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「環境紛争処理北京WS」(2)

 第3セッション


◇第3セッション「環境訴訟案件における証拠の收集およびその活用」
1. 呂 忠梅「中国の環境司法と現状」
2. 宇井 純「日本の公害と被害者運動」
3. 高 増林「公害病認定制度の設計・カドミウム汚染基準」
4. 原田正純「日本の公害事件による健康被害の実態について」
5. 西村隆雄「公害訴訟における立証活動−大気汚染訴訟の因果関係を中心として−」






 
○司法の現状、残念ながら問題多々ある○

「中国の環境司法と現状」


呂 忠梅=湖北省高級人民法院副委員長=

呂 忠梅さん

  • 自己紹介をしなければいけないが、実のところあまりしたくない心境だ(笑い)。と言うのも、さきほどから公害の被害者たちや学者たちが中国の法院に対して様々な厳しい意見を言い、私自身がその中国法院の中の一裁判官であるからだ。
  • とは言え、事実は事実として申し上げると、私は今、湖北省の高級法院に勤めている。その前は中南財経政法大学で法律関係、環境法関係について研究していた。しかし、今回は学者と裁判官の両方の立場から中国の環境に関する法律関係のことを話したい。
  • 今、湖北省全体で訴訟案件は年間5万5000〜6000件にのぼっており、そのうち環境問題関係は100件足らずだ。これは先に別涛処長が紹介した中国環境保護総局に寄せられた手紙や陳情案件に比べたら少ないが、環境問題は実際に法廷に持ちこまれるのが少ないというのも事実だ。
  • 誤った判決を下したのは以下の三つの原因が考えられる。一つは、法律面で我々国民の権利を公正な立場で守っていくというような一連の仕事の中で大雑把な部分があること。二つ目は、裁判官それぞれが特殊な環境汚染訴訟に対する基礎知識、基礎概念が欠けている。それによって正しい判断が下せなかったというのも一因だ。湖北省の場合、全省で裁判官が約1万2000人いるが、そのうち法律関係の知識を持っている裁判官、つまり法律関係の大学を卒業したのは16%だ。残りの84%は特別なトレーニングを受けたものではない。したがって、80数%が環境問題教育を受けておらず、ましてや今じょじょに問題視されている環境紛争処理についての意見、見識は乏しいというのが現状だ。したがって、このような環境の中で、我々の裁判官に対して正しい判決を下さなければならないといくら言っても、そのようにできるのは非常に困難だ。三番目の原因としては、法院の独立性が確立していない現段階においては正しい判決を下すのは困難だ。
  • 我々の組織で言うと、各級の法院の院長から裁判官に至るまで全てその担当の人民代表大会によって人選されている。なぜそのような任命制度を選択しているかというと、各法院の代表及び裁判官たちは全てその地区の現地の経済発展、現地の利益を守らなければならないという課題が与えられているからだ。したがって、こういう組織形態の中で人民法院も現地産業の発展や経済発展ばかり追及して、それ以外の被害者たちの権利を守ることにはついつい疎かになっている。これも必然の結果と言わざるを得ない。
  • このような話しは、あるいは言い訳に聞こえるかもしれないが、地方法院の現状、組織形態の実態をありのままに申し上げている。間違っていると分かっていながらそういう判決を下さなければならないというケースも現実にはあり得るわけだ。
  • 環境問題のみならず法律的なことを一つ一つ正しく公平にさばいていくために、もっとも重要なことは立法、司法、行政をそれぞれが責任を持って公正にできるような組織作りを一からやり直さなければいけないということを感じている。

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○中国での環境改善、必ずしも大きな投資いらないのでは○

「日本の公害と被害者運動」


宇井 純=日本環境会議代表理事/沖縄大学政経学部教授=

宇井 純さん

  • 40年にわたり先進工業国、資本主義国、社会主義国、発展途上国という4つの地域や国をつぶさに見、かつ調べて得られた結論の一つは、社会主義計画経済というのは産業公害を起しやすく、また激化しやすい性質を持っているということだ。これはまた1920年代にソ連に導入されたヨーロッパの技術と、40年代にやはりソ連に導入されたドイツの技術が基盤になっていることが多い。
  • その中で、経済等の発展が正常に進まなかった結果、水と空気はただであるという理論が信じられるようになった。したがって、各地を歩くと、これでは原料の損失がはるかに大きいのではないかと思われるような激しい煙や濃度の高い排水が行われいることが見られた。計画経済では設備の償却という考え方がないため、施設の整備がなされていない。
  • それから、さきほどの韓さん印さんの報告にあったように、国家産業を相手にする地域住民の公害の訴えというのは非常に困難だ。また報道の自由も限定されていることなどいろいろな条件が重なりあって、中国の公害は20世紀大変な進行を示したと理解している。
  • しかし、もう片方で水資源の保全ということについてはかなり意識的な措置が取られた形跡がある。たとえば河川の水質の調査などについては資本主義社会よりもかなり古くから継続的に行われている。
  • いろいろな体制にもほぼ共通する現象として、公害の起承転結というものを見出した。

