swave logo (←home)
cover



 【特別寄稿】
台湾を初めて訪れて

畑 明郎
(大阪市立大学大学院教授)




APNEC6に発表者の一員として参加し、会議後、現地調査を行った大阪市立大学大学院教授の畑明郎さんが代表委員を務める環境NGO「びわ湖の水と環境を守る会」の会『びわ湖通信』(12月号)に書き下ろしたものの転載を許可してくれたので、ここにご紹介する。





台湾を初めて訪れて


畑 明郎  



2002年10月30日から11月6日まで8日間、台湾を初めて訪れた。宮本憲一滋賀大学長らが代表理事を務める日本環境会議の一員として「第6回アジア・太平洋NGO環境会議(APNEC6)」への発表・参加と現地調査が目的であった。以下、旅行日程順に紹介したい。



際立ったスクーターバイクの台数の多さ


〈台湾入国と台北市〉

10月30日10:30関空発の日本アジア航空で12:10中正国際空港に到着した。中正国際空港は、台湾の首都・台北市から約40km離れた海岸部にあり、バスで高速道路を約1時間走り、台北市内に入った。高速道路を走る乗用車の大半は、旧型の日本車であり、たまにドイツのベンツ・BMWなどの高級車が走っていた。台北市上空はスモッグに包まれており、市内の自動車交通量、とくにスクータータイプのバイクの多さが特徴的だった。バイクに乗った人はマスクをしている人が多く、大気汚染を意識していた。

関空を出る時は日中でも寒いくらいだったが、台北市内は暑いくらいだった。台湾中部の嘉義市付近を夏至には太陽が真上に来る北回帰線が通っており、台湾北部は亜熱帯気候で台湾南部は熱帯気候となる。台北の最低気温は東京の平均気温とほぼ同じで、最高気温は10℃ほど高いという。したがって、台北市内のホテルには冷房がされていた。 台北市内のホテルには、日本語のできる従業員が何人かおり、日本語の通用するわずかな国のひとつだった。1895年の日清戦争後の下関条約により台湾の日本統治が始まり、1945年の日本敗戦まで約50年間に及ぶ植民地統治で日本語教育を強制した名残であり、現在では、日本からのビジネスマンや観光客向けのサービスである。(参考『わがまま歩き台湾』ブルーガイド,2002年)



大気や河川の汚染、廃棄物対策など難問山積の様相


〈台湾環境行政ヒアリング〉

10月31日午前に台湾行政院環境保護署(環境省)、午後に台湾市政府(市役所)を訪問して、環境政策のヒアリングを行った。環境保護署では、曹賜卿顧問以下の幹部が応対してくれた。曹氏は東大薬学部とアメリカの大学に留学した博士であり、日本語と英語ができたが、若い幹部はアメリカの大学に留学して博士号を取り、日本語はできず英語が上手だった。

ヒアリングで驚いたのは、九州ほどの面積の台湾に2100万人が住み、600万台の自動車と1200万台のバイクを持ち、成人は自動車かバイクのどちらかを保有している点である。人口密度は日本の2倍に近く、山岳部が7割を占め、平野部は3割にすぎないので、都市部に大気汚染が激化する所以である。最近、排ガス規制を強めて、大気汚染は改善されてきたというが、マスクを付けて走るバイクを見ると、まだ不十分である。

台湾市政府では、沈世宏・環境保護局長と馬女性秘書らが応対してくれた。馬女性秘書は、Diana Yu Maという英語名を持つ博士で、英語も堪能でパワーポイントを使ってプレゼンテーションをされた。内容は、台湾人口の12%に当たる264万人の人口を有する最大の都市・台北の廃棄物対策だった。埋立処分場による河川汚染が起こり、ごみ有料化、分別回収、リサイクルなどを進めているが、リサイクル率は20%程度であり1000トン/日以上の大規模焼却施設を3基も建設している。しかも、焼却炉のメーカーは日本企業という。

夕方、時間が少しあったので、蒋介石を讃える巨大な中正紀念堂を訪れた。直立不動の衛兵数人に守られ、ちょうど5時の閉門と国旗降ろしのセレモニーに出くわした。



高雄に近づくほど交通渋滞激しく2時間延着に


〈台南市観光〉

11月1日朝、台北のホテルをバスで出発し、会場の高雄市に向かい高速道路を南下した。台北周辺の高速道路は片側3〜4車線あるにもかかわらず渋滞しており、南下途中の高速道路もトラックなどが多く、世界十大国際貿易港のある高雄から台北を往復する物流幹線道路であった。窓の外には、水田なども見られ、日本の田園風景と似ていたが、サトウキビ畑や水産養殖池なども見られる独特の風景であった。

