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“大人には子供たちの未来環境を保証する義務がある”

=原田正純・熊本学園大学教授講演=
 
東松山市で「公害都市・水俣の再生について」





水俣の経験を役立ててほしいと語る原田さん
来年3月に環境都市宣言を行う埼玉県の東松山市は2002年9月15日午後1時半から、市内の総合会館で、原田正純・熊本学園大学教授を講師に招き、“みんなで考える環境まちづくり講演会”を開催した。約200人の人たちが集まり、定刻をオーバーして熱弁をふるった原田さんの講演に熱心に耳を傾けた。

この日の演題は「公害都市・水俣の再生について」。冒頭、公用の市長に代わって吉田収入役が主催者を代表してあいさつし、27年前に621人の集団赤痢が発生した教訓から、衛生都市宣言を行ったが、21世紀を迎え、明春には環境都市宣言をしたいと市の環境問題への取組み姿勢を強調。今回の講演会は3回目になると紹介した後、原田さんの講演に移った。講演の概要は次の通り。




▽           ▽           ▽




= 一度破壊した環境の再生は至難の業と市民も認識を =


  • 与えられた演題は、私が40年あまり水俣病に関わってきた医師の立場では荷が重いが、私なりにお話をしたい。

  • もっとも強調したい点は「一度破壊した環境を再生することは至難の業である」ということだ。東松山市は来年3月に環境都市宣言を行うそうだが、このことを市の行政はもとより、市民のみなさんも明確に認識されることが大事だ。

  • 水俣病事件は一部に「政治決着をもって終わった」と見る向きがあるが、私は「それが解決へのスタートだ」と認識している。 しかし、40年以上経過した今、これまでを振り返るといろいろなことがあったが、強く印象に残ることは、昭和47年(1972年)に、市の50くらいの団体が当時の市長を先頭にして、「水俣病」という病名を変更すべきだという運動を起こした。 結果的には実現しなかったが、当時、私は医師として患者たちと日常的に接触していたが、腹立たしいというか悲しく思った。確かに、普通名詞で言えば有機水銀中毒だが、これは「水俣病」でなければいけなかったのだ。

  • そういう歴史のひとこまもあったが、とにかく長い間水俣はあらゆる意味で閉塞状態が続いた。しかし、たった一人の市長の登場で、その局面はガラリと変った。 ことし2月に2期・8年の任期をまっとうして退任された吉井正澄氏が市長に就任し、強烈なリーダーシップによって国も県も原因企業のチッソも動き、とにかく前進した。 そして、「再生」というキーワードに結びつくものとして、ご存知の方もいようが「もやい直し」という言葉と行動が展開され、今、その精神は引き継がれている。
    [ここで、水俣の歴史、チッソが与えた影響、水俣病の原因とメカニズム、それに対する全ての関係者の杜撰な対応、原因究明に動いた熊本大学医学部などの動向をスライドを使って説明]

  • 振り返ると、次のようなことが言える。
     
    1. 原因企業のチッソは、廃水を流して魚が獲れなくなるなどの問題を起こし、漁民などに抗議されると、そのつど漁業権などを金で買取り、海が汚れた原因を抜本的に解決しなかった。
    2. チッソだけでなく、市民もチッソの経営基盤が崩れることを恐れて、原因が明らかになることを拒んだ経過があった。
    3. “魚湧く”と表現された水俣の自然・海の豊かさが仇になった。いっそのこと(中国・松花江のように)全ての魚が死滅してしまえば水俣病は起こらなかったとも言える。



= 環境汚染、食物連鎖―だから「水俣病」だった =


  • これらを整理すると、キーワードは二つだ。一つは「環境汚染」、もう一つは「食物連鎖」だ。したがって、これは単なる有機水銀中毒でなく、「水俣病」なのだ。

  • 結局、革新政党も労働組合も彼らを助けなかった。水俣は絶望的な町になってしまった。正直、もうダメだと何回も思った。

  • 医師としての私の人生を変えたのは「胎児性」だった。とくに、ある母親の一言「(自分の子供の)弟の方は魚を食べていない。なのに…」は、私の中での既成概念を打ち砕いた。時として、真理は明快なのかも知れない。

  • 多くの医師、研究者は「胎児性」を立証するために研究室にこもった。しかし、私は現場通いを続けた。当時、熊本から水俣へは相当な時間がかかった。診断は1日1人がいいところだった。だが、私自身が確認し得た水俣病患者は64人だった。うち、すでに13人が亡くなっている。

  • 長女が生まれて病院から本人とへその緒が退院してきた時にはたとひらめいたことがあった。へその緒を解析すれば何かが得られるのではと。その夜は興奮で眠れなかった。夜明けとともに電話をかけまくった。またたくうちに100を超えるへその緒が集まった。解析の結果は予想通り、ほとんどが水銀の基準値を超えていた。

  • 長い間、胎盤は胎児を守ってきた。しかし、水俣でそれが叶わなくなったのだ。子供たちを守れなくなった。有機水銀は胎盤を通ってしまったのだ。後に、カネミ油症の有力原因の一つと言われるPCBも胎盤を通った。



= 母体は自然界にない合成された物質は守れなかった =


  • このことは、自然界に存在する物質は母体は守るが、自然界に存在しない(合成された物質)には弱かったという事実であり、警告を発したことを表わしている。

  • 医師としての衝撃はもう一つある。これは患者側のリーダーの一人、川本輝夫氏の、「脳梗塞による半身不随の人は水俣病にならないのか?」という素朴な質問を受けた時だ。その人を診察すると、水俣病そのものだった。

  • これは、化学研究者の立場から水俣病問題に取組んできた宇井純氏(沖縄大学教授)の言葉だが、「差別が水俣病を起こした」のだ。[として、ブラジル、アフリカ、フィリピンなど自身が調査・診断した世界の貧しい地域に起こっている水俣病のケースをスライドで紹介する]

  • ごく最近、カナダへ行ってきた。かつて、カナダエスキモーの人たちを診断した時、明らかに水俣病と思ったが、カナダ政府は日本政府に照会した結果、水俣病とは認めなかった。しかし、今回行って耳にしたことは、なんと91年からカナダ政府はこっそりと補償をしているということだった。このことは広く知られていない。

  • 最後に、専門外だが「町づくり」について私見を述べたい。私は、町づくりとは歴史を無視できない、すべきでないと考える。そして、それは差別との向かい合いであるとも思う。その時救われるのは子供たちの笑顔だ。子供たちの未来を保証する義務が大人にはある。

  • 町づくりのためには生命を、未来の生命を大事にすることを柱に立てるべきだ。今や、地球は絶望的だ。だが、希望は捨てない。あの水俣でも少数の人が立ち上がったことで状況が変った。そういう人は少数だが世界のどこにもいる。そこに希望を託したい。



▽           ▽           ▽


● 講演を聞いて―

いつにも増しての原田さんの熱弁であった。それを比較的平均年令の高い聴衆が一言も聞きもらすまいという感じで聞いていたのが印象深かった。涙をぬぐっているご婦人もいた。
 
この東松山市は世界有数の国際ウォーキング大会である「スリーデーマーチ」で有名だが、来春には環境都市宣言をすると公表している。
 
ならば、と言いたい。この日は敬老の日で、関連行事もあったであろうが、市長も時間をやりくりして率先して出席すべきである、と思うがいかが? 会場には、敬老の日に祝福されるであろうと思われる老齢の人が多く出席していた…。 

【司 加人】



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