追跡アインシュタインの脳:日程
"My Search for Relics-Einstein's Brain: A Trip Across America."
1993年4月13日 大阪発
ニューヨーク着
1993年4月14日 ニューヨーク発
バッファロー着
Prof. F. Lestingi宅に2泊する。
15日 ナイアガラの滝を見学する。
16日 Prof. F. Lestingiのアインシュタイン・コレクションを閲覧する。同時
に教授のアインシュタインの講義を聴講する。
講義は視聴覚教育が中心。
バッファロー発
ニューヨーク着
17日 相対性理論と宇宙論の研究者であるアミダバ・セン博士夫婦が、ワシント
ンから私の宿泊先アストリア・ホテルに訪ねて来た。数年前、セン博士
とは京都で会っていた。アインシュタインは、アストリア・ホテルに
泊まったことがある。また公演もしている。
18日 セン夫婦とソホーに買い物に行く。アインシュタインの相対性時計、カオ
スボタン、Tシャツ、カップ、ハガキを買う。
19日 レオ・べック研究所を訪問。アインシュタイン・コレクションを調査する。
自由の女神に登る。
20日 私のアインシュタインの著書の英語版を刊行しているSCHOCKEN BOOKS
を訪問する。
夕方、ミュージカル「キャツ」を見る。
21日 再度、「キャツ」を見る。
22日 PAUSE
23日 レオ・べック研究所2回目の調査。
英国放送(BBC TV)のケビン・ハルと再開。
24日 ケビンと打合わせ。
25日 リーバサイド教会のアインシュタインの彫像を見学。
歴史上の著名人の彫像の中にアインシュタインだけが生存中の人物
だった。この彫像を見てアインシュタインは「それは悪いことではない」
と皮肉っぽいコメントを述べた。
26日 再度リーバサイド教会に行く。ビデオとカメラでアインシュタインの彫像
を撮る。
27日 撮影開始:自由の女神に再度登る。ドイツより亡命したアインシュタイン
は自由の女神を見て自由の国に来たと喜んだ。しかし渡り鳥アインシュタ
インにとってアメリカは決して安住の地とはならなかった。アインシュタ
インはアメリカの物質主義、赤狩り(マッカシーズム)に失望した。
1947年12月、アインシュタインは次の声明を発表した:
「私はこの国に偉大な自由が存在すると確信してアメリカにやって来た。
しかし私は自由の国としてアメリカを選んだと言う過ちをした。私の生
涯の中で修正の出来ない過ちである。」
ジョン・F・ケネディー空港で撮影。
Bronx Community Collegeを訪問する。1921年にアインシュタインが
植樹した木を見たかった。事前に木の写真は日本で見ていた。しかしアイ
ンシュタインの植えた木は切り倒されていた。構内の地下を通っているス
チームパイプの熱気で木の根が駄目になったと聞いた。しかし切り株を贈
呈され、それは私のアインシュタイン・コレクションに保存されている。
ベルンのアインシュタイン博物館にも切り株を進呈した。
28日 ユシバ大学のアルベルト・アインシュタイン医学校を訪問する。この大学
にアインシュタインの名前が付くことに対して、アインシュタインは「ユ
シバ大学が新しい医学校に私の名前を付けることを私は名誉なことである
と喜んでいます。この国には医者が不足しているし、現状で医学を勉強出
来る熱心な若い人が沢山いるにもかかわらず機械を奪われています」と述
べた。
アインシュタイン医学校に到着すると、いきなりアインシュタインのモニュ
メントに出会う。これまでヨーロッパで見た象の中でこの像の目が一番美
しく遠くを見ている。この大学に入るといたる所でアインシュタインの銅
像、肖像画に出会った。廊下でアインシュタインのペン、Tシャツ、エプ
ロン、カップを買う。
この医学校でアインシュタインが子供の時にDydlexiaという病気にかか
っていたことをある論文で知る。1994年9月、この論文の著者S. Srikantha
博士に大阪で会う。
アインシュタイン医学校名誉教授 Harry Zimmermann 博士を訪問する。
現在95歳でアインシュタインの友人でもあった。Harry Zimmermann 博