昼食後の休憩も兼ねて、台北・台中・高雄と並ぶ四大都市のひとつである人口約70万人の台南市を観光した。台南は、1624年からのオランダ植民地時代から220年間、台湾の首都だったところである。オランダ人が建てた紅毛城の赤嵌楼と、1662年にオランダ人を追い出した明朝の遺臣・鄭成功を祀る延平郡王祠を訪れた。赤嵌楼の敷地内には、鄭成功に降伏するオランダ人の像がある。鄭成功の母親は田川という苗字の日本人であり、延平郡王祠の表札は蒋介石自筆のもので、二人とも中国大陸から逃れてきた誼だろうかと思った。

夕方5時頃には、台湾第二の大都市・高雄に着く予定だったが、高雄に近付くほど高速道路の渋滞がひどく、予定より2時間近く遅れて、パーティ会場の高雄のホテルに着いた。



韓・台の発表者は流暢な英語とハイテク駆使


〈第6回アジア太平洋NGO環境会議(APNEC6)〉

11月2〜3日の2日間、APNEC6が開かれた。会議の詳細は省略するが、印象に残った点のみ紹介する。まず、開会式に陳水扁大統領が来て挨拶されたが、中国からの参加者はビザが下りず、出席できなかった。中国と台湾の厳しい政治関係を表していた。

次に、アメリカのラジオ・テレビ製造企業のRCAが建設・操業していた台湾桃園県の工場跡の土壌・地下水汚染と労働者の職業病に関するビデオが上映された。現在、台湾の世界のノートパソコンの7割を受託生産しており、桃園県の南にある新竹県のIT工場団地では、深刻な地下水汚染が発生している。

台湾や韓国の発表者は英語が上手であり、パソコンのパワーポイントを使った発表が多く、ハイテク台湾を感じさせた。

私の発表は「東アジアの金属鉱山・製錬所による鉱害」だったが、同行取材の朝日新聞の女性記者に「関西人の英語で全発表中一番わかりやすかった」と、帰国後の朝日新聞に女性記者が書いたように、「喜ぶよりも恥ずべき英語」だったのだろう。なお、以前訪問した上海と同じく会議中の昼食と夕食はご馳走攻めだった。



かつて日本企業が建設した化学工場がいま汚染源に


〈台湾湿地・潟湖の現地視察〉

11月3日は、「台湾湿地的美麗與哀愁」と題するバスによる現地視察であった。まず、台湾中部の嘉義県南部にある「二仁渓・三爺渓口」という台湾で最も汚れている中小川を見た。 上流に中小工場が多数あり生活排水も流入し、水は真っ黒で悪臭が漂っていた。 次に、その付近で水生植物を使った水質浄化実験施設を見た。ヨシ、ガマ、ホテイアイなどの生育場所に生活排水を流入させて、浄化後の水は隣のバナナやココナツ畑の潅漑水に利用されていた。その後、植民地時代に日本が造成した塩田跡の「四草野生動物保護区」を訪れた。塩田の畦に塩が残るところだが、サギやシギ類の水鳥が少し見られた。

次は、安順廠という化学工場跡を訪れた。1942年に日本の鐘淵化学が建設した化学工場で、1982年まで40年間にわたりカセイソーダやペンタクロロフェノール(PCP)を製造していたが、最近、高濃度の水銀とダイオキシンにより敷地土壌や地下水が汚染していることが分かった。工場周辺にはエビやウナギの水産養殖池が多数あり、養殖魚の汚染が心配される。

昼食を台南県の七股海岸のレストランで摂った後、「鹽山」という塩田跡に作られた人工の塩山を観光した。塩田はまもなく廃止される予定で、外国から岩塩を輸入して巨大な塩の山を野外に作り、観光名所にしている。硬く結晶化した岩塩なので、雨が降っても少ししか溶けないという。

