがよいと思っている。
 なお、環境ホルモンの一般的知識については「用語解説」にまとめたので、そちらを参照願いたい。

 

1.2 環境ホルモンの分類

 マスコミで報道されているいわゆる環境ホルモンは次の4種類に分類される。 この4種類を区別して考えることが何にもまして重要である。

イ)PCB,DDTのように環境残留性があり、濃縮性が高い物質。

ロ)トリブチルスズ化合物(TBTと略す)のように1ng/L という極低濃度でも 水生生物に悪影響を与える物質。

ハ)ジエチルスチルベストロール(DES)のように合成女性ホルモンとして極めて 強い作用を持つ物質。

二)ビスフェノールA(BPA)、ノニルフェノール(NP)など身近に存在する物質。

これらの物質には、強い又は弱いホルモン作用がある、もしくは正常なホルモン作用 に影響を与えるという理由で「環境ホルモン」と一括して扱われている。さらには、「環境ホルモン」は イ、ロ、ハ、ニのすべての性質を併せ持っているかのような印象を持たれているので、 いかにも危険なもののように思われてしまう。

 しかし、イ、ロ、ハの各物質はそれぞれの残留性、毒性、作用において史上最悪、 最強の化学物質なのである。 一方、二)のBPA、NPはイ、ロ、ハのいずれの性質も持ってはいない。自然条件では分解するし濃縮性 も低い。水生生物に悪影響を与えるかもしれない濃度は 10μg/LでTBTの1万倍の濃度が必要である。 DESにくらべてエストロゲン作用の強さは10万分の1にすぎない。

 

1.3 環境ホルモン対策の実施状況

 「環境ホルモン」対策は、日本が最もすすんでいる国である。すなわち、
イ)環境ホルモンとして最も問題なのはPCB、DDTなど環境残留性物質であるが、日本は1974年に世界で最初に 法規制化し、製造禁止にした国である。化審法がそれである。TBTについて全面使用禁止にしているのは日本だけである。
ロ)環境庁が1976年から継続して実施している環境モニタリングは世界で最も充実した環境ホルモンに関する データベースである。

 

1.4 環境ホルモンによる汚染状況

 日本では環境残留性物質による汚染は年々改善され、先進国の中では最も汚染度の低い国の一つとなっている。 これは 1.3 で述べたように環境ホルモン対策が進んでいることを示す。
 例えば東京湾や瀬戸内海でとれる魚中のPCB濃度は米国五大湖の魚のそれの 10分の1である。海水中のPCB濃度で比較すると、日本海南部 0.1ppt、大阪湾 0.5pptに対し、スコットランド 沿岸 5-20ppt、地中海北西部沿岸では 13ppt など欧州の海域での汚染度は高い。
 環境ホルモンに限らず、一般の化学物質による水質汚染も25年前に比較して改善されてきていることは多くの人 の実感しているところではなかろうか。

 

1.5 環境ホルモン問題の本質

 ホルモン、免疫などの基礎科学における近年の進歩は著しいものがある。これらの進歩を毒性面に応用し、 より高度な安全管理を実現しようとするのは当然の考えである。今回の環境ホルモン問題の本質はこの点になければならないと私は思っている。
 内分泌学、特にレセプターに関する研究は、医薬の開発に関連して極めて精緻な研究が行われている。 その一分野として、性ホルモンの作用はほぼ解明されている。内分泌系には外乱があったときに、これを抑えて生理状態を安定に保つ機構が ある。つまり、多少のホルモン類似物質が体内に入っても、生体は調整作用を持っているとされてきた。
 内分泌学の進歩に従い、新しい知見が加わったとしても、内分泌系には調整作用をもっており、極微量のホルモン 類似物質の影響はありえないことのように思えるのである。
 ダイオキシン、TBTの毒性については、さらに研究が続けられる必要があるが、ホルモン類似作用とは別の作用機構 のように思えるのである。
 また、今すぐ対応が求められるほどヒトの健康や環境に問題があるとは思えない。あと5年間の研究の進展を待って から対応すればよい問題だと私は考えている。

 

1.6 今後の研究方向

 環境ホルモン問題に限らないが、対策を検討するのに必要な資金も人的資源も限りがあるのだから、問題でないことを 問題だと騒ぐことは、問題にしなければいけないことを問題にしないことと同じことになる。何が問題かを的確に判断しなければならない。
 私は環境ホルモン問題を勉強して、ヒトの健康への影響よりは、環境への影響のほうをより重視して検討すべきであるし、 また、環境問題としてとらえると、ホルモンについての知識より、水生生物の世界、生態系についての実態の把握がより必要であると思うようになった。 ホルモンばかり勉強してきて、後者の勉強をおろそかにしてきた自分自身への反省をこめてそう思う。

 

2. 環境ホルモンの分類と比較

 環境ホルモンとして取り上げられている典型的な物質と比較することで、BPAやNPが問題視されねばならない物質では ないことを説明したい。

 

