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《アジア初の「水銀国際会議」水俣で開催》
 《特別対談》



●出席者=発言順
宇井 純さん (沖縄大学政法学部教授)
新垣たずささん (国立環境研究所環境健康研究領域
 疫学・国際保健研究室研究員)

【2001年10月18日、水俣・文化会館前庭にて】

公害研究者の大御所と気鋭の社会学者という異例の対談が「水銀国際会議」の会期中に実現した。宇井純さんの発案で行われたもので、 昼の休憩時間を利用して、会議場の前の庭のガーデンで、宇井さんが質問をする形で始まった。


◇ ◇ ◇


( 宇井 ) 今回の「水銀国際会議」に私が水俣病の歴史についてポスターセッションをしたら、すぐ近くで、新垣さんが水俣病に対する水俣市民の反応、水俣市民に対する周囲の反応という社会学的分析を出していたものですから、 実はそのへんを私自身、より突っ込んで知りたい、聞きたいということがあって、水俣病を初めてとする日本の公害被害者はほとんど例外なく差別、場合によっては地域社会の敵意にさらされるという現象の本質は何なんだろうかということを、社会学者の新垣さんにこの機会に聞いてみたいということと、私なりに勉強していたことを伝えたいということで時間をさいていただいた次第です。


アンケートに「水俣市民」の苦渋如実に:新垣

( 新垣 )とても光栄です。今回まとめた アンケートは1999年に地域振興と もやい直しに関する調査ということで、私を含めて熊大の院生、患者支援に関わってきた人、県の財団に所属している人の共通の興味・関心を出し合いながら調査をしたものです。

これまで社会学的サーベイはいろいろやられており、そのほとんどが基本的には補償を踏まえた調査というものだったのですが、今回は水俣のカッコつきの「市民」、要するに患者ではない水俣の人たちを含む1000票くらいを無記名で調査しました。

水俣病への関心を聞いたのですが−詳細はリンクした集計結果を見ていただきたいのですが−結論的に言いますと、水俣病の病名変更についての質問では、変えた方が良いか、今のままでいいかということで聞きましたら、若干、そのままで良いという部分が上回り、ほぼ拮抗した結果でした。 そして、水俣病の病名について自由記入欄への書き込みがかなりありました。一般的な社会調査において自由記入がどれくらいの割合であるのかわかりませんが、普通、無記名でこういう自由記入を設けてもほとんど書き入れる人はいないと思っていました。それだけ、水俣の人たちが複雑な意見・感情をもっているということと、 それがある程度補償の問題が解決したということで、いままで口に出せなかったのが外に出せるというか、出すようになってきたと考えられます。水俣に住んでいる人たちが自分なりの意見を表すことは、いろんな誤解を解くためにも必要なことだと私は思っています。

( 宇井 ) 私がこの報告で感じたのは、水俣病はなんといっても時間的に長いし、激烈な公害であったけれども、程度の差はあってもイタイイタイ病でもカネミ油症でも調べた限りかなり共通にあったものだから、それが出てくる日本社会の構造みたいなものについて調査した社会学者としてどのように思っているのか聞きたかったのです。

( 新垣 ) そう、まともに聞かれますと、私は何もしてませんでしたと申し上げるほかないのですが(笑い)、あえて申し上げますと、社会学で言えば、飯島伸子先生(都立大教授。去る11月5日逝去)や舩橋晴俊先生(法政大教授)が詳しい調査をされています。被害者というのは一つで規定できない。 時代だとか、その時間、状況などでドンドン変質していくわけですし、その過程でいろんな被害が出てくることについて調査されるようになってきたと思います。それでいまやっと、身体的なことから被害というのが始まってきたのですが、身体的な被害を受けていない水俣の人たち、 カッコつきの市民の人たちの被害と言って良いのか、受けたマイナスの部分をやっと捉えられるような状況になったのではないかと思っています。ここで被害は終りということも中々言えません。


伝染病ではない事実が分かっても身を潜めた理由は?:宇井

( 宇井 ) 水俣病は当初、伝染病ではないかと疑われた時期があって、患者の人たちが地域社会から受けた迫害といってもよい被害を受け、それが伝染病ではないということが分かってからでも身を潜めて生きなければならなかったということはなぜだろうということがずっと疑問として残っていた。
たとえば日本の宗教にそういうものを誘発するものがあるのではないかとか、見舞金が出た後は被害者だけが金もらってという形での嫉みで説明される部分もあるけれど、それにしても強すぎる。それはなぜなんだろうかということだ。

宗教と言えば、浄土真宗の場合には、イタイイタイ病でも経験したことなんだけど、たとえば死後解剖すると満足な身体であの世へ行けないという理由付けで解剖は拒否されて、そのために原因の究明が遅れたということがあった。こういうことは、日本社会の基礎が変わらない限り今後も同じような問題は出てくるだろう、というふうには感じます。
その他にどういうものがあるのだろうということではどうですか?


