swave logo (←home)
cover




熊本学園大学「水俣学」レポ・第2回
 
= 熊本学園大学の「水俣学」開講 =
正規の授業にマスコミなど多数が集まりスタート




大学の正規の授業としては日本で初めての総合研究「水俣学」が2002年9月20日午前10時40分から熊本学園大学社会福祉学部で開講した。 1月10日まで計13回にわたり行われるが、初日とあって学生初めマスコミ関係者や環境NGOなど聴講者は100人を超えた。第1回目をルポする。

【司 加人】





開講に先立って、水俣学構想を長年あたためてきた原田正純教授が壇上に立ち、「この水俣学は単に水俣病問題を学ぶということだけでなく、これまで関わってきた各界の人たちの生の声を聞くところに意義があると考えている。 古くは、明治時代に田中正造の『谷中学』があるが、“教育する”から“聞く・学ぶ”ということを水俣学ではやっていきたい」と、抱負を述べた。



     = 花田学部長 =
 
批判を受け入れる、真に開かれた学問にしたい


大学側を代表して、花田昌宣教授・社会福祉学部長が個人史の中での水俣病問題との関わりに触れ、水俣病問題には20代前半から関心を持ち、関わってきた。そして、熊本学園大学に職を得たが、本学はいま―
 
 1)地域に根差す大学としての社会的責務−教育と研究という学問の拠点としての大学
 2)社会における批判精神の拠点としての大学−権力から自由である大学
 3)熊本の庶民の大学−大学の大衆化へのアンチテーゼとして
 
― を目指している。
批判を受け入れる「水俣学」にしたいと強調する花田学部長

そして、これまで大学として「水俣」で何をしてきたかということを省みると、率直に言ってそう大したことはしてこなかった。具体的な動きとしては、93年に川本輝夫氏を招いての講演会、94年に社会福祉学部の創設、99年に「水俣学の構想力と可能性」シンポジウムを開いた程度だった。99年4月に原田教授を招請して以後、99年11月〜01年10月、トヨタ財団のサポートを受けての第1期「水俣学研究プロジェクト」、00年4月に福祉環境学科を設立するなど今日までいくつかの動きをしたが、本日をもって開講した「水俣学」が本学としては腰が入った「水俣学」への取組みと考えている。

私論だが、そもそも何々学というのは嘘っぽいものが多く、増してや真理の探求などと言われると、よりそう思ってしまう。だからこそ「水俣学」を起こしたと考えていただきたい。「科学/学問とは反証可能性あるものを言う」と、イギリスの哲学者、カール・ポッパーは言っている。反証可能性あるものとは批判を許すものであるという意味だ。言い換えれば“開かれた学問”とも言える。本日スタートする我が「水俣学」はそうありたいと願っている。したがって、いろいろな方によって「水俣」と「水俣病」を語っていただきたいと願っている、とあいさつ。



     = 原田教授 =
 
それぞれが“自分の水俣病”を見つけて欲しい


そして、原田正純さんが記念すべき第1回講義「水俣病の歴史(1)」と題する講義を開始したが、まずイントロとして「私の水俣病問題への関わり」について概要次のように語った。

  • 医者の道を選んだが、「脳」に関心があったため、神経精神科を専攻した。その途中で、東京での研修で当直をした時、NHKのテレビ番組「日本の素顔」を見て、衝撃を受けた。そこには視力障害者の松田富次君がラジオで相撲放送を聞いていて、天草出身の大関・栃光が勝ったといって大喜びをするシーンが映った。後に、彼の診断書を書くことになるとはその時は思いもしなかった。

  • 研修を終えて熊本(大学医学部)へ戻ったら大変な騒ぎになっていた。水俣病の原因究明で熊本大学の医学部内部が三分裂していたのだ。すなわち―
     
     1)タリウム説:我が神経精神科の説で、多発神経炎をその根拠とし、原因は肥料としていた。
     
     2)マンガン説:内科の主張するところで、錐体外路症状−ふるえの症状をその根拠としていた。チッソは製造過程で副触媒としてマンガンを使っていた。
     
     3)セレン説:公衆衛生科の説で、視力障害が水俣病の特徴と捉え、その原因は蓄積されると並行してセレンが増えるということを根拠にしていた。

  • なぜ三つにも分かれたというと、病気の原因が分からない場合はまずその病気の特徴を掴むことから始めるが、その掴み方によって違ってしまったわけだ。ところが決定的に良くなかったのは、タリウムやマンガンやセレンをネコに与えても水俣病にならなかった。ネコが水俣病になるのは唯一、水俣で獲れた魚を食べた時に限られた。このためこれらの説はやがて消えていった。
    既定概念を打ち砕くのが水俣病事件だと説く原田教授

