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「環境紛争処理北京WS」(3)

 第5セッション


◇第5セッション「環境汚染被害者の救済」
1. 許 可祝「わが国の環境侵害救済制度の整備に向けて−環境紛争処理における民間環境保護祖組織の役割」
2. 村松 昭夫「日本の公害裁判の前進と弁護士の役割−大気汚染公害裁判を素材として」
3. 王 明遠「環境侵害排除における利益衡量」
4. 除本 理史「公害健康被害補償制度における費用負担−大気汚染被害を中心に」


【質疑応答】






 
○これまでの成果をバネにさらに活動強化したい○

「わが国の環境侵害救済制度の整備に向けて−
環境紛争処理における民間環境保護祖組織の役割」


許 可祝 =公害被害者法律援助センター副主任=

許 可祝さん
許 可祝さん

  • 今、中国においては環境権の侵害問題が多発しているが、被害者たちがどこに対して訴えたら良いのか、どういう法的手段があるのかということなどについての知識をまったく持っていない人たちが多いので、それが社会問題にもなっている。
  • 我々援助センター(CLAPV)はそれらの被害者たちを援助してあげよう、行政機関への働きかけ、法律裁判の面で協力してあげようというような被害者たちの権利と利益をサポートしていこうということで設立されたわけだ。
  • きょうの私の報告は、民間の環境保護組織として被害者たちに人的、法律的、経済的な面で協力できるというCLAPVの役割についてまず触れたい。センターの設立は1998年10月のことで、当時から中国政法大学の法律関係に携わっているメンバーだけでなく、実際、我々のメンバーの中には清華大学法学院、北京大学、人民大学、武漢大学などいろいろな大学の学者たちや、10の法律弁護士事務所の先生方や医学者などで構成されている。詳しくはパンフレットを参照して欲しい。
  • CLAPVは組織にはなっているが、営利目的ではないのでメンバーたちは全てボランティアでやっている。54人がいて、その内訳は教授2人、副教授2人、講師3人、博士課程2人、修士課程3人、大学生2人などが常時参加している。センター長の王は「博士号」で博士の上で、日本にはないようだが、別にもう一人、法医学の先生もいる。
  • 我々の活動の目的の一つは、被害者たちにより多くの法的援助をしていこうという点にある。我々がどのようにサポートしているかは現段階では4つの面であるが、将来的にはさらに多くの援助をしていきたいと考えている。

    【スライドでCLAPVの機能などを説明】

  • 機能の一つは、一般の人たちに電話の無料のホットラインを開通して環境問題についての法律相談を受けている。次に、人民法院などの行政機関へ専門家としての意見を出すことをやっている。専門家の意見はこうだとはっきりと申し入れている。口頭で述べる場合と書面で出す場合がある。昨日から出ているように、裁判官一人一人の資質がまだまだ十分でないので、そのレベルを上げるために、環境法の解釈などをどうしたら良いかなどについてアドバイスしている。18日に行く懐柔県の事件についても我々から意見を出している。
  • 3つ目は、被害者の代わりに法律文書を代書してあげるという機能だ。行政機関に何らかの措置を取ってもらうためには口頭だけでは何の証拠にもならないので、申請書を書いて提出することによって、法律上、処理しなければいけないということになり、実行を勝ち取るためには被害者に有利だというアドバイスと実際に代筆することもする。
  • 4つ目は、弁護士の資格で直接訴訟案件に関わるという機能だ。昨日報告した韓さんの場合も関わっている。
  • このように活動を展開していくに従って、我々はより多くの信頼を得るようになった。開設以来、2355件の電話相談を受けており、さらに手紙による申し立てを受理したもの76件、来訪によるもの186件となっている。
  • 被害者への訴訟費用、弁護士費用を調達することもできる。通常、被害者は被害を受けることによって財産を失い、自ら訴訟費用を調達することは多くの場合困難だ。そういう場合は、我々の調達力を使って被害者への資金援助も行っている。
  • 我々が被害者のためにサポートした結果、貢献したことは20件あり、うち1審、2審ともに勝訴したのが2件、調停によって解決したのが2件、政府との協議によって解決したのが3件、上訴に成功して1審に差し戻されたのが2件、1審で勝訴した件数で被告側が上訴している案件が2件あり、合計11件が成功を収めてきているので、我々のこの種の活動は効果があるものと自負している。
  • 次に、マスコミ報道によるメリットをあげることができる。報道によって世論を起すわけだが、被害者が訴えているのは直接的にはある一企業ということになるが、本当に訴えなければならないのはその地方政府である。その行政の不行き届きによって企業が我が道を勝手に歩むことがあるし、各級の人民法院において人的問題、財政的問題、あるいは物質的なことにおいてすべて現地の共産党委員会、地方政府に従わざるを得ない状況の中で正しい裁判を行うのは非常に困難だ。地方政府が干渉してくることも多いに予想される。地方政府の幹部たちは上告とか陳情に対してはあまり恐がっていないが、もっとも恐れているのは社会的世論だ。一方、被害者たちはマスコミとの関係もないので、彼らにどういう形で訴えていったら良いのか、どこに訴えたらいいのかなどについては我々が積極的にサポートしてあげることでより効果を上げることにつながる。
  • 最後に、我々はこのような民間環境保護組織をもっともっと作りたいし、環境法を守る中で、法の改善・整備をしていきたいという点で切実に思っている。

