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= 岩手大学で「小繋事件の現代的意義」シンポ =

半世紀前に決着した訴訟事件にスポット
 
“「入会権」の見直しは山林の環境保護につながる”





開会にあたり主催者あいさつをする玉真之介・岩手大学教授(左端)
入会権をめぐり半世紀にわたった裁判事件・小繋(こつなぎ)事件の「現代的意義」を議論するミニ・シンポジウムが2002年11月8日、盛岡市の岩手大学で開催された。

このミニ・シンポは、関連資料や文献の散逸の防止と大学の一研究機構として充実・発展を目的に昨年設置された小繋文庫設置検討委員会の主催で開かれたが、同委員会はこの東北の小山村で起こった事件の教訓である“入会型の管理・利用”はこれからの山林の再生対策の一環として、有力な手段となるという新たな問題意識で開催したとしている。

早坂啓造・岩手大学名誉教授の司会により、3人のパネリストがそれぞれの立場からコメントした。以下はその概要である。

【文責:司 加人】







林業や地域環境問題に入会的管理は欠かせぬ発想だ: 早坂さん



進行役を務めた早坂啓造・岩手大学名誉教授

パネリストの発言に先立ち、司会役を務めた早坂啓造さんが「事件の訴訟判決が下って40年以上たったが、今、この小繋事件を、 現代の問題と結びつけ、どう位置付け、この事件の教訓をどう活かすべきかを考える時期ではないかと思う。 このままでは歴史の向こうに閉ざされがちだ。今でこそ入会(権)を現代の動きと位置付けるべきではないか。海外、 とりわけ東南アや欧州でも同様の考えや動きが起こっている。林業や地域環境問題を語るには入会的管理など欠かせぬ発想だ。 そういう観点から、きょうは歴史としての入会問題、現代の内外の動きとの関連、そして開発途上国における入会権の問題という興味ある三つのスタンスから、 それぞれの先生の話しを伺いたい」とのあいさつ。3人のパネリストの話に移った。





農林業の空洞化などは裁判後に起こった
 
若い研究者の今後の研究に期待したい



◆ 「小繋事件裁判の今日的意義と課題」 = 竹澤哲夫 (小繋事件弁護士)


小繋事件の弁護を20年にわたり務めた竹澤哲夫弁護士
  • 小繋事件を振り返ると、昭和30年10月に政治弾圧があった。その際、(弁護を)私が属していた自由法曹団でやれという依頼があった。 以来、2審、3審、上告審に関わり、結局刑事と民事で各10年、計20年にわたってこの事件に携わってきた。私自身の弁護士生活は53年目になる。

  • 小繋事件の民事事件は、正式には「共有物分割請求訴訟」と言われるもので、昭和50年12月22日に調停が成立するまで20年間、裁判所を間にはさんでかかった。

  • なぜ、民事・刑事事件が起きたかということだが、刑事事件は昭和30年に小繋部落の農民が自分らの住んでいる周囲の小繋山に入って、薪を取ったり、 家を建て直すための木を切ったりしたのは森林窃盗、泥棒だ。他人のものを盗んだんだということで森林法違反、そして、 その切った木を運ぶのを手伝ったということで贓物(ぞうぶつ)運搬罪として逮捕、起訴された。

  • したがって、刑事事件における主張は小繋部落には入会権という権利がある。自分たちの山のものを取って、なぜ他人のものを盗んだことになるのか? という、きわめて単純なことだった。しかし、一度は無罪になったが、2審で有罪になり、最高裁でも結局有罪が確定した。 それが10年かかり、昭和40年に刑事事件は決着がついたということになるわけだ。

  • 一方、民事事件はどういう経過だったかと言うと、昭和28年10月11日に仙台高裁で調停が成立しているが、これもそもそもは入会権があったが、 そこに鹿志村が入ってきて、何の争いもなく鹿志村が自分のものとして扱ってきて、それに文句が出なかったから完全な所有権を取得したというのが理屈だった。 あったものは時効によってなくなったという理屈だった。しかし、昭和21年になり、世の中変ったんだからもう一度(訴訟を)やり直そうということになり、再審を起こした。

  • いわゆる「28年調停」は、突き詰めると、小繋村民に対し、入会権を将来にわたって放棄せよ。 その代わり名義所有者は合計150町歩を彼らに贈与しろ、というものであったが、これに対し、約80戸の村民たちはほぼ半数ずつの割合で賛成派と反対派に分れた。 以後、村は二分され、長い間争いが続くことになるわけだ。