外国人に不可解な日本人の補償金に対する解釈:新垣

( 新垣 ) インド人の研究者に「被害が認められた結果、補償金が得られたのに、なぜ患者は差別され続けるのか」と質問されたことがあります。そこで別の日本人の社会学者が日本では働かずに得たお金に対して「卑しいお金」とみなされることがあると話していました。 アメリカの研究者は「お金にきれいも汚いもない、お金はお金だ」と言っていました。今の世の中で、被害の補償を何で示すかというとお米とか物ではなく、金銭。そういう意味でも正当な補償なのに、日本では卑しいと言われる現実があります。

また差別や貧困などの問題を抱えている場合、援助するのは海外では宗教団体ということが多いが、水俣病で宗教団体が動いたということはほとんど見られなかった。積極的に活動してきたのは患者支援運動組織。水俣の人たちはそれぞれの運動団体が政党とつながっているという意識をもっていて、 あの人たちは○○党だからああいう運動なんだろうとか、背景に宗教の力がない分、政治的なものが背景にあるということを気にしていて、それが患者を遠ざけることの一つになったのではないかと思います。とくに自分の政治的思想と合わないということが患者を遠ざけることにつながった面があると思います。

それからアメリカでは自然保護、環境保護などのNGOの力が強いので、わりと草の根の運動、末端のことが中央に運動がとどきやすい地盤がある。日本の場合は逆になかなか届かないけど、小さい組織で存在できる。


被害者に拭えなかった水俣病に対する恐怖感:宇井

( 宇井 )そのへんは、かつて 富田八郎の名で「水俣の漁民たち、あるいは被害者たちはこの地域社会の中でチッソと真っ向から利害が対立した初めての集団である」と書いたのですが、歴史の中で指摘しておかなければならないのは、一任派と訴訟派の分裂というのは行政が作ったわけですね。 それで、分割して支配するという形がもろに出たことがある。そして、その後も分裂させようという圧力は常に働いていた。日本はそういう社会であると、私は規定したんですが、それにしても初期の伝染病でないことが分かった時の疎外の強烈さは想像を絶したものでした。 杉本栄子さんたちが体験したことなんかは「なぜ?」と聞き返したくなるような中味のものでしたね。

私自身の体験で言えば、たとえば御上に楯突くとこうなるんだという激しい圧力が身内の同僚、あるいは同じ差別されている側から来るものではありますが、それにしても水俣の場合は説明がつかない。じゃあ、なにで説明がつくのかと考えて、一つは周辺の漁村部落で経験したのは恐怖感ではないか。 自分も(水俣病に)やられるかもしれないが、それをどうしても認めたくない。あるいは、なったら大変だ。生きてゆけなくなる。その恐怖感が表に出ている被害者にぶつけられたのではなかろうか。

( 新垣 ) 確かに、そういう部分はあると思います。魚は漁民だけが食べたのかと言うと、水俣の人たちは多かれ少なかれみなさん召し上がりますし、野菜だけのみそ汁といっても、だしはイリコを使っているということで、口にしてきている。 たとえ魚が好きでないとおっしゃっても外国人に比べたら考えられないくらいみなさん召し上がっているのですから、自分の身に、今はなくても将来、何かしら起こるのではないかとか、女性の方がとくに心配するのは自分の子どもや孫に何か影響があるのではないかとかなどと気にしてきました。潜在的にどこか不安があったとみなさんおっしゃいます。 そういうことに関して、今はリスクアセスメントとかリスクコミニュケーションとかで狂牛病の問題にしても、情報をできるだけ公開する動きや、問題発生後のトラウマなど精神的なケアにも目がむけられていますが、当時の水俣は情報が流れないということと、潜在的な不安を持ったまま、 とくに年配の女性は台所をあずかったということがありますから、自分が家族に魚を食べさせてきたという念が強いので、声にして表に出せないんですが、不安や恐怖心は感じていると思います。

( 宇井 ) 女性が根強く持つ不安というのは、 森永ヒ素ミルク事件の時にもあったわけですね、親が子どもに毒(ヒ素入りミルク)を盛ってしまったという悔恨というか…。だけど、なりたくてなった病気ではないのに、周囲からこれだけ迫害される原因になる社会というのは、全体が貧しくて精一杯に生きるしかなかったのか、 もう一つ掘り下げて考えてこなかったと思うのですが、そのことは一応説明したとして、次に、魚を食べなかった人たちの水俣市民の間に病名を変えて欲しいとかいう動きが出てきたわけだけど、このへんについて話してくれませんか。


