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| 「環境紛争処理北京WS」(2) |
| インタビュー |
日本側事務局長 寺西 俊一さん
(日本環境会議事務局長、一橋大学大学院経済学研究科教授) 情報公開という点でこれまでの中国への印象は良くなかった
―― まず、事務局長としてこれまで根回しから準備までリードしてこられたわけですが、今、前半2日間のシンポジウムを終わったところで、ご感想はいかがですか? ( 寺西 ) 今回は事務局長とは名ばかりで、事実上は大塚、相川両君が本当に良くやってくれて、かつてない楽をさせてもらいました(笑い) ―― 本論に入る前に、寺西先生は中国とどのくらいのお付き合いになるのでしょうか? また、どんなイメージをもっていたのでしょう。 ( 寺西 ) 最初の訪中は1994年の11月でした。浦東地区の開発をするにあたって上海人民政府の主催による「大都市と環境保全」というテーマでの国際会議に招待されたのが最初です。その時、実は中国という国は得体の知れない国だと思ったんですよ(笑い)。その国際会議では、開会のセレモニーだけはピシッとやったのですが、その午後の実質的な討議になると中国の関係者がほとんどいなくなっちゃうんです。5つくらい分科会があって、私も、ある分科会のチェアマンを頼まれたものの、中国側のチェアマンは顔を出さないで、海外から参加していた3、4人だけが出席しているという状態でした。肝心の中国側がだれもいなくて、ほとんど実質的な会議になりませんでした(笑い)。私自身は準備していったプレゼンテーションをやりましたが、午後の分科会が予定の時間より1時間以上も早く終わってしまいました。それで夜になって、歓迎レセプションがあったのですが、そこには、中国の行政関係者がものすごい数で集まりまして…。そういうのを2〜3日やりました。私には、これが中国の社会なのかという、そういうイメージが強くなったのです(笑い)。
それから2回目の訪中は、私が事務局を務めている日本環境会議で『アジア環境白書』を作成する共同研究プロジェクトを95年から立ち上げていますが、そのアジア地域の現地調査の一環として、中国の環境問題の実態を調査したいということで、96年9月中旬に、北京から入って、北チームと南チームに分かれて調査にきたときです。北京の国家環境保護局も訪問しましたが、ほとんど儀礼的な対応でした。われわれの質問にもごく一般的な回答だけで、個別の具体的な話しも資料やデータもほとんど出てきませんでした。その後、北京の国家環境保護局の紹介状をもらって、かつて吉林省で問題になった中国水俣病の調査に行きましたが、ここでは省政府から、いまさら水俣病の問題をほじくり返されては困るということで、完全にブロックされてしまいました(笑い)。
―― 今回は、北京の前に上海へ行かれたそうですが…。
( 寺西 ) はい、上海に大学院ゼミの学生諸君を何人か連れて、蘇洲川で進められている4000億円もの水質浄化プロジェクトについて、3箇所くらい、このプロジェクトのポイントを視察させてもらいました。上海人民政府の総括責任者の話なども聞きましたが、やはり表向きの話がほとんどで、いろいろ問題はあるけれども一所懸命にやってますという話しです。実は今回のワークショップも、そういう延長線上になってしまうのかなと思いながら北京に入ったんです。
今回のワークショップはイメージを一変させた
―― しかし、ワークショップは違った? ( 寺西 ) 最初に報告レジュメ集のペーパーに目を通した限りでは、果たして日本側の議論とうまく噛み合うのかな?と心配していたのですが、実際の報告は、中国側のみなさんもちゃんと分かっていて、被害者側の人権や環境権をどうやって守っていくか、そのためにはどのような法制度を新たにつくっていくべきかという問題意識にもとづくものでした。ちょうど日本では1970年3月に「環境破壊に関する東京シンポジム」が開かれ、その時に「環境権の確立」ということが初めて提起されているのですが、あの時の議論に似ているのではないかという印象を持ちました。 ―― 30年前ですよね?…。 ( 寺西 ) そうです。中国でも今、そういう「環境権の確立」の重要性ということを認識し始めた法律関係者を中心とする専門家が登場してきているという印象です。そういう意味で、中国は今、本当に変わりつつあるという実感を持ちました。
期待以上だった被害者の生の声
―― そこで、今回もっとも印象に残った報告はということになりますと…。 ( 寺西 ) なんといっても内蒙古の農民である韓さんによる生の声が衝撃的でしたね。今回の会議に、王先生がああいう被害者を呼んで報告させたというのは正直言ってびっくりしました。そこまでは期待していませんでしたから。それに、我々の前で政府や行政のあり方にバンバン不満をぶつけていたのは非常に印象的でした。中国でも、こういう被害者の声が表に出始めているというのは、それが突破口になって、これからの中国は大きく変わっていかざるを得ないという証しです。とくに県レベル以下のローカル・ガバメント(地方政府)がまだ相当に古い体質のままできているという感じですが、そこが変わらなきゃいけなくなっているという焦点が非常に良く見えましたね。多分、セントラル・ガバメントの方でも、王先生たちの突き上げもあって、遅れた地方政府のあり方をなんとか改革していこうという意識があるのではないでしょうか。したがって、おそらく「環境紛争処理法」もきちんと作って、そこを近代化しようという流れが動き始めているのではないでしょうか。
2年後の日本での開催はまた一歩進むことを望む
―― なんと言っても、継続が力だと思います。次回以降の話ですが…。 ( 寺西 )淡路さんの話しとの重複を避けますが、来年の3月末に第20回目の日本環境会議を島根県の松江で開催します。また、来年の11月頃には、前回(第5回)インドのアーグラでやった「アジア太平洋NGO環境会議」の第6回目の会議を台湾の高雄で開催する予定になっています。こうした会議を通じても継続的に中国側との関係を維持しながら、その後の2003年には、できれば今回のワークショップの継続という形で、中国側の主なメンバーを日本にお呼びしたいというところまで、話が進みました。これは、2年後なので、また一歩進んだものになることが期待できると思います。 ―― 最後に、今後の段取りは? ( 寺西 ) 王先生の方は今回のワークショップのレポートを「環境紛争処理の理論と実践」というタイトルで出版されるお考えのようです。我々日本側も、来年には日本語版の報告書をまとめる予定です。
【2001年9月16日、北京友誼賓館にて】
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