    【白板に「起承転結」の文字を書き、説明する】

  • すなわち、「起」は公害発生、「承」は原因判明、「転」は反論提出、「結」は中和成立というこの4文字に公害のプロセスを当てはめることができる。
  • この中で大事なことは、文学では「結」が大切だが、公害事件の場合、往々にして原因不明となり、尻抜けになってしまうことがある。とくに、反論の際に使われているのが権威のあるとされる大学教授などで、これは洋の東西を問わない。きょう伺うと中国においてもそうらしいということを理解した(笑い)。
  • しかし、往々にして「この公害はこの工場と関係ない」という"第三者"の科学者の主張はよく調べると間違っていることが多い。実は加害者・発生源とつながりがある。日本の水俣病でもイタイイタイ病でもそういうことがあった。
  • また、一般に科学者は新しい公害のような現象に関しては保守的だ。自分の身を守るためには危ないかもしれない公害問題にはできるだけ関わらないようにするというのが日本の科学者の主流であった。そういう中で被害者有利な証拠を探していくことは大変な仕事であるということは私の経験からも明言できる。私の経験では徹底した現地における関係者からの聞き取りと、現地の自然条件の読み取りによって因果関係を固めることができた。
  • 中国にも同じような言葉があるかどうか分からないが、日本には"猫のたたり"という言葉がある。新潟の水俣病の被害を受けた漁民からこういう話しを聞いた。飼っていた猫が2匹続いてまったく同じような症状で死んだことで、その漁民はこの家には猫がたたっているのではないかと考え、以後、猫を飼うのをやめたということだった。実は、この漁民の一言は新潟水俣病がいつ頃から始まっているかということを決める決め手となった。
  • 日本で昨年上映された『エリン・ブロンコビッチ』というアメリカ映画は、カリフォルニア州で実際にあったことで、弁護士事務所の助手が足で歩いて証拠固めをして史上最大の和解金を取ったというストーリーだ。私の因果関係の研究はほぼ半分以上は現地の調査で得られ、残りの半分近くは裁判での反対尋問によって得られた。被告側の証人が証言していることがもし正しければ、その中味を科学的に追求してしていくと現実にどうなるか。新潟水俣病の裁判ではそういう作業によって因果関係のかなりの部分を鑑定することができた。
  • 最後に、これも裁判で明らかになった事実だが、水俣病を引き起こしたチッソの排出した水銀を完全に止めるのに必要だった費用はわずか150万円だった。以上のような体験から、中国ではある部分の環境改善はそんなに多くの金をかけないでもできるのではないかと予想している。

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○損害賠償、中国では2〜3万元が妥当○

「公害病認定制度の設計・カドミウム汚染基準」


高 増林=太原環境医学研究所長=

高 増林さん

  • 私が属している「太原環境医学研究所」の直属の上部機関は国家環境保護総局になる。我々の公害の研究は、公害病の発生が5%を超えた場合、本当の公害になっていく要素があると考えている。
  • 中国の発展のスピードは極めて早く、東南アにおいても稀有の存在だ。わが国において公害病という名称があるかということだが、法律的にも公害の意味をきっちりと決めないことには実際なんでもかんでも公害とは言えないのではないか。またそれと反対に公害とうたう以上は、医学的にも法律的にも根拠がなければならない。
  • しかし、公害か否かは別として、実際に人体に影響を与えているケースがあることも現実だ。たとえば、ある地区において有色金属の解体や製錬工場を建てたり、鉱山の乱開発などによってすぐ公害問題となっていくが、それらで一番多いのはカドミウムによる被害と水銀による被害だ。現地の被害者の症状を診ると、ちょうど日本のイタイイタイ病の原型とよく似ている部分がある。
  • あるいは別の地区における鉱山と製錬工場の廃棄物によって、近くの湖が完全に汚染されて、その湖の周辺に住んでいる住民はその水を毎日飲んでいるので、それで被害を受け、大きな問題となっていることもある。
  • また、ある地区においては水汚染によって子供たちの骨の質が完全に変えられ、その中には奇形児が生まれることもあり、骨の病気もいろいろ起こっており、これも中毒症状の一つと私は判定している。
  • このような環境問題をどう解決していかなければならないか、どう法律を改正していかなければならないかについては、さきに別先生が紹介したように、立法、司法、行政の三者が一体となって一生懸命やっていかなければならない問題だ。私自身、そのような法改正によってこれからの社会に適した環境体制、環境紛争を解決するような手立てを考えていかなければならない。そのことで教え子の何人かは今、日本で日本の法律的なこと、政策的なことの研究をしている。