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○公害裁判の判決結果が世論や行政を動かした○

「日本の公害裁判の前進と弁護士の役割−大気汚染公害裁判を素材として」


村松 昭夫 =全国公害弁護団連絡会議前事務局長=

村松 昭夫さん
村松 昭夫さん

  • 本日は、大気汚染公害裁判の前進を素材にして、日本の弁護士が果たした役割について話したい。
  • 日本における大気汚染公害裁判は1972年7月に判決が出された四日市公害裁判を契機にして公害被害者の救済や、行政による有害汚染物質の規制が進み、一定の大気汚染の改善が見られた。ところが、1970年代後半から自動車の急増による自動車排ガスの大気汚染が激しくなった。
  • そういう中で、公害被害者2500人が全国にある大気汚染の公害裁判をふたたび提訴した。被告になったのは一つは鉄鋼、電力、化学の主だった大企業で、すべて被告になった。もう一つは自動車排ガスの問題では大きな道路、1日10万台の走行量のある道路を設置あるいは管理をしている国や道路公団が被告となった。また、来年判決が予想されている東京の大気汚染裁判ではトヨタや日産などの自動車メーカーも公害の被告として訴えている。裁判の判決の経過については報告資料につけておいたので参照して欲しい。
  • 大まかに言うと、90年代前半までに工場排煙による公害責任を認めさせ、90年代後半から自動車排ガスによる公害責任も公害裁判で認めさせてきているという前進を勝ち取ってきている。こうした判決の前進は、国や地方自治体の公害対策の前進も寄与している。たとえば最近改正された自動車からの有害物質の削減の法律があるが、この改正においてもその判決の内容を大きく踏まえたものになっている。
  • ではそのような裁判の前進があったのか要因の問題に話しを移したい。なんと言っても、日本の大気汚染公害が後半に深刻に進行したにもかかわらず、行政がこれに積極的な対策や被害者救済を行わなかったことが一番大きいかと思う。二つ目は、病躯を押して公害裁判を闘い抜いた公害被害者の頑張りが大きな要因としてあげれよう。
  • 午前中の質問にも関連するが、日本においても公害被害者は最初から裁判に訴えたわけではない。たとえば大阪の西淀川地区の公害患者は最初は煙を出している最大の加害企業であった関西電力などに何回も何回も公害の差止めと被害の救済を求めた。行政にも同様に深夜にわたる交渉を何回も行った。しかし、行政も企業も自ら進んで被害の救済と公害対策を行わなかったので最後の手段として裁判に訴えたというのが日本の公害裁判の経過だ。
  • そして、最初から勝利の展望はなかった。4大公害裁判で有名なイタイイタイ病裁判の原告の団長は提訴した時の心境を「戸籍をかけた闘い」だと吐露している。彼は農民だが、もし裁判に負けたら先祖から引き継いできた土地自身を手放さなきゃならない。つまり自分たちの生活を裁判提訴だったわけだ。
  • 弁護士はこうした公害患者の裁判戦争を含む闘いに献身的にともに立ち上がった。医者や学者たちとともに手弁当で被害の現場に入り、被害を掘り起して被害者を励まして提訴し、裁判を闘ってきた。全国的にも各事件の弁護団が「全国公害弁護団連絡会議」(略称・公害弁連)を結成して全国で被害者と弁護士が一緒に闘うという闘いを進めてきた。
  • 大気汚染関係でも「大気汚染全国連」という組織を作ってともに闘ってきた。この連絡会での議論は大変厳しいものがある。一つ一つの裁判を勝利するために各裁判の進め方やそれを取り巻く世論をどう作っていくかということの厳しい討議と協力を続けてきた。日本の多くの弁護士が公害裁判に取組んだ要因として指摘したいのは、日本の弁護士法1条の存在だ。それは、弁護士の社会的な責務として基本的な人権の擁護と社会正義の実現をあげている。弁護士は公害現場に入ると共に、それが単に偶発的なものでなくて、被害と加害の構造的な人権侵害であるということを的確に捉えたと思う。
  • 私は20年間弁護士をやり、公害裁判をやってきたが、先輩弁護士からいつも言われてきたのは公害裁判は被害に始まり、被害に終わるということだった。常に公害の現場から被害者の訴えや叫びを大事にしてきた。そして裁判の過程の中で、医者や学者の先生たちの協力を得て、公害の原因を究明し、裁判勝利は被害者の叫びが社会的正義であるということを明確にしたこと、このことが大きかったと思う。
  • したがって、公害裁判の判決が行政を動かし、世論を動かしてきた。これが日本の公害裁判が果たした大きな役割ではなかったかと思っている。日本の裁判制度あるいは公害裁判の中にも多くの問題がある。これについては別の機会に述べたい。

