今回は北京でのワークショップの事務局をされ、中国語の堪能な相川泰氏(東京大学大学院)に同行していただき、住民や関係者から直接話をする機会に恵まれた。工場周辺を一回りした後、排水プールを見学する。チッソの八幡プールを連想させる巨大な排水池がまだぬかるみの状態で松花江の脇に広がっていた。周辺の住民で元吉林石化の労働者は「1957年に排水池は作られ、80年ごろまで使われていたが、汚水処理場ができて使われなくなった。排水のひどかった1970年代は魚がくさくて食えなかったが、汚水処理場ができて、また食べられるようになった。でもあまりたくさんは取れない。」と話してくれた。汚水処理場では昨年20周年を迎え、工場廃水と龍潭区の生活廃水を浄化しており、新たに吉林市全体の生活排水を浄化する施設を建設中であった。松花江は生活排水の流れ込みと土砂採取などの乱開発が進み、水質は悪く、とても長白山の天池の清流の流れる川と思えるものではなっかった。
翌日、バスで吉林から50キロほど下流の土城子満族朝鮮族郷を訪れた。調査報告書にも魚の採取地点としてあるこの村はとうもろこし畑をはさんで松花江沿いに位置し、川には魚を取る網などもある。わずかに一人の老人が魚をとり続けているという。老人には会えなかったが、住民の話から川沿いには漁業とはいえないものの魚をとり、生活の足しにしている人々がわずかながら存在していること。魚は壊滅したのではなく、大きな魚はいなくても、小さな魚はおり、それを食べつづけていた人もいたことはわかってきた。多くの報告では「上流域は魚は壊滅し、常食している漁民はいない」となっている。確かに魚は少ないが、魚を常食にしてきた人たちがいる以上その影響を今一度調べる必要を感じながら、帰途についた。
吉林に入るとセメント工場からの煤煙と土ぼこりに上着を頭からかぶり、逃げるようにして走っていく人々が見受けられた。公害対策はまだまだを実感しながら帰途についた。ここもまた、水俣と同様に多くの課題があることをあらためて認識した旅であった。水銀汚染の根は深い。
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