  • これに対し刑事事件は、初めは原告だった山本善次郎が途中で訴訟資金を金貸しからかりて調達したことからより錯綜した。 【注】訴訟の経過は小繋(こつなぎ)事件にリンク、参照のこと。



    入会権とは山村農民の生きる権利”だ


  • 当時、一体、入会権とは何か−という議論を相当した。深刻な争いになった。

  • 「入会権」について触れたい。元々、民法(263条、294条)に「入会権については各地方の慣習に従う」と定められている。 言い換えれば、入会権とは山村農民の“生きる権利”なのだ。これが入会権の原点だ。

  • しかしながら、一方で時代は激変するし、取り巻く状況は変化した。ざっと上げても―60年安保、高度経済成長、生産性合理化、所得倍増、列島改造、規制緩和、行革、一極集中、 出稼ぎ、農山村の空洞化、三ちゃん農業、貿易自由化、農山村生活様式の変化など枚挙にいとまがないほどだ。

  • 日本の農業・林業が空洞化するのにともない、環境破壊、公害、農業の衰退などの現象はむしろ裁判が終わった昭和50年以降に顕著になったので、それらの研究は若い人たちに期待し、 お願いしたいと考えている。





山村は疲弊してるが、いま新たな価値認識が問われてきた
 
「森林・林業基本法」の出現によって新しい局面になった



◆ 「入会研究の今日的意義−山村研究の視点から−」
 
= 岡田秀二 (岩手大学農学部農林環境科学科教授)


  • 私は、小繋事件にかかわったわけではないので、その意味で内在する視点は持ち得ないことを初め にお断りしておくが、山村の研究をやってきて、その視点から入会権問題がどのように対象化され 得るか、されようとしているかなどの研究という関わりから話したい。

  • 最初に〈山村の今日的危機と新たな段階〉について触れたい。

    我が国のグローバル化は、私は80年代後半からと考えているが、この段階で山村は完璧に新しい 危機の段階を迎えたと考えている。これを平たく言うと、さきほどの竹澤先生の最後にあったよう に生活条件ががらっと変った。本当に、物質的には豊かになったと思う。しかし、豊かになったこ とを通り越して豊か過ぎてしまった。過剰になってしまった。これがグローバル段階の一つの特徴  と言えよう。

  • もう一つの特徴は、グローバル化とは国境を初めとする境目をなくすことなので、いままでは山村 であろうと都市であろうと、国家の政策あるいは経済の仕組みとして、多少劣位な状況に置かれた  にせよ、我が国の官僚の仕組みの中に見事に組み込まれていたということは間違いのない事実だっ た。それが、取り崩されてしまったことだ。

  • そうなると、もっとも良い例は政策を見て行くと分る。今までは必ず、何かにつけ“我が国全体の ……“という言葉が頭につけられてきた。それが、いくつかの85年以降の政策の中で見事に消え てくる。ないしは、あったとしても論理が変わったと見て取れるようになった。どういうことかと 言うと、これまでは都市は都市で、山村は山村で、それそれ役割を果たしてくれということだった  が、グローバル化によって、これらの役割論が見えなくなってしまった。ということは、山村は、 もう一回、地域の仕組みを作り直さなければならなくなった。そいう状況が今の段階だ。しかしな  がら、すでに人の面でも、金の面でも、基盤の面でももう一回地域というものを作り上げるには基 盤が大変脆弱化してしまっている。これが今日的危機の状況だと考えている。

  • そこで、林業基本法の話しに移るが、実は入会権は高度成長期には見事に解消されなければならな いものとされていた。これが、昭和41年に施行された「入会林野近代化法」、すなわち「入会林野 等に係る権利関係の近代化の助長に関する法律」となってきている。すなわち、入会権の廃嫡だ。 なぜこういう発想が出てきたか? それは、所有権を確定しておかないと、様々な経済的仕組みに 乗っからないからだ。

  • すなわち、所有権というのは、経済の仕組みに乗っかっていくために不可欠なものとして考えてい るからで、所有権のさらに具体的な中味としては貨幣経済の仕組みの中に取り込んでいくというこ とになる。そういうことを狙った入会の放棄・解消の過程というものがこの間進んできた。それを 法律で規定したものが林業基本法で、昭和39年に作られた。