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○人命が全てに優先するという考えが最重要○

「環境侵害排除における利益衡量」


王 明遠 =清華大学法学院副教授=

王 明遠さん

  • これまで両国の参加者から実例を上げながら多くの有効な報告が行われ、賛同するところが多いが、私は環境侵害排除について理論的に考えたらどうな るのかというスタンスで報告を試みたい。環境侵害を排除していくために利益のバランスをどう考えていくかということで話したい。
  • 一つの仮想として、一人の農民がいて、住む家の近くにきれいな川が流れていた。その川のそばに化学コンビナートが建てられ、そのきれいな川に公害になりうる化学物質を延々と毎日のように流し続けた。それによって、私の体の調子もおかしくなり、飼っていた家畜も病気で死んでいってしまった−以上のような図を描いていただきたい。
  • もしそういう状態に遭遇すれば私は必ず関連行政機関に訴えていく。環境保護センター、保護総局へ。そして、通じなければ訴えを起すこともやぶさかではないと考える。当然、私の医療費や家畜を失ったことなどこうむった損害について賠償を当局に求めざるを得ない。
  • 私がこうむった損害というのは本当に正義を貫き通すという意味でも、理に叶った要求は勝訴になるのではないかと思う。そうなれば確かに私がこうむった損害については補われるであろう。しかし、それは財政的、金銭的にしかすぎず、根本的な問題はいぜんとして解決されない。したがって、私が被害者であるとすれば、一被害者としてこいうことが二度と発生しないように何らかの措置を講じてもらう手段を取ると思う。
  • こういうことが2度と発生しないようにと人民法院に訴訟を起して勝つ見込みがあるのかというと、それはそう容易ではない。したがって、こうむった損害を賠償してもらうことは容易かもしれないが、それよりも環境侵害が二度と発生しないようにするには利益のバランスをどう考えるかということだ。この利益の中には社会的利益、住民の健康上の利益、国としての発展のための利益など諸々の利益をすべて考えていかなければならない。これは裁判官にとっても非常に難しいことではないか。しかし、これが本日申し上げたい利益衡量だ。
  • 一方、私が化学工場の経営者であったら、経済発展のために社会主義建設に一生懸命貢献しようとするだろう。もちろん、保護局の許認可を受けて違法はしない。但し、企業としての発展に伴い副作用とも言うべきことが出てくる。工業廃棄物だ。この工業廃棄物について企業経営者が認識しないと根本的な公害問題は防止できないだろう。
  • 他方、被害者としては自分の生活環境における環境権を守るためには必死になろう。いままで美しい環境の中で生活してきた者が自分の身体も、家畜も農作物も影響を受けるので、これは単なる金銭で解決できない問題に発展していくわけで、そういう面で大きく自分の権利を侵害されたと言っても過言ではない。
  • そういう意味で、権利のバランスをとっていくことは、裁判官にとっても非常に難しいことだと思う。要は、被害者のことも考えなければいけないし、加害者となる企業の社会における立場も考えていかなければいけない。しかし、いずれにしても裁判官は被害者の立場で考えないと公平さが失われるであろう。