2.1 PCBとの比較

イ)分解性

 PCBは生分解性は極めて悪く、環境中に放出されたものはいつまでも残留する。地球規模でみた場合の半減期は、 文献にはでていないが、50年以上でないかと私は推定する。
 BPA、NPとも化審法条件では分解しないが、活性汚泥処理(馴化された汚泥を使うことになる)で分解、 除去される。
1、2、3)  また排水処理で処理できなかったものも自然表層水中で分解する。3 mg/Lの濃度のBPAが 4日間で 0.1 mg/L以下になったと報告されている。 2)  NPの表層水での半減期は30日程度である。 4)

ロ)魚での濃縮性 5)

 化審法条件での濃縮倍率は PCBで 5,000〜20,000倍と極めて高い。 BPAは5〜68倍である。NPは300倍程度である。化審法では1000倍以下は一応濃縮性は低く問題なかろうと判定されている。

 

ハ)哺乳動物での蓄積性

 BPAやNPを経口投与した場合、速やかに体外に排泄され蓄積性はみられないことが、次の試験結果からわかる。
 C14で標識したBPA100 mg/kgをラットに経口投与して吸収、代謝、排泄状況を調べた。血中まで吸収されるのは投与量の4.6%で、これが0.1%まで低下するのは投与18時間後である。投与7日後の体内残留量は0.4%である。
6)

 NPについての代謝、排泄試験はまだ終了していない。ここではNPと化学構造が類似しているオクチルフェノール(OP)の結果を紹介する。5mg/kgのOPをラットに静脈注射して血中濃度の推移を調べた結果、半減期は約5時間であった。 ラットに50又は200 mg/kg/日で14日間連続して経口投与しても、投与1日目と14日目で血中濃度に差はなく、蓄積性はみられなかった。 7)

 

2.2 TBTとの比較(水生生物への毒性)

 TBTは1ng/L(=1ppt)の水中濃度でイボニシにインポセックスを引き起こすという。TBTがこれほど低濃度でも貝に悪影響を及ぼすのは濃縮倍率が化審法条件で2,000〜9,200倍5)と高いことも関係しているのであろう。もともとTBTは水生生物への毒性が極端に強いというまさにその理由によって船底への貝類付着防止剤として選ばれたのである。船底に付かない貝類に対しても強い毒性を示すのは当然のことである。TBTは人類が海洋環境中に意図的に放出した最強の毒物であるともいわれている。8)

 NPは一般化学品の中では水生生物に最も毒性の強いものに属するが、魚にエストロゲン作用を示すことを含め水生生物に悪影響を与える濃度は9.ニ)に示すように10ppb以上である。TBTの1万倍の濃度が必要である。

BPAについてはNPほど詳細に試験されていないが、水生生物に悪影響を与える濃度は100ppb以上と推定される。9、10)

 

2.3 DESとの比較(エストロゲン作用)

 BPAもNPも、女性ホルモン調整機能を持たない特殊な動物を用いた試験で、弱いエストロゲン作用が認められるのは事実である。しかし、その強さはDESあるいはそれにかわる合成エストロゲンの10万分の1程度にすぎない。11、12)

 合成エストロゲンは医薬品として使用されるものであり、その値段は1kg 当たり2千万円もする。BPAは2百円である。偶然の一致かもしれないが値段もエストロゲン作用の強さと同じ10万分の1である。

 

2.4 環境ホルモン問題はPCB問題である

 私は環境ホルモン問題はPCB問題であると思っている。DDTもダイオキシンも問題ではあるが、少なくとも圧倒的に重要なのはPCBである。その理由を「奪われし未来」に取り上げられている野生生物やヒトの異常例を分析することで説明したい。13)

 野生生物の異常例としてリストされたのは、私の計算では21例である。このうち、次の2例を除いて推定原因物質はPCB,DDT、ダイオキシンである。

 例外の一つは1940年代からオーストラリアで観察されているヒツジの繁殖力の低下である。この原因を調査した結果、ヒツジが食べるクローバーに植物エストロゲンが含まれていることがわかった。

 もう一つの例は1988年に英国で見つかった。下水処理施設の排水が流入する河川でオスの魚のメス化が生じているというものである。界面活性剤の分解物であるNPが原因と疑われた。しかし、「奪われし未来(原書)」出版後に英国環境庁の調査結果が発表された。原因物質は女性の体内で生成するエストロゲンが尿として出たものであった。14)

 また、ヒトへの悪い影響が疑われた例として12例あげている。DESの1例を除いてPCB、DDT、ダイオキシンが原因とされている。

 DESは合成のエストロゲンとして1938年に開発された医薬品である。流産防止用などのため広く用いられた。これを服用した妊婦から生まれた子供が成人するころになって生殖器に異常があることがわかり、1971年に使用が禁止された。