病名変更の要望が少なくなったのは社会的認識の変化か:宇井

( 新垣 )病名変更ということでは、いま現在もそういうアクションがあります。
今回のアンケートの中で分かったのは、1970年代にとくに観光業の人たちを中心に、観光に響くので病名を変更して欲しいという動きがありましたが、今は環境都市ということでやっているので、病名を変えたいとおっしゃる観光業者はあまり聞かない。観光業者の人はエコツアーとか水俣病のための修学旅行ということで、 逆に水俣病が観光資源になっているのですね。ただ、着工中の九州新幹線の駅名には水俣ではなく、不知火駅だとかを希望しているようです。

( 宇井 ) ということは、日本の中での水俣という形で、病名変更を含めて日本社会が水俣に持っているイメージみたいなものがある程度そこからつかめたかどうか?


今の、多面的な「水俣」を見て欲しい:新垣

( 新垣 ) 「水俣」というのは、いろんな要素を持っていると思うんですよ。もちろん、汚染した現実もあります。しかし、今は水俣病だけでなく、温泉があったり、山があったり、海があったりという素晴らしい自然環境を持っていますし、おいしいものも食べられますよというように。私はとても魅力的な町だと思っています。 したがって、多面的な水俣−外から見る人は水俣病かもしれませんが−のいろんな面を見て欲しいと思うんです。
患者さんについてですが、涙なくしては語れないようなことがそれまでの歴史の中にはあるのですが、それらを克服して、と言い切って良いか分かりませんが、受け入れて自分なりに表現している杉本栄子さんとか 浜元ニ徳さんとかのような存在もあるわけで、多様な患者像、多様な水俣の姿というものを水俣病を含めてもっと外に出してほしいと思います。

( 宇井 )それは、外から来た人間が見るならば、 谷川雁が居たにしても、こんな小さな町からどうして 石牟礼道子川本輝夫、浜元二徳のような人たちが出てきたか天下の英雄才子佳人ここに、集まると不思議な感じがすると思うんですね。これについて私は、いわば日本の社会の下層がもつ底力からきているのではないか、と思うのです。これは日本の住民運動の特徴ですが、学校の先生だとか、 地方の商店などの中産階級の下層から運動が出発して、農民・漁民に広がっていくというのは、実はアジアの各地で進行していることなんですね。それがアメリカやヨーロッパの連中には理解できない。向こうではある程度生活に余裕のある中産階級から自然保護運動は出発してきている。 よく運動の分析をやるときに、アジアは違うんだという議論をするけど、そういうことを含めての水俣の多様性はここの遺産の一つだろうと思う。
しかし、実際の問題として、たとえば周辺の社会から水俣市民がまた差別をされるという現象はあるわけで、それはどういうところから出てくると考えますか?

( 新垣 ) 一つは、さきほども話したように、メチル水銀の汚染を原因とした病名に地域の名前がついてしまったことで遺伝病とか伝染病といった病気への偏見−要するに誤解とか無知から来るものです。それともう一つは当時患者はそうしなければならなかったのでしょうし、 水俣市民もそうなんですが、昭和30年代当時というのは市の大部分の人たちが患者さんと会ったことがないというんですね。もっとも、その当時の患者は100人にも満たなかった、ある一地域の問題であったわけですが、それがドンドン大きくなって、一般の市民の人たちはテレビとか新聞で知ったということだったわけです。 とくに、NHKの「日本の素顔」という水俣病患者を初めて報道した番組で劇症患者が放映されたのですが、この映像は今でも水俣病に関するニュース報道の時に使われているほどで、その時の強烈なイメージが水俣病を知らなかった人たちにも焼きついて、これが水俣病に対するイメージとなり、激しい症状が水俣病という強烈なイメージになってしまったのかもしれません。


「水俣病」は本当は「チッソ病」だ:宇井

( 宇井 ) 実際には不知火海全体が汚染されてしまって、地名的に言えば水俣どころではないのだけれど、むしろ正確な病名というならチッソが引き起こした病気なので「チッソ病」と言うべきなんだが、日本全体としてはそういう理解はないな。

( 新垣 ) ないですね。とくに、小学校の教科書で日本の4大公害ということで(水俣病というネーミングは)みなさん知っていますから、水俣病の存在も水銀が原因だとかは分かっているのですが、具体的にどういう症状なのかとか、本当の原因な何かなどは知らないですから、どうしてもイメージが先行してしまうのでしょう。

( 宇井 ) 小学校の教科書に公害のことが出るようになったというのは前進には違いないが、ただ、実際にはかなりデリケートと言うか、恐る恐る扱っていますね。それよりもあった事実としては否定できないところまできているので、やっと19世紀にあった 足尾鉱毒事件と同じような捉え方になってきたということは言えるけどね…。


