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熊本学園大学「水俣学」レポ・第3回 = 熊本学園大学「水俣学」各論段階へ = “チッソは最高の技術水準を確立したが、社会倫理は最低だった” 第3回は宇井純・沖縄大学教授が「チッソ史」を講義 |
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熊本学園大学の「水俣学」は第1回、2回の序論・総説から3回目になって、外部専門家による各論講義に入った。3回目は、2002年10月4日午前10時40分から予定時間を超えて12時20分近くまで、宇井純・沖縄大学法経学部教授が「チッソ史−チッソの企業体質と技術」と題する講義を行った。
宇井教授はいまさら紹介の必要がないほど公害研究、とりわけ水俣病事件の先駆的研究者としてすでに40年の実績を重ねており、水俣病の原因企業のチッソ研究についても造詣が深い。 この日の講義概要は次の通り。
【文責=司 加人】
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水力発電に着目した創設者と企業誘致に動いた地元の利害が一致
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敗戦で引き揚げた技術者たちが独自製品を開発、受けに入る
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東大応用化学のトップしか入社試験受けさせなかったチッソ
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技術者の真の責任はマイナス面を直視することだ
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= 宇井教授、前夜は院生の講座で講義・意見交換も =
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「水俣学」の講義に先立ち、東京のある大学での講義をこなし、熊本入りした宇井純さんは10月3日夜、乞われて原田正純教授の大学院の講義でも話をし、院生たちとの質疑応答も行なった。 話は、水俣病問題やチッソ労働組合の取組みの変遷、さらには自らの水俣病の研究成果を伏せている間に、新潟水俣病が発生したことへの悔悟などの体験談、さらにはこれからの大学院や院生のあり方など広範囲に及んだ。
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| 月 日 | 内 容 | 担 当 | |
| 1) | 9月20日 | なぜ水俣学か、本学で開講するわけ | 花田昌宣 (熊本学園大学教授) |
| 水俣病の歴史(1)水俣病の発見から原因究明まで | 原田正純 (熊本学園大学教授) |
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| 2) | 9月27日 | 水俣病の歴史(2)胎児性水俣病の発見、新潟水俣病 | 原田正純 (熊本学園大学教授) |
| 3) | 10月4日 | チッソの企業体質と技術 チッソ史 | 宇井 純 (沖縄大学教授) |
| 4) | 10月11日 | チッソ労働者と水俣病 公害病と職業病との関係 | 山下善寛 (元チッソ労働組合委員長) |
| 5) | 10月18日 | 水俣病を記録して 1960年〜1997年 | 桑原史成 (報道写真家) |
| 6) | 10月25日 | 水俣病とマスコミ 主に地元紙の視点から | 高峰 武 (熊本日日新聞編集局次長) |
| 7) | 11月 8日 | 法創造に挑む水俣病 | 富樫貞夫 (志學館大学教授) |
| 8) | 11月15日 | 水俣病患者の闘い−公害と差別 | 宮澤信雄 (フリージャーナリスト) |
| 9) | 11月22日 | 海の生態系と漁業 | 佐藤正典 (鹿児島大学助教授) |
| 10) | 11月29日 | 被害者の想い 闘いの日々 | 水俣病患者・家族 |
| 11) | 12月 6日 | 世界に広がる水銀汚染 水俣が持つ意味 | 原田正純 |
| 12) | 12月13日 | もやい直しとは 患者の自立と水俣の再生 | 吉井正澄 (前水俣市長) |
| 13) | 1月10日 | 水俣学まとめ 教訓をより確かなものに | 原田正純 |
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* 熊本学園大学社会福祉学部福祉環境学科
〒862−8680 熊本市大江2−5−1 TEL 096−364−5162 |
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