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難しい「子供の健康」と化学物質の関連付け

望まれる慎重さ。誤った分析値の公表は害を拡散するだけ

= 第5回「環境ホルモン」国際シンポに出席して =

三菱化学株式会社 西川洋三   


会場からの質問も熱心に行われ、講師との間でシリアスなやりとりが行われた



環境省主催の第5回「環境ホルモン」国際シンポジウムが2002年11月26日〜28日、広島国際会議場で開催された。 西川洋三さん(三菱化学)が出席した感想を以下のように寄稿(写真も)してくれた。






◇     ◇     ◇     ◇




主要テーマは「子供の健康」


今回のシンポジウムの主要テーマは「子供の健康」と「甲状腺・カエル」である。 この2つがテーマになったのは次の理由によるものであろう。

「環境ホルモン」の次は「子供の健康」が問題になるのであろうと予想する人が多い。私もその一人である。 子供にアトピー性皮膚炎が増えている。 落ち着きのない子供が増えている。これらのことに化学物質が関係しているかもしれないという問題である。 化学物質が関係しているとは、私は思わない。しかし、関係していないという証明も難しい。これからは難しい問題が多くなる。

オタマジャクシがカエルになることを変態という。この変態は甲状腺ホルモンの働きで起こる。 甲状腺ホルモン作用の検出にカエルの変態が使われることから、「甲状腺・カエル」とくくられる。 シンポジウムの開催地にある広島大学には著名な両生類研究所がある。「甲状腺・カエル」がテーマに選ばれたのは、 開催地が広島であったこと、甲状腺ホルモンは子供の健康にも関係していることが理由であろう。

テーマの選定は適切であったと思う。しかし、昨年にくらべて、この分野での新たな進展があったとは思えなかった。 進展があったからテーマに選定したというより、今後これらのテーマを問題にしますよ、 これらのテーマに予算をつけますよという予告であろう。


個々の講演のなかで印象に残ったのは、聖マリアンナ医科大学の岩本教授の発表と横浜市立大学の平原教授の発表であった。 前者は良い意味で、後者は悪い意味で印象に残った。この2つについて紹介する。





「日本人の精子数」  聖マリアンナ医科大学教授・岩本晃明



デンマークのスカケベック教授らの提唱によって、男性生殖機能の大規模な国際共同研究を行なっている。 この研究では正確な比較をするために大変な気の使い方をしている。この点に私は印象深く感じたのである。

岩本教授からは日本での生殖機能調査結果の紹介があった。次の表は、妊婦の配偶者352名と若年男性335名についての平均値である。

平均年齢
禁欲期間
時間
精液量
ml
精子濃度
×106
運動率
%
妊婦の配偶者31.72133.3121.555.7
若年男性20.474.62.871.758.4

若年者の方が精子濃度は低いのかと思ったが、岩本教授の説明によると、 これらは生データであり禁欲期間などの補正をしない比較はできないと慎重である。補正とは、たとえば次のことがあるそうだ。 正確な比較をするというのは難しいのですね。
禁欲期間による補正。禁欲期間が短いほど精子濃度は少なくなる。
検査技師による補正。同じ精液でも検査技師によって結果に差が出る。
国による補正。日本の検査技師は精子濃度を高く計算する傾向があるとかの補正。
経時的な補正。同じ検査技師でも経時的に検査傾向が変わることがある。 この補正に時間がかかるのでまだ生データしか示せないとのことであった。

また、禁欲期間による補正に関連して会場から次のコメントがあった。
前回射精時から試料精液採取時までの禁欲期間だけでなく、前回射精時までの禁欲期間も関係する。
若年者は禁欲期間を正直に答えないことがある。





「尿道下裂とビスフェノールA」  横浜市立大学教授・平原史樹



「尿道下裂児を生んだ母親の血中ビスフェノールA濃度は0.82 ng/mlで、 一般妊婦の血中ビスフェノールA濃度である0.40 ng/mlにくらべ約2倍高いことが明らかになった。」という内容である。 この発表が本シンポジウムの目玉として扱われプレスにも紹介された。11月29日朝刊各紙に掲載されたので、ご存知の方も多いと思う。 なお、尿道下裂は男性生殖器が十分完成せずに生まれる異常である。

しかし、この研究には基本的な欠陥がいくつもある。日本の環境ホルモン研究によくみられる欠陥である。 こういう研究が目玉となるのが本シンポジウムの特徴である。どういう欠陥か以下に説明する。


1. ビスフェノールAを犯人と決めてかかっている

尿道下裂が生じる原因には、多くの要因が関係しているはずである。 ビスフェノールA(BPA)に的を絞るという科学的な理由はないにもかかわらず、BPAだけを測定している。

仮に、BPAが原因であるという作業仮説に立つとしても、他の要因についても調査しておかないと解析のしようがないであろう。

日本人の尿道下裂の発生率は西洋人の1/10である。私なら、なぜ発生率が10倍も違うのかを検討できるような調査を行なう。


2. ビスフェノールAをダイオキシンと同じにしないこと

PCBやダイオキシンは体内半減期が10年程度と長いから、1回の測定値を生涯の暴露状況の指標として使える。 しかし、BPAの血中半減期は6時間と短い。BPAの新たな摂取がなければ12時間後には1/4に、24時間後には1/16の濃度になってしまう。 1回測定しただけではその瞬間の濃度しかわからない。

おそらく、平原教授はビスフェノールAとダイオキシンの違いがお分かりになっていないのであろう。


3. 対照群のとり方が間違っている

数年前に尿道下裂児を生んだ母親は、数年前に正常児を生んだ女性と比較すべきである。妊娠中の女性と比較するのはおかしい。 比較すべきでないものを比較している。

尿道下裂児を生んだ母親には、16年前に生んだ母親も含まれている。現在の血中BPA濃度を測定しても、 16年前の血中濃度を推定したことにはならない。


4. 分析方法が正しくない

この種の研究は、分析値が正しいことが命である。分析値が正しければ、データは何かの役に立つかもしれない。 しかし、分析値が間違っていれば害を撒き散らすだけである。

分析手法の正しさの検証がきわめて重要であるが、この研究には検証に力を入れた跡がみられない。そう考える理由を以下に示す。
BPAは血中では大部分グルクロン酸と結合している。女性ホルモン作用を示すのは結合していない遊離型BPAだから、 今回の調査では遊離型の濃度が必要である。しかし、BPAの暴露量と関係があるのは結合型と遊離型の合計量である。 したがって、結合型と遊離型の両方を分離して知りたいと考えるのが普通である。しかし、結合型については何も説明していない。 平原教授はBPAがグルクロン酸と結合して存在することをご存知ないのだろう。
分析方法はELISAを採用している。しかし、ELISAでは遊離型だけでなく結合型も反応するとされている。 結合型がどの程度反応するかについての検討がされていない。
  【参考文献:K. Inoeu, et al., J of Chromatography B, 773(2002) 97−102】
信頼度の高い分析法はLC/MS/MSである。この分析法によると、 ヒトの血中や尿中ではBPAの大部分(99%)はグルクロン酸と結合した状態で存在すること、また、 平原教授が報告したような高い濃度では遊離型のBPAは存在しないことを示している。
  【参考文献:W. Volkel, et al., Chem Res Toxicol, 15(2002) 1281−1287】