士はアインシュタインの脳の断面の細胞写真や、スライスした標本を見せ
てくれた。トーマス・ハーベイ博士は2年前にすでに亡くなっていると
Zimmermann 博士より聞き、愕然とする。出足からアインシュタインの
脳探しの旅も終わりかと思ったが、それならハーベイ博士の奥さんを捜し
出すしかないだろうと模索する。後で、Zimmermann 博士の勘違いとわか
り一応安心する。ハーベイ博士は生きていた! この間、同姓同名のトー
マス・ハーベイにあったりするが、意外と突破口は見いだせなかった。
Dr. Bauerに会う。アインシュタインの解剖所見の報告書が失われた話を
聞く。
30日 ブロンクスのアインシュタイン医学校を再度訪問する。撮影の時に取れな
かった写真を撮る。
1993年4月30日 3度目のレオ・べック研究所でアインシュタイン・コレクションを調査する。
"なぜ、レオ・べック研究所にアインシュタインの資料があるのか"、それ
は日本滞在中より私の疑問であった。その理由は簡単であった。傑出した
アインシュタインの写真資料は、アルベルト・アインシュタインの財団より
レオ・べック研究所に売られたのである。5箱のNO.1は、ドイツ、スイ
スで撮られた個人的写真、外国旅行、カリフォルニア(1931年から1932
年まで)、いろいろな科学式典、親戚や友人と共に、ハイファに到着した
ネギ−・ホールで撮られた写真を含んでいる。NO.1のハイライトは、ア
インシュタインとマリー・キュリー、ベルギーのエリザベス女王、インド
の哲学者タゴール、トーマス・マン、ウインストン・チャーチルのような同
時代の有名な人々写った写真である。NO.2は、アインシュタインを描
いた芸術的な肖像画、漫画のコレクションである。アインシュタインほど
肖像画、漫画に描かれた科学者はいないし、写真の数は膨大である。貴重
な映像も残っている。NO.3は、アインシュタインのレクレーションの写
真、たとえばヨット遊び、1929年から1932年までベルリン近郊カプート
のアインシュタインの別荘を訪問した来客ノート。NO.4は、1922年に東
京でアインシュタインが行った講義の参加者による日本語とドイツ語で書
かれた挨拶文とサイン帳、アメリカで刊行された切手(今日までアインシュ
タインの切手は世界中で約100種類発行されている)、Poul Dessau によ
るオペラの。特大な箱には著名な写真家ロッテ・ヤコビ−によ
って撮られたカプートのアインシュタインの一連の写真、アインシュタイン
の各年代の写真、専門的な会議(たとえばソルべー会議)出席の写真が入っ
ている。アインシュタインに関する新聞と雑誌の切抜きの入った箱もある。
私は日本訪問の祈りの未公開の特大写真は非常に貴重であると思った。
1993年5月 1日 ニューヨークよりプリントンに向かう。
アインシュタインを最後に見取った看護婦アルバータ・ロスゼルにインタ
ビューをする。
ベンジャーミン・ライト博士(プリンストン大学)に、アインシュタイン
の脳の行方、トーマス・ハーベイ博士の消息、ハーベイ博士がプリンスト
ン・メディカル・センターをなぜ解雇されたのかを聞く。解雇されたのは
所定の期日にアインシュタインの脳の研究を発表しなかったことと看護婦
との不倫疑惑という。ハーベイ博士がアインシュタインの脳を持ち逃げし
たのになぜ警察に通報しなかったという疑問が残るが、アインシュタイン
家がハーベイ個人に、またプリンストン・メディカル・センターにアイン
シュタインの脳の研究を委託したか非常に曖昧のようだ。ハーベイ博士が
アインシュタインの脳と共に何十年も姿を眩ましたのも良心の呵責に悩ん
でいたのかもしれない。1999年現在86歳のハーベイ博士は今だから言える
が「私自身の手によってアインシュタインの天才の秘密を解明したかった」
と述べている。ハーベイ博士の数奇な人生はアインシュタインの脳と共に
あった。私がお会いした時、ハーベイはmedical doctorを剥奪され、プレス
工場で働いていた。
5月2日 憧れのプリンストン高級研究所を訪問する。
アインシュタインのかつての研究室(思考部屋)を見学する。
"アインシュタインはここにいたのだ!"