  • ところが、昨年6月、この法律が改正される。名称はもとより中味も変っているのに、なぜか基本 法の改正ということになり、「森林・林業基本法」とまったく新しいものになった。この中で、入 会の問題は触れていない。解消しようなど言ってない。全く新しい事態が訪れていると言って間違 いない。

  • 一方、我々の日常的生活のところでも貨幣経済下での豊かさではいま一つ真の豊かさがないという ことから、貨幣経済にはないもので、それによって壊されてきた大事なものがたくさんある。それ は、森林は木材経済だけでなく、いろいろな役割や機能を持つじゃないかということだ。この側面 は今までの貨幣経済の中に組み込まれていなかった。しかし、我々はそれを不可欠なものとして実 感している。

  • すなわち、貨幣経済で現われてきたもの、国家が必要だとして政策の対象にしたもの以外でも重要 なものがたくさんあるぞということに気がついて、貨幣経済に対し少し距離を置いた新しい価値認 識がすでに始まっているということで、現段階を整理できよう。しかし、一方でグローバリゼー ションとはコスト競走の時代だから、どこで売っても構わない、どこから買っても構わないという 世界だから、そうなると、山村の経済は大変疲弊しているものの、山村が保有してい土地資源を含 めて新しい価値認識の中に置かれてきているという、大変複雑な状況に現在があるということだ。

  • そうすると、我々はひょっとすると山村のことをしっかり考えていけば、これまで作ってきた社会 のあり方というものを根本的に変えた方がいいのかなという認識に立っている。それが次に触れた い問題点だ。

  • 〈農山村再生論〉だが、ここでは時間の関係もあるので、基本的には、近代の相対化が必要なので はないかという指摘と、都市とも連携して、生態系の重視、集落から共同の再構築、地域の資源・ 環境の保全と利用などを進めることが肝要という提起をするに止めたい。



    「共有」から「総有」という発想にヒントが多々ある


    総有権的発想は地球的レベルで通じると説く岡田秀二・岩手大学教授
  • それでは、新しい価値観の元、山村の基盤をどうやって作り変えていくのかということに話を移し  たい。実は、かつて集落の生産および生活の基盤をなした林野、入会林野は大変大きな比重を占め ていることが分る。小林三衛氏の試算によると、民有林、国有林地元施設合わせると約359万ヘク タールで、これは我が国の林野面積中の14%を占めるという。

  • 前述した部分は、近代を相対化しようという観点から述べてきたが、今問われているのは近代以前 にあった土地基盤というものがどんな管理状態だったか、もう一回整理をし直そうという視点から 入会ないしは地域の自然というものを見る必要があるということで考えると、近代以前は改めて入 会権などと言わなくても制度的にやっていたわけで、それから考えると、我々の生活基盤そのまま  だということが分る。言い換えると、これからの土地基盤を考えるにあたって、山村の土地基盤を 整理した時には、かつての入会林野部分は大変大きなウェートがあるということだ。

  • 貨幣経済に組み込まれてこなかった入会林野だが、実は様々な公益的機能をもっており、これから はそれを発揮する事が求められている。そのことが今後、入会問題と入会を超えて今後のことを考 える大変重要だ。それと、貨幣経済に取り込めなかった事の一つは、中味として「共有」の性質を 持っていたためだ。全体の権利は持つが、個々に分割して請求する権利はないということだ。そう いう権利関係だからこそ貨幣経済の表面には現われにくかったが、それをグローバル化した段階で コストが高いので劣位に置かれて、放棄された結果、荒廃してしまったのが現段階だ。しかし、所 有ではなく、総有であるというあたりに今後を考える上でヒントが多々あるのではないか。

  • 話しを進めると、今日の森林資源は地域的な価値から、実は地球的規模にかかわるという役割を持 っているという事が分ってきた。そういう機能を発揮させるには、近代以前にあった総有的発想を 大事にする必要があるのではないか。

  • そこで、まとめに入ると、新しい森林基本法はこうした様々な要求の項目を上手に受け止めた整理 をしている事が分る。すなわち、森林が放置されているようなところでは、国民全体で管理したい。 一方、NGO、NPOサイドからは積極的に森林を保護したいという希望も出てきている。そういう動 きも勘案すると、自然管理の枠組みもかつての集落とか、入会集団だけでなく、国家が主体になる もむしろ錯綜した主体によるという現象になって現われている。

