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《アジア初の「水銀国際会議」水俣で開催》
 《総  評》


《「水銀国際会議」で明らかになった衝撃》

新病像論の確立によって態勢の抜本的な見直しを
世界注視のなかでの英断と実行を示すべき時期だ

最初にお断りするが、筆者は水俣病の専門家でも研究者でもない。「水銀」あるいは「水俣病」研究という点では表層を追ってきただけのまったくの素人である。しかも、今回の「水銀国際会議」は全ての発表が英語のみというハンデもあった。しかし、それらの"悪条件"を割引いても衝撃を受けたのは"今や我が地球は水銀にも汚染されている"という事実を知らされたことがこの「水銀国際会議」に参加した最大の効果であった。我々の水銀中毒に関する知識は「水俣病」におけるメチル水銀中毒が原点といってよい。それ以上のことには思いもよらず、むしろ一般的には水銀汚染については諸対策が講じられたことによって下火になっているという認識が固定的になっているのではないだろうか。


しかしながら、つたない英語力ながら配られたアブストラクトを読んだり、発表を聞いたり、ポスターセッションを見て理解したことは「地中、水中はおろか大気中にも今や水銀は存在している。我々が住む地球という惑星全体が水銀で覆われている」という現実が否応無しに分かってしまったということを衝撃と言わずに何と表現すべきであろうか。 しかも、それらに関する我が国の研究はアメリカやヨーロッパに比べて"大幅に遅れている"ということである。世界の水俣病(メチル水銀中毒症)研究者にとって、「ミナマタ」はまさに聖地であり、それ故に水俣病研究では一等地を抜いていたはずであり、我々一般国民もそう思い込んできたこの既成概念はもろくも崩れてしまったわけだ。 それが明るみに出たことが水俣水銀会議の最大の成果だ、というシニカルな論評もできようが、筆者の実感はそんなものではない。片や環境ホルモンが続々と"登場"しており、我々はどのような手立てで自らと子孫たちの生命を守れば良いのであろうか? 会議トータルの成功は同感であるはあるが、それを差し引いても余りある厳しい現実に愕然としたのが"総評の総評"と言わざるを得ない。以上が第1の特徴点。


"真の病像論"確立へ低次元の確執は終焉すべきだ

その第2が水俣病の「病像論」に対する決着がつかないばかりでなく、その論争が再燃しそうな気配を感じたことだ。 極めて専門的なことなので深入りは出来ないし、素人が口出す領域ではないと言われればそれまでだが、取材した限りでは従来からの国の見解に対し、今回、海外向けアピールも含めてここぞとばかりに展開し、プロパガンダされたのがいわゆる"二点識別"論であり、それをもって「従来の水俣病の検診方法および患者認定方法は誤り」とズバリ主張した研究者グループの主張とパフォーマンスは、率直なところ多少鼻についたものの際立った印象を与えた。また、それに対する国(環境省)の対応は木で鼻をくくったに等しい。 そして、そういう動き(たとえば、従来の国の主張を頑固に?記念講演で展開した講師に対し、会場で質問を挑んだものの、座長に阻止され、抗議文を出した一連の動き)を海外からの参加者の多くが目撃したことは、彼らに「国内問題には干渉しない」という一定の良識があったために、会議全体の話題にはならなかったが、「そんなに大事な事がまだ決着していないの?」という感想・印象を持って帰国した海外参加者は多いはずだ。だが、そのことは副次的である。問題はむしろ、水俣病で亡くなった多くの人たち、今なお後遺症で苦しんでいる人たち、その家族や関係者のためにも国と科学者たち(もちろん医学者だけでなく関係研究者も含めて)は水俣病像論において"合意形成"を近い将来すべきではないか。時間は十分過ぎるほどかかかっている。 その結果、一部の市民や研究者、NGOグループが主張しているように「国が定めてきた昭和52年(1977年)判断材料は線引きとしての合理性も医学的、科学的根拠もない」ことが明白になったら、1977年以来の救済法、公害健康被害補償法も認定制度そのものも抜本的に見直すべきではないか。この会議を「前宣伝の割に日本の研究は新しい研究に乏しかった」と切り捨てるのか、だからこそ、これからはこうしようよと受け取るかでは天と地の違いがある。