プリンストン観光ツアーに参加する。
アインシュタインの家を訪問する。アインシュタインは、マーサー通り
112番地の家を巡礼者のための博物館にしてはならないと遺言していた。
アインシュタインの意思の墓ではない。もしアインシュタインの墓があった
ならば、その墓には有名な E=MC2, R=―1/2gR=―rT (場の方程式)が
刻まれていただろう。ちなみにシュレーティンガーの墓には波動方程式
i?Ψ=HΨ,ボルツマンの墓には統計力学の有名な方程式S=klogw,ボルンの
墓には 行列力学 pq=h/2πi, オット・ハーンの墓には核分裂の公式
92U+oN が刻まれている。
今アインシュタインの家には素粒子物理学フランク・ヴィルチェック教授が
住んでいる。教授もまたアインシュタインに憧れて物理学者になったと言う。
ハーバード大学とプリンストン高級研究所の誘いにアインシュタインの家に
住んでもよいという条件でプリンストンに来たという。家の中に特別に入れ
ていただいた。アインシュタインが座っていた椅子に私も腰掛けた。アイン
シュタインの弾いていたピアノ、楽譜置き、ベット、義理の娘で彫刻家だっ
たマーゴットさんのスタジオを見せていただいた。中庭にアインシュタイン
の座った石のテーブルと椅子があり、私も腰掛けた。
1993年5月2日は、私は人生の最高の日であると思った。この日を私は生涯忘
れない。今、私の青春の夢が実現したのである。思い起こせばアインシュタ
イン生誕百年の翌年、私はアインシュタインの秘書へレン・デューカス、
マーゴットさん、アインシュタイン財団のオット・ネイサンに会いたいと思
っていたが、実現しなかった。今だったら直にプリンストンに飛んでいたで
あろう。私のアインシュタイン研究も駆け出しの頃であった。
ケビンがアインシュタインの家を買う気はあるのかと言ったので、1億円ぐら
いだったら買ってもいいと答えた。
5月3日 アインシュタインを実際に解剖したプリンストン病院の解剖室でエリオット・
クラウス博士よりアインシュタインの解剖の状況を聞く。しかしアインシュ
タインの解剖報告書のマイクロフィルム(NO.33)は紛失していた。
ハーベイ博士が持っていると思った。
5月4日 フィラディルフィア子供病院に Lucy Rorke博士を訪ねる。
「アインシュタインの脳細胞は同じ年代の人に比べて非常に若かった」と述べ、
染色された顕微鏡写真を見せてくれた。後日、Rorke 博士はその写真のネガ
を4枚送ってくれた。
アインシュタインの目を持っているというHenry Abrams博士を訪ねる。Dr.Abrams
はアインシュタインの眼科医だった。
Q:「あなたがアインシュタインの目を持っているというのは本当ですか?」
A:「本当です」
Q:「アインシュタインの目を見せていただけますか?」
A:「YES,しかしここにはありません」
Q:「どこにありますか」
A:「ニュージャージー州の銀行の金庫の中です」
Q:「それはどのようなものですか」
A:「アインシュタインに見つめられているようです」
Q:「なぜあなたはアインシュタインの目を持っているのですか?」
A:「アインシュタインの解剖の時に目が欲しかったら持っていっていいよと言われたからです」
Q:「その目は今後どうするのですか、公開しないのですか?」
A:「考えているところです」
Abrams 博士はアインシュタインの思いを語り、手紙・写真を見せてくれた。アインシュ
タインの目を近い将来見たいと思っているが・・・・・とても神秘的な話であった。
その後、マイケルジャクソンが数億円でアインシュタインの目を買うという話があったが、
結局買わなかったようだ。帰国後、Dr. Abramsは、6億円で買わないかと私に知らせて来
た。本物であるというアインシュタインの死亡診断書を書いたDr. Guy K. Dean, Jr.の証明
書き付きである。
