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この日の安川さんを偲ぶ集いには、水俣から患者の人たちや“ほっとはうす”のスタッフ、支援者など17人が上京したのをはじめ、100人を超す人たちが集まった。
また、安川さんの活動をジャーナリストとして評価し、その取材のために故郷の信州へ出かけようとしたその日に急逝した元中日新聞記者の
唐木清志さん(7月7日に2002年田尻賞を受賞)も一緒に偲びたいとする加藤さんの希望で、2人を偲ぶ集いとなった。
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| 安川さん、唐木さんを追悼する土本さん |
偲ぶ集いは、まず「追悼の部」が午後2時30分〜4時30分まで行なわれた。追憶のビデオ上映の後、呼びかけ人を代表して記録映画監督の
土本典昭さんが「最後にお会いしたのは昨年秋、水俣で水俣病展が開かれた際に病院へお見舞いに行った時だった。
その時、彼は、私が胎児性患者の坂本しのぶさんのことを書いた文章を話題にし、「映画よりいいよ」と言われた。労働運動の原点に立脚し、自主講座を助け、そして水俣に移って未認定患者を支援し、“ほっとはうす”を支援していた安川さんには時々電話をかけて判断を仰いだ。いわば水俣の心のよりどころであった。こうなった以上、“ほっとはうす”が元気で続くことが残された我々の責務と言えよう」と述べた。
続いて、自主講座関係を代表して井上澄夫さんが「故松岡信夫さんと安川さんは自主講座の見事な裏方だった。若い人に、その生き方そのもので何かを示した人だった。少し早すぎたが、それも安川さんらしいと言えるかもしれない。人間的な苦しみを山ほど抱えながら見事に生きた人だと思う」と、独特な表現で追悼した。
次に、海外出張のため出席できなかった宇井純さんが「松岡信夫、田尻宗昭、飯島伸子を失い、いままた安川栄を失い、身を切られる思いだ。自主講座では実行委員会の人たちを調整し、
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| 2人の遺影を中心に、この日集まった全員で記念撮影 |
まとめ、指揮した人だった」とのメッセージが読み上げられ、さらに関西訴訟原告団や水俣互助会のメッセージや水俣病患者の杉本雄・栄子夫妻、開田理巳子さんらのビデオメッセージも上映された。そして、実兄でフランス在住の画家である安川博さんが栄さんの恩師の言葉や唐木清志さんのことなどを謝辞を含めて述べ、唐木街子さんも涙ながらに謝辞を述べた後、遺族を代表して加藤たけ子さんが「唐木さんの遺影と安川の遺影が並んでいるということは何とも言い難いものがあるが、このように多くのみなさんにお出でいただき、盛大な集いを催していただいたことに深く御礼申し上げたい。残された者の役割として“ほっとはうす”の活動を充実させたいし、みなさんの心のこもった追悼の言葉をいただき、追悼集をまとめたいと考えている」とあいさつして、立川勝得、久保田好生両代表が主催者あいさつをして締めくくった。
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