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《アジア初の「水銀国際会議」水俣で開催》
 《ミニルポ》


《活躍目立ったボランティアの人たち》

早朝から案内コーナーの開設準備をする村崎さん(右)と山田さん
JR水俣駅の改札口を出るとすぐ左側に即製のスタンド、インフォメーションデスクが目に入る。
午前8:30と早い時間だったため、"開店"準備中だったが、シャトルバスやレンタル自転車のことを尋ねるとてきぱきと応接してくれたのが村崎昌一さん(商工観光課)と山田真弓さん(選挙管理委員会)。所属で分かる通りお二人とも水俣市の職員だが、およそ役人臭さはない、好感の持てる対応だ。あとで吉井市長が自慢するのもうなづけた。

水銀会議中のボランティア活動は市役所の人たちだけでなく、一般市民や大学生から中学生まで、通訳、ガイド、裏方作業、ホームステイの受け入れなど多方面にわたった。そういえば、鹿児島空港からバスで水俣入りをしたが、到着したバス停にも数人の若い人たちがガイド役として待機していた。
ホームステイは24軒の家庭が海外からの参加者41人を受け入れたそうだし、市民通訳は1年半あまり、約30人が特訓を続けたという

さらに、蘇峰記念館(徳富蘇峰・蘆花生家)では茶道・華道・着物の着付けの体験も国際親善の一環で行った。文字通り市を挙げて国際水銀会議に取組んだと言っても過言ではない。




抗議理由や内容を説明する津田さん
《「病像」で反論。抗議文も……》

「議長、議長!…」。会議の第2日、公式予定のメインの招待講演で井形昭弘・あいち健康の森健康総合センター長(元鹿児島大学長) が講演を終わった直後に数人が質問すべく会場内のマイクのところに殺到したが、座長を務めたK.R.マハフィー女史(米国環境保護庁) は井形氏の講演時間がオーバーしていることを理由に、一切の質問を受付けず閉会。激高した数人の若手研究者が近くにいた 赤木洋勝・組織委員長に詰め寄る一幕も。抗議したグループの一人、津田敏秀氏(岡山大学大学院医歯学総合研究科講師)は井形氏の講演内容への 指摘と、質問をまったく受付けなかった組織委員会に強く抗議、合わせて 抗議文を公表した。




《一苦労した?記念プレートの張りつけ》

10月15日午後、開会式を済ませた首脳は、開催を記念して会議のロゴマークを焼き込んだ最後の1枚のタイルを張るセレモニーに。 もやい館内のスロープの路面に設置されたロゴマークは15センチ四方の陶製タイルを計20枚張り合わせたもので、 すでに19枚が張られてあり、最後の、いわば目玉を入れるセレモニーを行ったもので、S.E.リンドバーグ国際運営委員長と 赤木洋勝組織委員長が吉井正澄水俣市長見守る中、最後の1枚を張りつけたが、なぜかなかなか接着せず、 苦笑しながらしばし2人で抑えつける一幕も。 ここにも物事万事予定通りに進まない一例が…。


記念プレート(写真左)を"完成"させてニッコリするリンドバーグさん、赤木さんと吉井市長(右から)



《にぎわったポスター・セッション》

大会用語で言うところのオーラル・ポスター。文字通り発表したいことをポスターに表現し、 来訪者の質問に口頭で応じるポスター・セッションだが、定められたスペースに張られたポスターは 発表者のお国柄や人柄が良く現われている。テーマはシリアスなのに、まるでクリスマスのデコレーション のような見た目けばけばしいものから、単に文字のみをびっしり書き込んだものまで千差万別。 しかし、多くの研究者が押し合いへし合いという感じで食い入るように見たり、デジタルカメラに納めたり、 旧交を暖めたりとさまざまなシーンが繰り広げられた。また「病像論」をめぐって国・県に主張に異を唱える研究者たちの アピールには多くのマスコミが集まる風景も見られた。

カラー写真をふんだんに使ったものから、 文字だけのものまで千差万別。その場で意見交換したり、マスコミの注目を集めた浴野熊大教授のポスターセッション

ポスターセッションで説明する永野ユミさん(左)と上野恵子さん
そういう中で目を引いたのが紅二点、2人の女性がゆったりと説明するのが来場者やマスコミの注目を集めた。 テーマは「水俣病研究者と医療従事者の水俣病び対する意識と患者が望む健康ニーズ」。 在宅ケア研究会が金沢医科大学協力研究員の市原京子さん(現在ワシントン在住)と共同で、未認定を含む水俣病被害者100人と、 医師・看護婦など医療従事者260人を対象に聞き取りを行ったアンケート調査結果で、まとめた結果は
  1. 病像に対して、患者(被害者)と医療従事者に大きな差があること。
  2. 患者に対応した施策が福祉サービスに活かされているかという設問にも両者の比率は従事者の3に対し、患者は1であった。
  3. 被害者の58%が健康状態は「現在も将来も不安」と訴えた
−などが特徴であったという。
なお、同研究会は2001年、第4回「ノーモアミナマタ環境賞」、2001年毎日介護賞(熊本支局長賞)を受賞している。