  • 森林の多様な機能を考えると、こういう枠組みで考える必要があると思っているが、森林は動くこ とが出来ない。そこにあって初めて役割を果たし機能するものだ。そうすると、依然としてそこに に日常的に住み、日常的にかかわっているものが主体になった管理のあり方、新しい入会のあり方 を軸に提案をしてみたいと考えている。新しい入会の関係を構築していく必要がありはしないか、 と感じている。

  • 最近、弁護士さんグループが最近、環境権ということを盛んに主張されているが、また自然享有権、 さらには生存権もあるわけで、私はこれらを重層した形でもう一度作り直してはどうか、これを作 る事が山村の個性ある地域を作る事に繋がるかもしれない。それによって、もう一回、国民経済を 作り直していってはどうか。そうなることで、本来の山村の姿を再生できるのではないかと考えて いる。そのためには入会林野あるいは入会権問題はその基軸にあると位置付けている次第だ。




今や「入会型管理」の発想は世界的傾向になっている
 
森林資源から草地・湿地、生物資源まで幅広く広がる



◆ 「入会型管理の評価に関する国際動向」
 
= 磯崎博司 (岩手大学人文社会科学部教授)



入会権はいまや世界的に評価されていると説明する磯崎博司・岩手大学教授
  • 入会権あるいは森林資源に対する入会型管理という発想は国内のみならず、海外、とりわけ開発途 上国において顕在化しており、ここではそれら国際的観点からお話したい。

  • 〈開発途上国における現状〉を見ると、熱帯林の保全管理が問題化している。具体的には、マレー シアやインドネシアなどで伐採によるトラブルが続出している。木材偏重の森林管理ゆえであり、 先進国での需要の拡大が輸出ドライブをかけているからだ。また、非木材価値の軽視傾向から非木 材資源、生態系・生物多様性、文化・精神的宗教的価値など全てを包括した問題も起こっている。

  • その結果、森林を消失し、劣化に繋がっている。さらに、森林資源だけでなく、草地や湿地、さら には海岸やその他の生物資源についても同様で、こういうことから共同管理に対する再評価の動き が明確に出てきている。例えば、多くの国で植林すると、法的に個人所有の権利を認める国もある。

  • ただ、一方で協働管理、コラボレートについての制度化については賛否両論があることも事実だ。 また、国際開発銀行などのように援助条件の1つにしている機関もあり、ODAもそれを条件にして援助を行うケースも出てきている。

  • 次に、これらを国際法的観点、〈条約レベル〉で見てみると、環境や開発関連条約のほとんどが該 当する。それらは、概ね3つのジャンルに分けられる。

    1. 実施確保のため:地元レベルでの認識と実行ということで、条約というと地方、地元は関係の ないように思われるが、実際には政府だけではほとんど動かない。

    2. 持続可能な開発の確保のため:問題は持続可能な管理の観点から再評価することで、このフレ ーズはご存知のように1990年から世界的なキャッチフレーズになったが、実は曖昧な定義と 言わざるを得ない。したがって、伝統的管理や共同管理、伝統的・慣習的権利の保障という問 題が浮上してくるわけだ。

    3. 手続き的保証の確保のため:透明性の確保、すなわち情報公開と参加の保証であり、とくにス テークホルダー(利害関係者)として参加することを保証することは大きな問題になってきて おり、具体的には世界遺産やラムサ−ル条約、さらには生物多様性条約もその実例だ。要は、 直接の利害当事者の重視ということだ。



    目を離せないここ1、2年の国際機関の動き


  • 最後に〈森林関係の条約〉という視点から話しをしたい。これらは5つのジャンルに分けられよう。

    1. 国際熱帯林木材協定:これは文字通り「木材」に視点を置いたもので、先に触れたように、今、 批判が出ている。実は、意見聴取段階からあった。

    2. 温寒帯林管理協定基準・指標:モントリオールプロセスと呼ばれるが、法律上は拘束性はない。 ただ、先進国の加盟が多いので、自主的にやろうという機運は強い。

    3. 森林原則声明:92年のリオ・サミットで森林保護のための協定を目指したが、途上国が自国の 天然資源の権利を掲げて反発したため、辛じて妥協の産物として採択された。