 以上のように、結局PCB、DDT、ダイオキシンを除けば、植物エストロゲン、体内で生成する(内因性)エストロゲン、DESの各一例だけとなる。植物エストロゲンは畜産業の問題、DESは医薬品の問題である。一般環境、及びそれを経由してのヒトへの影響となるとPCB類と内因性エストロゲンだけとなる。

 なお、「奪われし未来」にはTBTによるインポセックスは取り上げられていない。気が付かなかったのか、それともこの程度のことは問題にするほどのことではないと考えたのだろうか。

 

3. 環境ホルモン対策の実施状況

 

3.1 法規制状況

 化審法はまさに環境ホルモンを規制するための法律ともいえる。カネミ油症事件、水俣水銀病という不幸な出来事を教訓として、1974年に日本は世界で最初に環境ホルモン対策として法規制を行う国となった。これにより次の規制を行っている。

イ)PCB、DDTなど法施行当時すでに問題物質であることがわかっていた物質についての製造禁止、使用の厳重な規制。

ロ)新規に製造を始める物質(新規化学物質)については、製造前に生分解性や濃縮性試験を行い、安全性の確認を義務づける。 

ハ)すでに使用されている物質(既存化学物質)については、新規化学物質に義務づけている試験を国が行い安全性を点検する。その結果、必要なら(イ)  の規制対象物質とする。

 

 有機スズ化合物についても1990年に(イ)の対象として追加指定し、規制しているところである。有機スズ化合物規制が必ずしも十分な効果を上げていないのは、化審法が十分機能していないからではなく、外国から来る船が有機スズを相変わらず使用している、すなわち外国での規制が十分でないからであろう。

 

3.2 環境モニタリング

 

 化審法を効果的に施行するため、環境庁では1974年から一般環境中での化学物質の残留状況と生態影響を調査してきている。PCBなどの問題物質については毎年調査し、一般化学物質については優先順位をつけて逐次調査している。法施行後問題物質と判明したTBT、ダイオキシンについてはそれぞれ1983年、1985年から汚染状況の実態調査を行っている。またこれらの結果は毎年「化学物質と環境」(通称黒本)として公表されている。

 上記の既存化学物質の安全性点検結果および環境モニタリング結果は、日本が世界に誇る環境ホルモンに関するデータベースである。

 

3.3 環境ホルモンによる汚染状況

 環境庁の行っているモニタリング結果によれば、魚類中のPCB,DDT濃度は表3.3のとおりで徐々にではあるが改善されている。水中のTBT濃度については1990年の8.8ng/Lから1995年の2.5ng/Lに低下している。15)

 

表3.3 日本の魚類中のPCB、DDT濃度の推移(単位:ppm)

 

人は食事、特に魚介類からPCBのほとんどを摂取している。この点については国立医薬品食品衛生研究所が継続して調査している。それによるとPCBの摂取量は1979年の 3.1μg/人/日から1994年の 0.9μg/人/日まで着実に低下してきている。16)

 外国での汚染状況については断片的にしか把握していないが、日本に比べてかなり汚染されているように思われる。米国五大湖でとれるニジマス中のPCB濃度は現在でも3ppm程度である。17) これは東京湾の魚の10倍、琵琶湖の魚の百倍近い濃度で、非常に汚染されていることがわかる。五大湖でとれた魚は食べないほうがよいと指導されている。五大湖といえば日本人の感覚では瀬戸内海に相当するし、面積では日本海と同じである。瀬戸内海の魚が食べられなくなったら日本人はどう反応するだろうか。また、バルト海の魚は五大湖以上に汚染されている可能性がある。18)

 欧州の近海での水中PCB濃度はスコットランド沿岸 5-20ng/L、地中海北西沿岸 0.2-8.6ng/Lで、日本海南部 0.1ng/L、大阪湾 0.5ng/Lとくらべて「ホントかな」と思うほど高い。19)

 

3.4 今後の検討方向

 環境ホルモン関係で日本が行った研究は量的にはないに等しい。しかし、世界で最高の研究は日本が行っている。国立科学博物館と愛媛大学らが共同で行っている「海棲ほ乳類のPCBらによる汚染状況調査」である。20、21) 私はこの研究から環境ホルモン対策の重要性を学んだ。環境ホルモン問題は地球環境問題としてとらえることが重要なのだ。

 また、日本は9年前に環境ホルモン問題を取り上げた啓蒙書を出版している。「NHK地球汚染2」がそれだ。22) これは少なくとも「奪われし未来」より優れていると思う。環境ホルモン問題を論じようとする人にはまずこれを勉強することをおすすめしたい。

 以上のとおり、現在環境ホルモンとして騒がれている残留性物質に関する規制を日本は世界で最も早く行い、世界で最も充実したモニタリングを行ってきており、先進国では最も汚染度が低い国のひとつである。このことを私は誇りに思っている。また、国立科学博物館と愛媛大学ならびに9年前のNHKの業績を多くの人に知ってほしいとも思っている。

 



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