*水俣在宅ケア研究会
 〒867−0008 水俣市浜4080 水俣市立湯之児病院内
 Tel 0966‐63‐4175  Fax 0966‐62‐1871




海外参加者らと交換する胎児性患者たち
《胎児性患者が海外参加者と交流》

10月18日昼前、文化会館前に設営された物産販売コーナーに車イスに乗った共同作業所「ほっとはうす」 (加藤たけ子代表)の胎児性患者5人が現われ、居合わせた海外参加者と握手をしたり、話をしたりする交歓風景がみられた。海外からの参加者の中には涙を流す人や持ち合わせていたキャンデーを患者たちに手渡したりする人も。快晴のもと、すがすがしい風景だった。

*ほっとはうす
 〒867−0065 水俣市浜町1‐13‐18
 Tel・Fax 0966−62−8080




初めは踊りを見守っていたが…
《歓迎夕食会を盛り上げたハイヤ踊り》

10月18日午後7時から水俣市総合体育館で歓迎夕食会が開かれた。約500人の海外からの参加者と国内からの参加者合わせて1000人内外が見守る中、代表者による鏡割りが行われた後、患者で語り部の杉本栄子さんを代表とする「うみと月と星の会」が1年ほど前に創作した「2001水俣ハイヤ踊り」が始まった。地元の袋小学校の児童から老人を含めた市民に「ほっとはうす」の胎児性患者も車イスで加わって、軽快で、活気のあるリズムと踊りを展開。初めは遠巻きにしていた海外参加者や国内参加者もリーダーの呼びかけに応えて踊りに参加し、すばらしい雰囲気に。

踊りの直前に、胎児性患者や踊り手全員が会場に向って英語で「ノーモア、ミナマタ・ディジーズ(繰り返さないで、水俣病を)」と訴えたのも来場者にアピールした。
踊りを創作し、日夜練習を重ねてきた杉本栄子さんは「思いきり、心をこめて踊った」と、後日、電話でのインタビューに答えてくれた。




吉井市長(右)と談笑する宇井さん(左)と斎藤さん
《水俣病研究者と水俣市長が"対面"》

「ハイヤ踊り」で盛り上がった会場でちょっとしたハプニングが。長年、水俣病を研究し、告発し続けてきた宇井純さん (沖縄大学教授)と新潟水俣病の患者の診断をいまも現役の医師として続けている斎藤恒さんの席に、歴代市長として 出色の地方行政を進めてきたと評価の高い吉井正澄水俣市長が訪れ、2人と握手、初めて直接話をした。 同じテーブルにいたスウェーデンからの参加者もこれには驚いて「あなたが有名なメイヤーですか」と言われ、吉井市長大てれ。 数分間ではあったが、水銀国際会議の隠れたハイライトの一つだった。




米国代表にインタビューする熊本放送の村上雅道さん(テレビ制作部専門部長)=中央
《地元マスコミ、しのぎを削る》

水俣における最大規模の国際会議であり、とくに「水俣病」がメインテーマであるだけに、地元の新聞・ テレビ各社の取材は現役記者だけでなく、これまで水俣病を追ってきたベテランも繰り出しての最大規模。それぞれが特集を組むため、突っ込んだ取材が目立った。




望遠レンズを操作する桑原史成さん(左)と芥川仁さん
《ベテラン・カメラマンも勢揃い》

会期中は、取材記者だけでなく、「水俣病」をレンズを通して追ってきたカメラマンたちも取材に。たまたま開会式会場では、あの桑原史成さん、芥川仁さんらこの分野では著名なベテラン・カメラマンたちの取材風景も目立った。




《水俣のマナー? 23分別のデモンストレーション》

水俣市が全国に先駆けて1993年から実施している「ごみ分別収集」が会期中、メイン会場の文化会館ともやい館をつなぐ通路で行われ、23の分別用コンテナがずらりと並び、市の環境クリーンセンターの職員が常駐、PRした。 両会場を行き来する海外参加者たちは最初は意味が分からなかったようだが、事の次第を理解すると、「23にも分けるの!」と驚きの声をあげながらも、次第に協力するようになり、食後の弁当箱を一括して渡すのではなく、開いて資源別にコンテナに捨てる作業に笑顔で協力していた。


外で弁当を食べた彼ら(写真左)は、 この後、ずらりと並べられた資源ごみ回収コンテナへ運んでいた



《東京のマナー? 環境省高官の行動》

好天続きだった水俣の天気も南からの低気圧の接近には敵わず、4日目の10月18日は朝から強い風と雨。 そんな朝、宿舎の一つであるホテルLで、会場へのシャトルバスを待っている時、目撃した風景を紹介せざるを得ない。 宿泊している海外参加者たちがそれぞれ話をしながら、シャトルバスの到着をホテルの入口付近でゆるい列を作りながら並んでいた。 そのうち、腕時計を何度も見ながら列が目に入らないのか、細身の日本人が1人、するすると前方に。 間もなく雨のためか定刻よりも遅れて来たバスになんと最初に乗り込んだではないか。明らかに見覚えのある、 東京から来ている環境省の高官である。とがめた人は誰もいなかったし、多分ご本人も無意識のまま前に出てきたのであろう (意識していたら、主催者側の、しかも本省の高官がそういうことをするはずがない!)。 重箱の隅を突つくようなことを……と言うなかれ。世の中には絶えず目が光っていることを忘れないでほしい。





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