"世界の中の日本"は水俣病でもその存在が問われる

ごく最近、小泉首相が東南ア5カ国を訪問し、「新共同体」構想を打出したが、これをどう見るかはここでの本題ではないが、ともすれば米・欧に顔が向きがちだった最近の日本に対するアジア諸国の日本への要望は我々が考える以上に強いものがある。そのことは政治の分野だけでなく、「水俣病研究」「水俣病対策」でも同様である。だから、「対策マニュアル」をまとめたのだという政府筋の声も聞いたが、とにかく、日本への期待と"水俣病先進国・日本"としての果たすべき義務はいつになっても忘れてはならない、と思うのが第3の点だ。


町ぐるみのボランティアはモデルケースを示した

目線を市民レベルに変えてみよう。
今回の「水銀国際会議」の副次的な目的として、「水俣」で「水俣病=水銀」に関する最大級の国際会議を開くことの意義を「水俣市民」に理解してもらい、賛同・協力してほしいというのが招致運動を行った国・県・市当局には強くあったはずだし、中でも吉井正澄市長はそれを強く意識していた。

そして、それは90点以上という高い点をつけても異論がないほど"成功"したと言って良いだろう。前例がないそうだが、運営委員会の「感謝のコメント」もその現われだし、とにかく町を歩いてすれ違うと見知らぬ市民から必ずと言って良いほどあいさつされた。半ば習慣だそうだが、同じ九州でもそうはいかない。1日を除いて好天に恵まれたこともそれに輪をかけたが、"暖かい水俣"は内外関係者に強い印象を与えたことは間違いない。
1−2年前から周到に準備されたいろいろなボランティア活動。市内に捨てられていた自転車を乗れるようにして、会期中は自由に利用しても良いようにしたり、通訳のボランティア、ホームステイのボランティア、昼食作りなどが外来者の目に止まったが、それらだけでなく我々の目に止まらない部分での黒子的なボランティアも多くあったはずだ。

もちろん市民全体が参加したわけではないが、少なくても白い目で見るのではなく、暖かい目で見て、市長の言う32000人という少ない人口の水俣市が"市を挙げて"取組んだことは一つのモデルケースと言えよう。この種のケースは今後、さまざまな形で日本各地で行われるはずだ。その参考例になることは間違いない。
経験から言わせてもらえば、沖縄でサミットが行われた時の沖縄各地でのまだら模様の雰囲気とは(気候はもちろん沖縄の方が暖かかったが)かなりの差を感じた。


"市民参加"呼びかけるのなら言葉(英語)にも配慮を

一方で、この会議は「学会」なのか市民参加を求めた「国際会議」なのか−によって評価が分かれる部分も残念ながら否定できなかった。ずばり「英語」の問題だ。「水銀国際会議」での報告・発表が英語のみは仕方がない。「学会」なのだから。しかし、NGOグループが行ったシンポジウムやセミナーの部分で、一般市民に参加呼びかけをしておきながら、海外からの報告者の英語を日本語にする作業が不十分であったことは残念だった。かなりの老齢の人たち、しかも身体のハンデを押して、夜7時過ぎからの開会に集まった人たちの何人かが「英語じゃ分からんけん」と言って退席したシーンを何度も目にした。もちろん、NGOも相当頑張ったことは楽屋裏での苦労と努力を垣間見たので一定理解しているつもりだが、市民に呼びかけた以上は一段の配慮が望まれた、というのは酷な注文だろうか?

関連してもう一つ。2つのグループが同時開催したということも両方が関心の強い、興味深いテーマと報告者であっただけに残念と言わざるを得ない。多分に物理的な理由のようだが、たまたま同じ建物の上と下だったので意識的に行ったり来たりはしたものの、それでは雰囲気は分かるものの、講師たちの話しを理解するには無理があった。


"来て良かった会議"であったことは間違いない

ここまで書き進んで、この「水銀国際会議」を評価するにあたって一つ思いついた事がある。奇異な表現かもしれないが、「学会」をハードとし、その他を「ソフト」と考えると、ハードはいまいちだったが、ソフトがそれを補った会議であった、というのはどうだろう。

やや辛口の感想になってしまったきらいはあるが、運営委員会ならずとも"本土"から参加した者にとっては「来て良かった会議」であったことは言うまでもない。携わった多くの関係者・市民に謝意を評し、健闘を称えたい。

【司 加人】




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