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「環境紛争処理北京WS」(4)

 特別寄稿


谷さん(左)と相川さん(第二松花江の小型フェリー船上で)
中国・松花江訪問記

谷 洋一さん (アジアと水俣を結ぶ会事務局長)

      

中国奥地で「水銀汚染の根深さ」を改めて確認

〈長 春〉

■「日本の水俣病の水銀基準は不合理」■

9月下旬、北京で開かれた「環境紛争処理日中国際ワークショップ」に参加した際、1950年代から水銀汚染の影響を受けてきた東北、吉林省、黒龍江省を流れる松花江流域を訪問する機会をえた。北京から北東へ1200キロ、吉林省の州都長春は人口約600万の町である。ここでまず松花江流域の水銀汚染調査に長年携わってこられた元水利部国家環境保護局、水質資源保護局の劉永懋(リュウ・ヨンマオ)先生にお会いし、松花江汚染の現状と今後の取組みについてお話を伺った。

ハルピンの松花江
先生は「中国・松花江メチル水銀汚染防止と基準研究」と題した1998年出版の報告書をもとに松花江の水銀汚染の全体像を話してくださった。松花江は朝鮮国境、長白山天池を源に吉林、黒龍江両省を流れ、ロシアのアムール川を経てオホーツク海へと注ぐ1840キロにも及ぶ中国5番目の大河である。

中国では1972年国連環境計画(UNEP)のストックホルム会議以降、環境問題への取り組みが開始され、松花江の水銀汚染が明らかとなった。汚染源は吉林のアセトアルデヒド工場、染料工場、その他各地の電池、電燈、測定器などの工場、金鉱山の精錬工程など多数ある。1970年代初めまでに排出された総水銀量は149.8トン(内メチル水銀5.4トン)に達していたという。当時上流域では川は汚れ、魚が壊滅。排出量の最大は吉林石化公司第103工場(カーバイド工場アセトアルデヒド製造設備)で全体の70パーセントを占めていた。

報告書は上流域から下流域までの季節ごとの水量、流、汚染度を調査。また川の水、底泥、魚の水銀値などを詳しく記述し、汚染源、環境中のメチル水銀の挙動、総合対策の研究、人体への影響などを研究し、国家的規制基準等を提言してある。1973年以降長春の白求恩(べチューン)医科大、ハルピン医科大によって工場から300キロ以上離れた漁民の多い扶余、肇源地域の調査がおこなわれ、魚の水銀値で最高2.6ppm、漁民の毛髪で100ppmを越す水銀値が検出され、一部に水俣病症状を呈する患者がみつかっている。吉林、黒龍江両省はその後も継続的に調査を続け、1992年から94年まで全流域(8県市、46郷鎮、1474の村)10万人の住民健康調査をおこなっている。そのうち3693名の毛髪水銀を測定、53名を入院検査、2名を中毒患者、18名を要観察とした。その中で劉先生は「日本の基準は魚で水銀値0.4ppm(メチル水銀0.3ppm)を規制値にしてあるがこれは不合理である。平均で決めるのではなく、たくさん魚を食べる漁民や影響を受けやすい胎児や小児などもっと考えて基準は作らないといけない。微量でも長期にわたって影響を受けることもあり、是非日本の研究者とも協力して調査を続けたい。この松花江の調査は国際的にも大変意味がある」と力説された。



〈吉林市〉

■上流域に魚は生存、「壊滅」は事実と異なる■

長春から120キロ、列車で2時間余で東北屈指の工業都市吉林に着く。人口200万人のこの町は戦前日本がつくった松花江ダムの電力を利用して、化学工業が発展。化学肥料、染料、カーバイド、有機合成品、石油製品などの工場が林立する。その中核が吉林石化公司で総従業員13万人、松花江北岸の龍潭区は「町に工場があるのではなく、工場の中に町がある」という表現がぴったりする。工場の総面積は24平方キロ、町の中をパイプラインが縦横に走り、鉄道の引込み線が通っている。私にとっては2度目の訪問であるが、この工場群の大きさには圧倒される思いがある。企業の町、その中で公害はどのように認識され、問題化したのだろうか? それとも今も住民の中では語ることのない問なのだろうか? 今回の旅の目的はこの工場周辺の現場を丹念に歩くこと。そして、中流域で水俣病が起こっていながら、何故この工場周辺で被害が報告されていないのかを現場を歩きながら確認したいという思いであった。



吉林駅前のホテルから市内を望む。工場のある北方向は見るからに大気汚染が深刻


バス停名の中に「電石(カーバイド)中学」(右から4つ目)の名が。水銀汚染の主原因となった吉林化学工業公司の カーバイド工場のことで、他に染料工場、化学工場などのバス停名も見える


東側から見た第二松花江。ちょうど対岸の所に生活汚水処理工場が建設されるという


今回は北京でのワークショップの事務局をされ、中国語の堪能な相川泰氏(東京大学大学院)に同行していただき、住民や関係者から直接話をする機会に恵まれた。工場周辺を一回りした後、排水プールを見学する。チッソの八幡プールを連想させる巨大な排水池がまだぬかるみの状態で松花江の脇に広がっていた。周辺の住民で元吉林石化の労働者は「1957年に排水池は作られ、80年ごろまで使われていたが、汚水処理場ができて使われなくなった。排水のひどかった1970年代は魚がくさくて食えなかったが、汚水処理場ができて、また食べられるようになった。でもあまりたくさんは取れない。」と話してくれた。汚水処理場では昨年20周年を迎え、工場廃水と龍潭区の生活廃水を浄化しており、新たに吉林市全体の生活排水を浄化する施設を建設中であった。松花江は生活排水の流れ込みと土砂採取などの乱開発が進み、水質は悪く、とても長白山の天池の清流の流れる川と思えるものではなっかった。

翌日、バスで吉林から50キロほど下流の土城子満族朝鮮族郷を訪れた。調査報告書にも魚の採取地点としてあるこの村はとうもろこし畑をはさんで松花江沿いに位置し、川には魚を取る網などもある。わずかに一人の老人が魚をとり続けているという。老人には会えなかったが、住民の話から川沿いには漁業とはいえないものの魚をとり、生活の足しにしている人々がわずかながら存在していること。魚は壊滅したのではなく、大きな魚はいなくても、小さな魚はおり、それを食べつづけていた人もいたことはわかってきた。多くの報告では「上流域は魚は壊滅し、常食している漁民はいない」となっている。確かに魚は少ないが、魚を常食にしてきた人たちがいる以上その影響を今一度調べる必要を感じながら、帰途についた。

吉林に入るとセメント工場からの煤煙と土ぼこりに上着を頭からかぶり、逃げるようにして走っていく人々が見受けられた。公害対策はまだまだを実感しながら帰途についた。ここもまた、水俣と同様に多くの課題があることをあらためて認識した旅であった。水銀汚染の根は深い。




吉林化学工業公司の汚水処理場正門前の看板−スローガンは「社会主義一流の環境保護企業を建設しよう」とうたっている


魚を獲る網もなお使われている


このような小魚はいまも採取され、食用にされている

【写真提供:相川 泰・谷 洋一両氏】





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