1993年5月 5日 ホワイトハウス近くにあるアインシュタインの巨像に登る。
当時FAT MAN(ファットマン)の私は(ゆうに100kg近く体重があった)、頭の
頂上に登りたかったが、アインシュタインの巨像の首が折れたりした場合、器
物破損材でFBIに逮捕され、それから裁判でprisonに送られ、BBCが弁償しなけ
ればならないだろうと冗談とも言える会話の中、登上を断念した。
5月 6日 そのFBIで1,400ページに及ぶアインシュタインに関する機密文書を閲覧する。
その中で意外と思ったのは冷戦中、アインシュタインを共産主義者と決めつけ
た密告者の名前が黒く塗りつぶされていたことである。
「アインシュタインの脳」という書名の小説を出版している作家MarkOlshaker氏
に会う。Olshaker氏は西に手掛かりがあると言う。
空路サンフランシスコへ。
5月 7日 グレース教会のアインシュタインのステンドグラスは方程式E=MC2と共にあざや
かに輝いていた。
5月 8日 China Beachで撮影。
「自然はつんとすました女神である」というアインシュタインの言葉を思い出し、
人間は自然の一部であると感じた。
5月 9日 午前中は声の録音。
午後、アインシュタインの孫娘エヴリン・アインシュタインと彼女のマンショ
ンで会った。お祖父さんに目が良く似ている。アインシュタインに見つめられ
ているようであった。あの澄み切った美しい目である。人類学を研究している
とのことであった。時計の音が好きだという。アインシュタインの脳は小さか
ったという。彼女自身も脳は普通の人よりも小さいという。
気さくな人でアインシュタインとoverlapする。父親であるハンス・アルベルト・
アインシュタインの養女となっているので、孫ではなく実はアインシュタイン
の本当の娘ではないかという質問には「ノーコメント」であった。エヴリンは
アインシュタインが踊り子に生ませた子供ではないかという情報があった。
ロマンスの多いアインシュタインらしい話である。
アインシュタインの子供らしさ・純粋さを受け継いでいるという。インタビュー
後、日本のレストランで一緒に寿司を食べる。アインシュタインのmeritと
demeritを尋ねると、アインシュタインは家庭的ではなかったという回答であっ
た。そう言えば、後年、アインシュタインの最初の妻ミレバ・マリッチと次男
エドワード(20歳で精神分裂症になる)に対する仕
打ちは冷酷だった。
5月10日 恐竜の博物館を見学する。
アインシュタインの脳を研究したマリア・ダイアモンド博士(カリフォルニア
大学バークレー校教授)を訪問する。「アインシュタインの脳はグリア細胞が
通常の人よりも多かった。アインシュタインの脳は全く普通ではなかった。」
と説明する。実際、アインシュタインと比較したサンプルが少ない。また他の
天才物理学者(たとえば、ハイゼンベルク)もグリア細胞が多いかどうかを知
る必要がある。ホーキングの脳はどうだろうかと言ったら、病気だから駄目だ
とダイアモンドは答えた。
次に、ダイアモンド博士の1993年6月14日付けの私への手紙を紹介する。
Q1:「なぜあなたはアインシュタインの脳を持っているのですか?」
A1:「アインシュタイン脳の顕微鏡検査を誰もしていないことを知って以来、私は正常な
人間、つまり男性の領域9と49を含む左右の脳半球に特に限定してニューロンとグリ
ア比の研究を行った。私はニューロンとグリア比のデータを持っていたので、アイン
シュタインの脳と他の人の脳を比較したいと思った。私はミズリー洲ウエストンのトー
マス・ハーベイ博士に電話をし、適切な標本を手に入れ比較研究を行った。」
Q2:「アインシュタインの脳を研究するに至った動機を教えて下さい。」
A2:「1966年、我々は良い条件(大きな龍に検診のための物と一緒に沢山のネズミを入れる)
で生活するねずみは劣悪な条件(検診のための物もなく生活する一匹のネズミ)で生