    4. IPF/IFF行動提案:森林に関する政府間パネル(IPF)と森林に関する政府間フォーラム(IFF) のことで、国連持続可能な開発委員会(CSD)の下に設置され、2000年2月に行動提案がまと められた。

    5. 生物多様性条約森林行動計画:地球サミットで採択された2条約の一つで、2002年4月に締約 国会議が持たれたが、森林にとっては大事な条約だ。今年8月から9月にかけてヨハネスブル クでのサミットで報告され、実施が求められている。さらに、新しい動きとしてはバイオ技術 を使っての遺伝子を操作しての生物の安全性の確保などについてはバイオセイフティー議定書 などがある。

  • そして、最後に日本について触れると、先ほどから出ているように、森林・林業基本法の改定がポ イントで、これは実はモントリオールプロセスの一部を取り入れている

  • 以上が本日、国際動向という視点から見た入会関連の動きだが、いずれにしても入会権は評価され、 むしろ管理の意識が強くなっているというのが私の結論だ。







“こじつけ”ではという偏見、シンポを聞いて消える



◆ ミニ・シンポを傍聴して―


入会の思想は世界の平和に繋がるものだと言う当時、刑事告発を受けた斉藤さんの発言には重みがあった
正直なところ、約50年訴訟が続き、約40年前に“決着”した、東北の特定地域での事件がなぜ今、 再吟味され、テーマの「現代的意義」にどう“こじつけられるのだろうか”という一点の興味に惹 かれ、晩秋の色濃くした盛岡へ飛んだ。

雨模様の盛岡、なかんづく会場の岩手大学の佇まいは前身が盛岡師範学校(明治9年設立)であり、 高等農林学校(明治35年設立)であるだけに、しっとりとした雰囲気と重さを持っていた。この 日の雨模様と木々の紅葉がそれにさらに輪をかけていた。

そういうキャンパスの中のもっとも先進的といって良いレイアウトの図書館の一室がシンポの会場 であったのも、この日のテーマと呼応しているようにも思えた。

あまり広くない会場に約40人の聴衆が席を埋めた。

そして、シンポジウムが始まると、最初のパネリスト・竹澤哲夫さんは事件を直接手がけた弁護士 だけあって、この事件への愛着に溢れたコメントをされ、しかも単に懐古するのでなく、現代の問 題にリンクした発想と発言であった。

2人目のパネリスト・岡田秀二さんは農学部の教授であり、農村環境科学と地域マネジメントを専 攻しているだけに、この訴訟事件のプロセスと結果を“新たな公共”的発想(新入会)で取組めば 荒廃した我が国の山村地域の再生が可能ではないかと指摘した。このへんで筆者の、このシンポへ の“偏見”はかなり解消され始めた………。

そして、3人目の磯崎博司さん(人文社会科学部教授)の、国際法専攻の立場から、個別管理の反 省に立てば共有管理の再生に繋がるのではないか―との見解を聞くに至り、雲散霧消とまではいか ないが、東京を発った時の、この問題、このシンポへの偏見めいたものはほぼなくなった。

さらに、もっとも印象的だったのは、質疑の時間になって、会場から質問あるいは意見が出された 中で、裁判支援のため小繋に住み込み、盗伐問題で刑事告発を受けた斉藤実さんの「入会という考え方は平和に繋がる思想だ」 という発言は自ら闘ってき、挫折を繰り返し経験した、正に実感からほとばしり出た言葉で、世の 中に溢れているエセ平和主義者には及びもつかない重さを持ったものであった。

「歴史は繰り返す」。何度となく聞かされた言葉ではあるが、100年前の東北の小山村で端を発し た、どちらかと言うとマイナーな事件が全国版になり、今、国際的観点からも再評価されようとし ているこの種のケースは他にも多数“埋没”したままになっているのではないか。そして、ともす ればこの種の資料・文献は個人的努力によって収集されがちだが、その個人が没するとともに資料 そのものも埋没しかねない懸念が大きいだけに、岩手大学の試みが社会から脚光を浴び、継続され ることを願いながら帰京した。

付け加えれば、今回の岩手大学の試みは、今、流動化している大学の在り方、とりわけ地方の大学 の存在意義などの問題提起にも繋がるテストケースの一つとしても今後注目していきたい、という のが傍聴しての感想であった。





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