  • そして、59年頃になると、有機水銀説に一本化されていった。ところが、我が神経精神科は頑固にタリウム説にこだわっていた。その年の夏から秋にかけて水俣病の原因は明かになるが、師事していた宮川九平太先生が急に倒れ、意識を失う寸前に付添っていた私に「水俣病は最後までやれ」と言われた。それが耳の奥にこびりついた。しかし、宮川先生が亡くなったことでタリウム説も消え、東京から後任の先生が来られ、臨床を見たい、患者を診たいと言われて水俣を訪れたのが60年の夏だったが、それが今日まで私が水俣病に関わる原因になるとは思わなかった。

  • これまでにいくつかの衝撃を受けたが、その臨床の際に水俣の母親たちに叱られたことはその走りと言える。遊んでいる二人の子供は、私の目から見れば二人とも水俣病だが、母親は、長男は魚を食べたが次男はお腹の中にいた。だから魚をたべていないから水俣病ではないと言う。つい「どうして?」と聞いてしまったら、「どうして? それは先生方がそう言ってるからだ」というわけだ。この一言で目が覚めた。要は、専門家である医者は胎盤は毒物を通さないという既定概念を持っている。だから、魚を食べると水俣病になるのだから、魚を食べない胎児は水俣病ではないという前提で考え、脳性症と考えていた。既定概念が事実を曲げ、マイナスになってしまうという典型的な例だ。しかし、母親は私たちが魚を食べたので、それが(胎盤を通して)子供たちに入り、水俣病になったのに違いないと直感で思ったわけだ。

  • さらに例を上げると、ある患者を診た時、その人は半身麻痺だった。明らかに脳梗塞だと診断した。水俣病ではないと明言した。そうしたら、その家族が、そういうがこの老人は魚ばかり食べていた。脳梗塞の人は水俣病にならないのか? と問われて、愕然とした。脳梗塞の人はいくら魚を食べても安全だという事実はどこにもないわけだ。

  • このような経験は他にもたくさんした。決定的だったのは裁判を支援する目的で「水俣病事件研究会」というのが医者だけでなく、法律学者、労働者、市民、学校の先生、マスコミなど各界の人たちが参加して立ち上げられた。病気の研究会だから、自分が一番役に立つと思っていた。が、その思いあがりは木っ端微塵になった。ある時、水俣病を定義付けろと言われた。内心、失礼なと思ったが、いざ書こうとしたら書けなかった。なぜか? まず書き出しで、水俣病は昭和28年に発病した…と書いたら、なぜ28年と言えるのか? その証拠は? と突っ込まれた。証拠はない。また昭和に水俣病は終わったと言われるが、調べてなくてどうして終わったと言えるのか。結局、我々が持っていた水俣病という定義はなんだったのか。目が覚めた。恐ろしいとも思った。これが医者同士の議論だったらまあまあで終わりだ。悔しいと思った。もう一度やり直そうと思った。そのことが私を40年も水俣病に繋げた原点だと思っている。

  • そこで若い人たちに言いたい。水俣病というのは、水俣という地方に起こった気の毒な、特殊な事件ではないわけで、私たちの回りに水俣病はあるんだ。私は水俣病と出会ったが、みんなもこれから“みんなの水俣病”を見つけて欲しい。一生こだわっていこうというものを見つけて欲しい−ということを今回の結論にしたい。






なお、初年度の「水俣学」の一部講師の演題が変更になったので、講義予定を再度掲載する。


《水俣学講義計画案(平成14年度)》
 
各日10:40−12:10

 

  月  日内           容担 当
1) 9月20日 なぜ水俣学か、本学で開講するわけ花田昌宣
(熊本学園大学教授)
 水俣病の歴史(1)水俣病の発見から原因究明まで原田正純
(熊本学園大学教授)
2) 9月27日 水俣病の歴史(2)胎児性水俣病の発見、新潟水俣病原田正純
(熊本学園大学教授)
3) 10月4日 チッソの企業体質と技術
  チッソ史
宇井 純
(沖縄大学教授)
4) 10月11日 チッソ労働者と水俣病
  公害病と職業病との関係
山下善寛
(元チッソ労働組合委員長)
5) 10月18日 水俣病を記録して
   1960年〜1997年
桑原史成
(報道写真家)
6) 10月25日 水俣病とマスコミ
   主に地元紙の視点から
高峰 武
(熊本日日新聞編集局次長)
7) 11月 8日 法創造に挑む水俣病
富樫貞夫
(志學館大学教授)
8) 11月15日 水俣病患者の闘い−公害と差別宮澤信雄
(フリージャーナリスト)
9) 11月22日 海の生態系と漁業佐藤正典
(鹿児島大学助教授)
10) 11月29日 被害者の想い
   闘いの日々
水俣病患者・家族
11) 12月 6日 世界に広がる水銀汚染
   水俣が持つ意味
原田正純
12) 12月13日 もやい直しとは
   患者の自立と水俣の再生
吉井正澄
(前水俣市長)
13) 1月10日 水俣学まとめ
   教訓をより確かなものに
原田正純


* 熊本学園大学社会福祉学部福祉環境学科
 
   〒862−8680 熊本市大江2−5−1 TEL 096−364−5162






↑戻る