活するネズミよりも、1ニューロンあたりより多くのグリア細胞を持つことを示す論文
を発表した。ジョセフ・アルトマンもまた同じ結果を見つけた。かくして我々は、活
動的な脳の皮質は、刺激的な環境条件から生じる拡大したニューロンを支えるために、
より多くのグリア細胞を生み出すことを証明した。報告書は1ニューロン当たりより
多くのグリア細胞を持っていることを示している。ゆえにアインシュタインの脳は1
ニューロン当たりより多くのグリア細胞を要するという仮説を立てた。」
Q3:「アインシュタインの脳について何を発見しましたか?」
A3:「はい、左下の皮質(左領域39)は普通の男性の同じ領域よりも1ニューロンにつき、
かなり多くのグリア細胞を持っているということを発見した。他の3つの領域は同じ
形態を示していたが差は重要ではない。」
Q4:「アインシュタインの脳は普通でしたか?それとも異常でしたか?」
A4:「普通というあなたの定義はなんですか? 確かに特別な顕微鏡研究についてはQ3で述
べた。刺激的な環境に置かれたネズミはグリア細胞が増加していたので、アインシュ
タインは同じパターンであったこと、アインシュタインが活動的な脳を持っていたこ
とを発見したと思う。彼のニューロンは非常に普通に見える。それらは病的なニュー
ロンン特徴を持っていない。たとえば神経核は細胞の中心にある。Nissel物質は細胞
質の全体に分布していて、体細胞の末消にはない。言い換えれば見たところ異常はな
かった。」
Q5:「アインシュタインの脳の研究の歴史を詳しく述べて下さい。」
A5: 「上記の質問の回答の中で、少なくともアインシュタインの脳に関する私の研究につい
ては十分な説明をしたと思っている。他の研究については知らない。」
Q6:「アインシュタインの脳は人間の進化の代表と思いますが、あなたはどのように思いま
すか?」
A6:「我々の研究結果から私はあなたの意見に傾いている。系統発生樹の上に行けば行くほ
ど1ニューロン当たりのグリア細胞の数が増加しているので、アインシュタインのグ
リア細胞はまさにこれと同様に見える。」
1993年5月11日 デンバー経由でミズリー洲カンザス市に到着。
なぜかアインシュタインは1931年3月2日にカンザスを訪問しているのである。
12日 この映画の目的であるト−マス・ハーベイ博士追跡の旅の正念場である。紆
余曲折はあったが、アインシュタインの脳を捜す旅も結構楽しいものであっ
た。アインシュタインの追跡を見学し、BBC TVのcrewとのfriendship,多種
多様の研究者に会い、ケビンの友情に感謝したい。保険会社、警察署に行く。
パトカーでかつてハ−ベイ博士の住んでいた家に行く。
5月13日 ローレンスで異色の作家ウィリアム・バロウズに会い、ハーベイ博士の最終
的手掛かりを得る。ローレンスは核戦争映画"Day After"のロケ地であった。
14日 BBC主催による晩餐会。
15日 E=MC2の意味の解説を撮影。
アインシュタインが映像の中でE=MC2について語る場面を紹介する。
「質量とエネルギーが同じ事の違った主張である(一般の人には不慣れな概念
である)ということは特殊相対性理論から導かれる。更に方程式E=MC2(エネ
ルギーは質量と光の速度の2乗の積に等しい)は小さい質量が莫大なエネルギー
に変換されることを述べている。事実、この公式によれば質量とエネルギーは
等価である。これは1932年実験的にコックフロフトとウオルトンによって証明
された。」
アインシュタインが1905年に発表した有名な公式E=MC2の実用化は40年後に原
子爆弾誕生という形で立証された。
5月16日 待ちに待ったトーマス・ハーベイ博士と会い、アインシュタインの脳に対面す
る。何か夢の中にいるような気分であった。とっさにハーベイ博士にアインシ
ュタインの一片を記念に欲しいと申し出た。ハーベイ博士は心地よく快諾され、