写真1 竹筏遊潟湖のカキ養殖場(筆者提供)
次に、琵琶湖の2倍以上の面積1500haもある竹筏遊潟湖を訪れた。水深は0.5〜10mと浅い干潟湖で、湖全面がカキ養殖場になっており(写真1)、竹ならぬプラスチックの太いパイプを筏状に組んだ観光船で湖上遊覧した。生カキを試食させたりするが、水質は悪いので、食べるのは遠慮した。干潟湖と外海を隔てる砂州まで行き、砂浜を手で掘って変わった小さいカニを見せたり、波高い台湾海峡の外海を見たりした。最近、河川上流にダムが作られて、砂が干潟に流入しなくなったために、砂州が痩せ細ってきたという。

最後に、貴重種の黒面琵鷺(クロヅラヘラサギ)という顔が黒く、嘴がへら状のサギがたくさんいる海浜の保護区賞鳥亭を訪れた。薄暗くなってきた夕方なので、見にくかったが、数百羽の黒面琵鷺が沖合に並んでいるのを見ることができた。

ホテルに帰着した後、明日の雲林県のカドミウム汚染調査を案内してくれる台湾環境保護連盟の李秀容さんが、高雄の夜市に招待してくれた。食べ物屋台や露店が立ち並び、昔の日本の門前市や祭りを思い出させ、楽しい一夜を過ごせた。                 



現在進行中のカドミウム汚染現場を見る


〈雲林県虎尾鎮のカドミウム汚染調査〉

11月5日は台湾中部の雲林県虎尾鎮のカドミウム汚染調査にアジア経済研究所の寺尾忠能氏と行った。調査の発端は、昨年11月に北九州市で開かれた「環境再生NGO国際会議」で、台湾環境保護連盟の李秀容さんが「カドミウム米事件からみた台湾の公害鑑定及び公害処理モデル」と題する発表だった。その時、李秀容さんと私は知り合いになり、今回の台湾行きに当たり、現地案内をお願いした次第である。

高雄のホテル前から高雄教師生態中心(教師の自然保護グループ)の傳志男先生の日本製マイカーで、高速道路を経て雲林県虎尾鎮に向かった。虎尾鎮には、日本が作った台湾製糖の鉄道引込線付きの大工場が現在も操業し、周辺にはサトウキビ畑も残されていた。 現地の廉使国民小学校に全員集合した。私の肩書きは、日本神通川カドミウム汚染整治専家であり、雲林県周辺の大学教授、律師(弁護士)、立法委員(国会議員)秘書、環境保護署や雲林県などの行政機関、水利会(水利組合)代表、小学校の校長や教職員、被害農民、通訳の林鉄錚さんなど、総勢約20人にも及んだ。
写真2 酸洗い処理したカドミウム汚染農地(筆者提供)
とくに、林鉄錚さんは、台中市出身で1947年に早稲田大学応用化学科を卒業後、中国科学院大連化学物理研究所に務め、台湾民主化後に故郷の台中に戻られた異色の経歴だった。

小学校で「日本イタイイタイ病」のビデオを李さんの解説で視聴後、汚染源の「台湾色料廠(染料・顔料・プラスチック安定剤など製造)」、排水溝、汚染農地などを調査した。工場は30年以上前から操業し、無処理のまま排水しており、汚染問題が発生後も無処理という。休耕の損害賠償交渉で一部の被害農民は和解したが、今回の案内の被害農民は不服で訴訟を準備している。土壌と産米のカドミウム汚染だけでなく、住民の尿検査でカドミウム腎症と見られる異常者も出ている。汚染土壌の復元方法に酸洗い処理を採用したが、うまくいっておらず、むしろ土壌の酸性化と不毛化をもたらしている(写真2)。




引っ込みじあんの日本を“代表”して歓迎会でカラオケをうたう畑さん(左端)
現地で夕食後、弁護士のマイカーで台中まで行き、台中から鉄道で台北に戻った。11月6日の午前中に台北の故宮博物館に行くつもりだったが、疲れていたので、早めに空港へ向かい午後の便で帰国の途についた。中国と台湾は漢字の国であり、日本で使う漢字の音読みに近い発音であり、意味もほぼ同じである。

この理由は、日本人が中国に留学して漢字を輸入し、日本語化したためであろう。日本人・中国人・朝鮮人は、顔形や髪色など外観も似ており、遺伝子的にあまり差がない。ちなみに、私は上海や台湾で中国人と間違われた。英語でなく漢字による交流をしたいものだ。