  • したがって、裁判官としてはまず被害者の利益を考えて、それを守った上でさらに加害者側が引き起こした公害が社会的にどのくらいの重要度があるのかも測っていかなければならない。それが第1だ。故に、我々の環境保護法を含めていろいろな改善をしなければならないが、裁判官も公平さに基づいて判決を下さなければならないし、判決に至る前にいろいろな審議が行われるであろうが、諸段階においてすべてそういう立場に立って考えなければいけないと考える。
  • 中国は、社会としても発展していかなければならない、伸びて行かなければならない。しかし、全ては我々人間のために作り上げているものなので、公害汚染とか環境汚染とかは人間の立場で考えなければいけない。
  • 具体的に言うと、利益のバランスのためにはいくつかの面で考えなければならない。たとえば環境侵害の度合いと、侵害されたのは人格なのか、健康なのか、財産なのかなど種類をきっちり区別しなければいけない。当然加害者としても分析しなければならないことは、私たちがもたらされた権利の侵害がどういう種類なのか、大気汚染、水汚染、その他の汚染などなど。また加害側として、その侵害を排除していくために、二度と発生しないように適切な手段を講じているかどうか考えることも重要だ。
  • 以上は利益衡量における双方の加害者、被害者がそれぞれ考えなければならないことだが、もう一つ被害者としては侵害の程度も測らなければいけない。ご存知のように人格的権利は財産的権利より重要視される。たとえば、我々の生命の危機に脅かされたら、通常の利益衡量で測ってはいけない。要は人体に関わるもので、利益等は財産に属するものであるから、なによりも人の命を第一に考えなければいけない。
  • いろいろ言ってきたが、まとめたい。全てのことにおいて経済利益、財産利益を考えるだけでは環境問題は根本的に解決しない。どこに危害を及ぶすものなのかを明確に見極めた上で対処する必要がある。したがって、小規模な訴訟問題であってもそれが人命に関わることであればそれを大優先にしなければいけない。もっと広範囲にわたって人々の利益、社会発展のバランスなどすべて考慮した上で金銭的な賠償によって解決することは可能だと思う。この二つのことはまったく異なる種類の案件なので今後の法改善においても常にこのようなことを考えて取組む必要があると考える。

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○自動車メーカーの負担率など見直す点あり○

「公害健康被害補償制度における費用負担−大気汚染被害を中心に」


除本 理史 =東京経済大学経済学部助教授=

除本 理史さん

  • 時間が限られているので詳しくは資料を参照して欲しいが、公害健康被害補償制度とは日本の国の制度で、大気汚染公害裁判の成果として設定された法律だが、大気汚染の健康被害に対する救済制度としてはある程度役立ってきた。しかし1988年の法律改正をもって新たな救済が行われないという事態になった。
  • 88年の法律改正の評価について賛否あるが、私は反対の立場を取っている。その点について制度の中身と共に説明したい。この制度は被害者への金銭的な救済制度なので、どういう人たちからどういう金を取るのかと言うのが一つ目のポイントであり、その金をどういうグループの人たちに支払うのかというのが二つ目のポイントだ。そして三つ目のポイントは給付、すなわちどういうような金を支払うのかということだ。

