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《アジア初の「水銀国際会議」水俣で開催》
 《水俣病展》


発症の地で初めての開催
遺影の展示に難色示す関係者も
新たに13人の追加展示も実現

「国際水銀会議」に先立つイベントとして開催されたのが「水俣病展」。水俣フォーラム(理事長= 栗原彬・立教大学教授)主催による11回目のものだが、水俣病発症の地・水俣での開催は初めてで、ネーミングも「水俣展」から「水俣病展」に改められた。




4387人の全来場者のうち80%が水俣市周辺から

展示はゆったりとしたスペースで行われた
同展は水俣市立総合体育館で10月12日から21日まで10日間開催されたが、主催者側によると会期中は4387人が来場し、その80%が水俣市を中心とする水俣病被害が大きかった市町村からの来場者だったという。
今回の最大の特徴は、水俣病が発生した"震源地"で開催されたという点にあり、発症後50年近い年月を経ても、今なお患者およびその家族が現存していることで、これまでの他の場所での開催とは異なるデリケートな要素ももっていた。
その一つが記録映画作家の土本典昭さんが夫人とともに第1回東京展の時から集めた水俣病によって亡くなった患者約500人の遺影展示。しかしながら、地元での開催ゆえに家族など関係者が主催者側の要望を拒み、主催者側は最終的に説得は困難と判断して、難色を示した78人分の遺影については黒い紙で覆って開催に踏み切った。

しかし、一部の患者団体は納得せず、主催者側に抗議したが、結局、平行線のまま会期中、78人の遺影と、被害者が直接撮影されている桑原史成カメラマンの写真は黒い紙を張られたまま"展示"された。
これについて地元紙は「遺影の思い伝わらず」とか「死者に愚ろう」などと報じたが、主催者側は「かなり前から関係ご家族にはアンケートなどお願いし、筋を通してご理解をいただく努力をしてきたつもり」(栗原理事長)としており、逆に、患者家族で水俣資料館の語り部である開田理己子さんは今回、新たに13人の遺影を遺族の了解のもとに集め、展示したということも実現した。

関係者の意思で78人の遺影は黒い紙で覆われた
会期中、会場に詰めていて、自らも抗議に対応した土本典昭さんは「そもそも最初に遺影をお借りする時から始まって、これまでの経過を踏まえても一部の方々のご理解を得られなかったのは残念至極だし、一部の報道も真意を理解していただいていなくて残念としか言い様がない」と語り、さらにもう一方の当事者の桑原史成さんも「我々プロのカメラマンの立場から言えば、肖像権、著作権とも関係し、今後もつきまとう問題。慎重に検討したい」と語った。
そして、同展を手伝ってボランティア活動初体験をしたという地元の中学生たちは「出したくないという人たちの気持ちは分かるけど、水俣病問題は水俣市にとって永遠の問題。自分たちより小さい子の写真を見て、強く感じるものがあった」という若い人たちの声も現実のものだった。

全体的には「開催した意義はあったし、開いて良かった」という吉井正澄市長のコメントに代表されるが、「水俣病は終わっていない」とされる一端の事実現象といえよう。





若い人たちが開催の意義を理解してくれた−土本典昭さん

ボランティアを買って出てくれた中・高校生たち
12月末、改めて 土本典昭さんに電話を入れると次のように話してくれた。
「抗議に来られた石田さん(勝氏。水俣病患者平和会会長)とも再度お会いし、話したが、お互い立場が違うが苦労するねということをおっしゃっていた。やはり地元・水俣での開催ということで、他の場所とは同じレベルで考えられないことがあった。今後(他の場所での)の展示については快く理解してくれた。全体で言えば、今回の水俣病展は成功であった。とくに中・高校生の若い人たちがきちんと受け止めてくれたことが嬉しい」





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