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「ネットワーク 医療と人権」
発足記念講演を聞く

"なぜHIV訴訟をしたか、その原点を考えたい"




『砂時計のなかで』の著者島本慈子さんの講演会が9月23日、雨上がりの京都で行われ た。大阪HIV訴訟原告団などが中心となった「ネットワーク 医療と人権」の発足の記 念講演であった。島本さんが『砂時計のなかで』を執筆した契機は、京都在住の血友 病患者のリーダーで、大阪HIV訴訟の2代目原告団長だった石田吉明さんとの出会いに遡る。

【寄稿(文・写真):山中由紀




《島本慈子さんの講演要旨》
=「薬害エイズ事件」は血液行政の根幹を揺する問題=

石田さんに出会ったのは、1989年7月。当時、島本さんは情報誌に勤務していて、その 取材だった。会ってみて、3つのことに驚いた。まず、血友病の大変さ、痛みの激しさ に驚いた。成長期に関節に内出血を繰り返すと関節が変形し、膝が曲がらなくなってし まう。石田さんは第1種2級の障害者認定を受けていた。高濃縮製剤(いわゆる非加熱製 剤)の効き目は人によって様々だったが、石田さんには魔法の薬だった。数年の幸福の 後、悲劇と呼ぶしかない不幸に見舞われた運命に、驚いた。そして、石田さんが恨みに 狂わないで、人を愛する心を失っていなかったことに驚いた。「今ここで行政(厚生省) に襟をタダさせることが出来たら、今の自分たちには役立たなくても百年後に役立つだ ろう、百年後の人達へのお土産だ」。そう彼は言って、国と製薬企業を相手取った訴訟 を起こしていた。

その後、日常の忙しさに埋没しているうちに、1995年4月、石田さんの死亡記事に出会 う。死に至るまでの過程を追えずして何のためのライターかと思い、HIV訴訟関係者 への取材を始めた。まず、砂時計のなかで進行した裁判だったことを忘れてはならない と思った。弁護士の勧めではなく、患者が患者の意志で始めた裁判なのだ。仲間が次々 に死んでいくのを見ている、自分もやがてそうなることを知りながらの裁判…。

今、日本で一番有名な医師である観さえある安倍、彼さえいなければ!というようなも のではない。薬害エイズ事件は、世間で考えられているほど単純なものではない。エイ ズの危険が予見できない時期に感染した人が少なからずいる。その人達も裁判で勝たせ るにはどうしたら良いのか。血液を輸入してなければ良いのだ、これは血液行政の根幹 だ。医療に使う血液の献血による国内自給は1975年に厚生大臣の私的諮問機関が具申し ているではないか。この点を、石田さんは強く主張していた。

スモンは、発生時は謎の神経病で「大人の小児マヒ」と呼ばれた。正座のしびれが一日 中下半身からとれないような症状らしい。79年のスモンの和解は、今から思えば高濃縮 製剤の発売の翌年のこと。スモンの和解条項が履行されていたら、薬害エイズの被害は もっと少なくて済んだはず。1987年に陽転(つまり、感染)した人がいるなんて論外で ある。黙っていては、和解条項は活かされない。厚生省が薬害を防止するために最善を 尽くすという約束を守っているかどうか、マスコミや被害者が監視しなくてはならない。

医師について。医師が悪人なのなら、問題は単純。そういう医師を排除すれば良い。 しかし、当時、彼らは大変な迷いの中にあった。1983年当時、過去に対比できるテータ がないのに一つの数値を読み取るのは困難です。加熱製剤で肝炎になった人がいたのだ から、安全性に迷ったのも無理はない。加熱製剤が登場してすぐに切り替えた医師はア メリカでも少なくて、普及に1年半もかかっているのです。このあたりの事情を正確に、 時間軸に沿って考える必要があります。感染リスクの多い・少ないが分かるかどうか、 その前後でわけて考えなくてはならない。個々の問題なのか、システムの問題なのか。 防災は、想定外の連続です。迷って当たり前。医師の迷いの姿をまるごと書いた点で、 この本は新しいと言えるでしょう。

この苦しみを人に体験させたくないが故に、手を洗うのに石けんを1個/日も使い続け、 和解の直前に亡くなった患者がいました。提訴の4年後でも、取材を拒むマスコミ関係者 がいたくらい、差別はきつかった。私もカメラマンに「私にも妻もいれば子もいます」 と同行を断られ、「そんなん私も同じや」と大喧嘩の末、「行かせていただきます」と 言ってくれた別のカメラマンに頼んだことがあります。

提訴時、初代原告団長の赤瀬さんは「無謀」と言っておられました。それなのに裁判を 起こした理由は、100年後の人達に対するお土産にしたいから。彼らが何を手渡そうと していたのか、それを考えていかなくてはならないと思います。






《パネルディスカッションの概要》
=不確実性を患者と共有しなかったのは医師の怠慢=

〈83年時点の危険認識について〉
左から島本さん、上田医師、塩野弁護士、花井さん
上田良弘医師(関西医科大学付属洛西ニュータウン病院):製薬会社の協力でアメリカで 抗体検査が出来るようになった84年頃、陽性率の高さに驚いた頃に衝撃を受けた。ち ゃんと出来るようになったのは85年。