まな板の上でナイフでアインシュタインの脳を切り刻むなど神への冒?である
という意見もあったが、私は「なるほど、アインシュタインの脳を切り刻む行
為を他の人がやったならば私も神への冒?である」と批判したかもしれない。
「しかし私ならば許される。私のアインシュタインへの情熱はそれを超越して
いる」と言い切っている。
カンザス・カラオケで日本の歌謡曲を歌う。
17日 ミズリー空軍基地を見学する。
18日 カンザスからシカゴ経由でニューヨークへ。
19日 アインシュタインに可愛がられていたピーター・バッキ−博士に会う。アイン
シュタインの思い出話を聞く。バッキ−博士は「アインシュタインはセックス
なしでは研究を遂行出来なかった」と述べた。
20日 プリンストン大学図書館訪問。
アインシュタインの有名な言葉"Raffiniert ist der Herr Gott, Aber
Boshaft ist Er nicht"(老獪なのは神であり、意志悪なのは神ではない)
が刻まれた暖炉を撮影する。
アインシュタインのDNA研究を行っているチャールズ・ボイド博士を訪問。
ボイド博士から私への1993年6月29日付けの手紙を紹介する:「この研究はまだ
探求檀家にあると私は力説します。我々のアプローチはアインシュタイン家の
生存者を見つけ、彼らがアルベルトの動脈瘤の原因となった突然変異を持って
いるかを調べることです。エヴリンは喜んで協力してくれる家族の一人だった
かアルベルトとの関係は明らかではない。もちろん彼女がアルベルトと関係なく、
彼の脳からのDNAが非常に損傷を受けて役に立たなかったならば、遺伝子の突然
変異が彼の動脈瘤の結果となったかを知るのは疑問である。」
21日 PAUSE
22日 PAUSE
23日 BBCのニューヨーク・スタジオで声の録音。
24日 ニューヨーク発
25日 大阪着
天才の秘密:将来の希望
アインシュタインの脳については、グリア細胞が多いとか、大脳皮質の神経密度が大きいと
か、突然変異説、アインシュタインのような知能をつかさどる特別な遺伝子の発見とか、いろ
いろとわくわくする話題が多い。アインシュタインの天才脳は突然変異で進化した脳であると
するならば、その特別な未知の遺伝子の発見を期待したい。最近、アインシュタインの脳はプ
リンストン・メディカルセンターに戻され、アインシュタインの脳はようやく安堵の地につい
たのである。次の管理者になったエリオット・クラウス博士は、「将来の医学・技術の発展に
よってアインシュタインの脳のDNAの解析、クローンの道が開かれるであろう」と期待を込
めて言った。
【謝辞】論文からの引用を許可してくれたDr. Sachi Srikantha, Prof. Jon R. Chohen, Dr.
L. Michael Graver, Prof. James J. Chandler, Prof. Marian C. Diamond, Prof. Britt
Anderson, Dr. Eric H. Gnepp, 故Dr. Bernard M. patten のfamily, 取材に協力してくれ
たMrs. Alberta Rozsel, Dr. Harry Zimmermann, Dr. Benjamin Wright, Dr. Lucy
Rorke, Dr. Henry Abrams, Mr. Mark Olshaker, Dr. Elloptt Krauss, Dr. Charles Boyd
Dr. peter Bucky, Mr. William Burroughs, Ms. Evelyn Einstein, Dr. Thomas Harvey
Dr. Daine Spielmann, Dr. James G. Ravin に感謝の言葉を述べたい。
参考文献
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