「水俣病」は歴史でなく現代そのもの:新垣

( 新垣 )私が水俣で話しを聞いて思ったのは足尾はもう"歴史"になったように感じました。患者がいないというか、その時を経験した人がいらっしゃらないので、過去の事実を紐解いているように思えました。しかし、水俣にはまだ患者の方も大勢いますし、 状況を知っている方々もみなさん水俣に住んでいらっしゃるという現実がありますので、地域の中ではまだまだ現実の問題であり、決して歴史になっていない、かなりデリケートな問題であるということも合わせて理解していただきたいんですね。「過去の問題」ではない。被害ということを考えた時に、 どこで被害は解決するかとか、被害がなくなるかという定義も難しいのですが、今の状況というのはまだまだ被害が続いている状況だと思っています。
ですから、プライバシー、人権などへ最大限に配慮しなければいけない問題だと思っています。

( 宇井 )まったくその通りだと思うけど、これまで「これで(水俣病事件は)終わりました」という宣言は何回もされている。誰がしたかというと、熊大の先生方であり、政府もやった。95年には時の首相がこれが最後ということを言っている。 が、私は、自分たちの主張が多数意見になるのはまだまだ先のことで、恐らくは私の生きている時代にはそうならないと思っている(笑い)。自分たちは、これまで少数者として関わってきたんだし、公害の被害者も少数者として関わらざるを得なかったというのが日本の現実だと思うんです。

( 新垣 ) 何をもって水俣病を終わりにするかということなんですが、多分、補償の形がつけば終わりだとか、病像がはっきりし、被害を立証できれば、因果関係がはっきり分かれば終わりだとか、みなさん水俣病終焉のイメージはいろんなふうに持ってきたと思うのですが、 でも、それらを一つ超えた、一つ超えたとういう時に、やっぱり終わっていなかったという、どこかすっきりしないということを感じてきているのが現実だと思うんですね。


これからの地球環境問題左右するのはNGOの力次第:宇井

( 宇井 ) 国際的には、たとえば新古典派の経済学者が言うように、金で補償できるもので全部終りだと、だから ローレンス・サマーズの言うように途上国の貧しいところに公害企業を持っていけば補償も少なくて済むし、経済学的にはその方が正解なんだという議論も出てくる。そこには公害で苦しむ人間はまったくいないし、補償できる相対的損失だけが被害であるという理論なんで、これで解決しましたというのが解決しないで、逆に広がっていく。
私の理解は、地球環境問題というのは個々の公害問題が拡散して地球全体になってしまったという 判断ですが、それではそういう時に、どういう運動なり勢力なりで公害と闘うかということとなると(日本は)国民の主権国家ではないという結論なわけです。たとえば、地球温暖化問題の議論がいい例だが、アメリカのような主権国家が国内のいろんな利害関係によって横車を通し勝手に動くということはこれからもあるだろう。 そういう時に、その動きを抑えて何かの合意に達するというのはNGOの合意以外にないだろうという見方をとっている。このことは未来にもつながる大きな問題だとは思う。





―― 良い機会なので、年令的には親子のようなお二人の話を聞いて感じたことは、研究の後継者問題ということです。とくに、議論された水俣病問題について、それこそ研究という上でどう引き継がれていくのか、ということも大事なことだと思うのですが、お若い新垣さんから伺いましょうか。


水俣病研究の後継の一員に社会学者の出番も:新垣

( 新垣 ) とくに、宇井先生のように昭和30年代の現場を知らないわけですし、私が水俣にきたのは5年前で、埋立地もきれいに埋立てられていましたし、いまの水俣の状況、要するに汚染の形跡のない水俣、チッソの汚染源のプラントももうなくなっていましたし、 そういう意味で水俣から水俣病発生時の痕跡がどんどんなくなっていました。 したがって、宇井先生や 原田正純先生たちとは違った見方ができるのではないかと思っています。当時の現場を知らないことが弱みでも強みでもあると思うんです。いい意味で、思い入れがないという表現をする人もいますし、逆に思い入れがない分、見方が弱いとか甘いとかと言われることもあります。
とくに、もう一つ面白いなと思っているのは、発生当時というのは、あまり社会学者の出番がなかった。医学とか工学分野の研究者がほとんどでした。私は、社会学者の出番が遅すぎたと思っているのですが、やっと社会学の人たちが入れる状況があると思うんです。

( 宇井 )分かりますよ。私たちは劇症の患者をナマで見てしまっているから、それから離れるというのは難しいですね。

( 新垣 )社会学者はマスコミの後から来たとも言われていますが、それはいまさら言っても仕方がないので、次に水俣で活かせることを社会学者の人たちが考えていかなければならないのではないかと思います。


―― ありがとうございました。いずれにしても、お二人の益々のご活躍をお祈りします。






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