    【以下スライドで説明】

  • 金を払う人たち、固定発生源と言っているが、工場あるいは事業場、それと自動車ユーザーが支払う税金が主な財源となっている。これ以外に、自動車メーカーの費用負担が現在では一部入っているのと、国の一般財源からの負担もある。以上が第一点だ。
  • 次に、どういうようなグループの人たちに払われているのかとうことだが、具体的言うと、昨日、ここで報告した森脇さんや松さんなど、いわゆる認定患者と言われている人たちだ。認定患者というのは法律で決まっているが、認定審査会によって認定された患者さんだ。認定患者さんに7種類の補償給付が支払われることになっている。6種類のほかに遺族補償一時金というのを加えて7種類になる。
  • もっとも多いのは医療費と障害補償費で、認定患者さん一人あたりのまったくの単純平均は年間100万円くらいになっている。
  • 以上がこの仕組みだが、きょう私がもっとも話したかったのは「費用負担」についてで、時間がないので簡単に一点だけ説明すると、今、大気汚染の中心は自動車だが、それを売っている自動車メーカーの費用負担は僅かに0.2%にすぎず、問題視されている。私もこれは問題視しており、負担のあり方を見直すべきだと思っている。

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【主な質疑応答】

▼公害問題における「人」と「財産」の区別について―

Q(王講師へ)
公害問題は概念としては、人と財産の被害の二つが考えられるが、それ らは区別できるか? つまり、ある事件は財産だけで、ある事件は人だけというのは 実際にはどう考えるか?
Q(王講師へ)
行政の立場から考えたら、計量的手法で公害・環境汚染を測ることをどう考えるか?

A(王講師)
質問を確認したいが、人格と財産の計量は理論上は理解できるが、実際に は白黒をはっきりとつけるということは可能と思うかということだと理解したが…。 二つの面から答えたい。まず第1は、人格の権利侵害と財産面での権利侵害ははっき りと区別できるものだ。少なくとも理論上では。財産面から申し上げると、不動産と か金銭面での損失などの面の損失に絞れる。それが財産権であり、これは他人に譲渡 できるものだ。しかし、人格はそれはできない。もっと神聖なものだ。生命に危害を 加えた場合、あるいは身体に支障をもたらした場合、そういうものは全て命に関わる、 その人の人間としての存在価値に関わるわけで、この二つはまったく異なるものだ。 たとえば環境汚染によって、私の財産に危害が与えられたら私は訴訟を起して、財産 に対する損害賠償を求めればそれですむことだが、もし私の健康や命に関わることで あれば判決結果によってはすでに死んでしまったら、遺族に任すしかないが、死ぬ恐 れがある、自分の身体に危害を及ぼすおそれがあるという場合はなんとしても改善し てもらわなければ困るわけで、もっと違った意味で対処していかなければならないと 考える。 したがって、人格を、人権を守っていくということは道徳から見ても、人情からして もそうだが、法律としてきっちりと守っていかなければならない。 また、この件について人権と財産権をどのように区別するかと言うと、中国の環境保 護法にも書かれているように、日本でもはっきりと区別していると私は理解している。 また日本の公害健康補償制度も人権に関するものであって、財産に関するものでない と理解している。これからもはっきりと区別していくことが必要だと考える。

▼公害健康補償制度で主張したいことは―

Q(除本講師へ)
「公害健康補償制度」の経済分析をした結果、何を主張されたいのか?

A(除本講師)
答えはいくつかあるが、一点だけ申し上げたい。NOXやSPMという自動 車から出る大気汚染物質に対する費用負担を増大させなければいけないというのは明 らかだが、いまの方式だと汚染物質を削減するようなインセンティブを与えるような 負担方式になっていないのが問題だと思う。私は単純に公費負担をなくせという立場 ではないが、国の財政から金を払うにしても目的税的に、いま申し上げたようなイン センティブを与えることが良いのではないかというのがポイントの一つだ。

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