島本慈子:医師に問いただしたという話は、アキラくんだけ。交通事故に遭うようなも  のと言われ、安心した。医師は良く分からないままに言ったのではないか。

花井十伍・大阪HIV訴訟原告団4代目代表:血しょうを個人的に手配して、感染を免れ  た人もいますね。

塩野隆史・大阪HIV訴訟弁護団:誠実に言えば、発症率が分からない状態。かつ、製薬 会社が「皆無に近い」と虚偽だけど言っている状態で、患者に説明をすべきだったか どうか…。

島本:不確実性を分け持つ、共有することをしなかった医師。これはエイズに限らず医 療一般のことではないのか。患者の質問に医者に答える義務はないのでしょうか。義 務はあると憲法で保証されているようですが。

上田:黒か白かではなく、灰色の状態の中で暮らしていたのです。それを、裁判が黒か 白か塗りわけたという面があります。濃縮製剤と自己注射の普及に努めていた中での ことですから、「気をつけていこう」と医師・会社・患者の間で言っていた。肝機能が 悪くなって一人前という時代だった。それに、加熱製剤が発売されても、患者が押し 寄せることはなかった。一応、押し寄せても良いように準備はしたのですが。

塩野:ドクター対製薬会社の議論がないですね。

上田:医療体制の整備が望みなのです。地方の人は専門医がいなくて苦労していた。自 己注射と濃縮製剤で助かったのです。病院に通わずに済んだから。どうなのかと尋ね ると、MRは「分からないけど同性愛者は避けている」とか「社内向け文書には欧州 からの血液だと書いてあった」とか言っていた。

花井:内部資料を見ると、会社は怜悧に計算をしています。どっちが危険か、まだ売れ る国はどこか。営業成績の制約の苦悩がうかがわれます。

島本:会社の目的をつきつめて考えることが要求されているのです。何のための会社な のか。






=500人も死んでいるのに国は何も学ばない=
<告知について>

花井:提訴の前に、感染者の救済措置が出来る。そのための申請用紙を配られた ことで感染を知ったのが、東北の集団告知事件。医師は「それほど乱暴なことはしてない」 と言うが患者は「乱暴」と言っています。

塩野:感染症には、医師の裁量の余地はありません。

上田:あの当時は死の病気で、差別もされ、治療法もない。告知しないのは罪悪と 言われても。医師・看護婦・患者の苦悩は大きい。親に言うと、親は子供に告知しないでと言いますし。

塩野:20〜30人を越える二次感染者が、大阪・東京で提訴していますね。

花井:感染させたかもしれない人に言うか言わないか。僕は言うしかないと思った。 告知したら自殺されたので告知を止めた医師がいます。今回は予告編で、 今後、「医療と人権」の活動の中で、薬害エイズの真実を残していきたい。

島本:花井さんの「命を守ることをどうしらよいか、あらゆることをそこから 考えていきたい」と言っていたのを思い出した。あらためてそのことを言いたい。

上田:組織は目的を達するとバラバラになることが多い。こういう組織ができたことだし。

塩野:責任をどういうふうにするか、こんなことが起きないためにどうすれば良いのか。

花井:500人も死んだのに国は何も学んでないのか。今後は、客観的に教訓を取り出したい。









1996年の和解から4年。原告への補償が概ね行き渡ったので、今後は、原告団を 「ネットワーク医療と人権」に衣替えして、教訓を取り出す作業を始めるそうです。
この会には、趣旨に賛同していただけるならどなたでも入会できます。 ご関心のある方は、mers@mbc.nifty.comへご一報ください。

石田吉明さんについては、下記のHPをご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/stone-field/

また、薬害エイズの他、スモン、サリドマイド、ヤコブ、三種混合予防接種、陣痛促進剤、 筋短縮症の横断組織「全国薬害被害者団体連絡協議会(ヤクヒレン)」も去年、立ち上がっています。 10月14日には東京医科歯科大学で集会を開くようです。詳しくは、以下のHPをご覧ください。
http://homepage1.nifty.com/hkr/yakugai/





 
●やまなか・ゆき 大阪市立大学大学院経済学研究科在学中。市大自主講座実行委員。同大理学部・木野茂講師が自主講座を 発展させて開設した全学共通科目「公害と科学」をサポートするとともに、水俣病関西訴訟問題や香川県の豊島 問題にも関わっている。
*yamanaka@econ.osaka-cu.ac.jp
















































 
●島本慈子(しまもと・やすこ)

1951年、大阪市に生まれる。 京都府立大学文学部卒業。「月刊奈良」「読売ライフ」を経て、現在は企画会社勤務。 著書に『倒壊−大震災で住宅ローンはどうなったか』(筑摩書房,1998)がある。









































 
*『砂時計のなかで−薬害エイズ・HIV訴訟の全記録』(河出書房新社,1997)

1951年、大阪市に生まれる。 京都府立大学文学部卒業。「月刊奈良」「読売ライフ」を経て、現在は企画会社勤務。 著書に『倒壊−大震災で住宅ローンはどうなったか』(筑摩書房,1998)がある。

「ウイルスをばらまかれたら困る!」そんなヒステリーからエイズ予防法制定に走っ た人たちの心に人間不信があったとするなら、HIV感染した被害者の心にあったの は他者への思いやりと優しさでした。裁判の結果のみならず、魂の高さにおいても血 友病の人たちは勝利したのです。(著者あとがきより)