    【中国語の論文要旨の表を示して説明する】

  • 医学的な診断書を出す場合、法的に認定することと、もう一つは被害者の生活習慣も参考要素の一つである。たとえば日本の水俣病に関しては被害者の住民たちは魚を食べる習慣があったことが特徴だった。
  • 環境紛争処理の因果関係の調査は非常に難しく、正確に判断するのは容易ではない。ただ、一般的に行われている健康病害調査もあるが、それ以外にも推定病害調査も必要ではないかと考える。但し、この推定病害調査においては、まず環境において長期的に影響を与えていた特定の汚染物質の有無について確認しなければならない。それと被害者は環境汚染地区に長期にわたって生活していたということも条件の一つだし、さらに被害者の健康被害および汚染物質との接触頻度の相関関係も推定調査の対象になろう。
  • 訴訟においてもっとも難しいことは損害賠償である。いくらを、どのような方法で支払ったら良いのかということだ。日本では一括賠償という方法と医療費、慰謝料という形で分けてそれぞれの段階で賠償していくという方法もあるようだが、中国の場合、日本と若干異なるところもあるものの、いずれにしても健康に与える損失に対して補償していかなければならない。そうすればあとは当然、治療費なども払っていく。そして、年数としては8年くらいをメドにしたら良いと考えている。
  • このように、国の現状に合わせて損害賠償に対処していく必要があると考えるが、日本の水俣病では人民元にして800万〜1600万元の損害賠償がされたと思うが、中国ではそのような高額な賠償になると被告側、敗訴側にそのような高額の負担ができないことが生じるので、2万〜3万元の損害賠償が妥当ではないかと思う。

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○医学が環境問題に関わらざるを得ない時は手遅れだ○

「日本の公害事件による健康被害の実態について」


原田正純=日本環境会議代表理事/熊本学園大学教授=

原田正純さん

  • 私が最初に中国へきて公害の話をしたのは1976年だった。以後数回訪問しているが、今回のように多方面の方々と話ができるのは初めての体験だ。私は過去40年、水俣病初め公害病を医学の面から見、裁判にも参加してきた。証言台に立ったのも50回以上になろう。本日は時間がないので、詳しくは詳録を参照願いたい。
  • 結論を先に申し上げる。日本の公害問題の非常に不幸な点はどうしようもないようなひどい患者がたくさん出て、そのため医学が最初に環境問題に取組んだことだと思っている。実は、医学が環境問題に出る時はすでに手遅れだからだ。しかし、実際には日本では医学が随分と公害裁判に関わってきた。その関わり方には大きく分けて二つあった。
  • 一つは、因果関係を証明するということ。これにはすごい時間がかかる。因果関係が分からないということを理由に企業はなんら対策を取らなかった歴史がある。行政もまた因果関係が証明できないことを理由になんら対策を取らなかった。そして、因果関係が分かり始めてくるとこんどは反論をしてくる。反論の中味にはいくつかのパターンがある。たとえば調査が不十分だという言い方、他に例がない、外国で報告されていないなどだ。あるいは動物実験でまだ証明されていないという言い方もある。このような反論をしている間にも時間はドンドン過ぎていき、患者の救済は遅れていく。そこで医学の出番というか関わり方がある。
  • ところが、因果関係が確定してしまうと、こんどは個々の個人が被害者かどうかという論争になる。公正と科学的な根拠が必要ということで認定制度というものを作り、認定基準というものが決められる。ところが日本の経験ではしばしば認定基準が新しい事実を取り上げないために現実と非常にはなれたものとなってしまう。そのため認定の条件、病像を狭く捉えてしまう。さらには症状の捉え方まで現実に当てはめようとする。たとえば機械で検査をしなければいけないとか、生きたまま一部分の組織を取ってみなければだめだとか、極端な場合は死んで解剖しなければ分からないということにもなる。
  • 個々の因果関係あるいは診断、認定に関しては厳密な厳しい医学的判断でなくて良いと私は考えている。むしろ法律的、社会的、政治的な判断も必要だ。たとえばその人がどこでどういう生活をしていたかということを状況証拠として取り上げれば十分だ。あまりにも厳密に被害者を狭く捉えることは企業の責任を小さくして、被害者の不利益になる。そればかりでなく、医学的にも現状の範囲や実態を明らかにすることを阻害することになる。

    【スライドで足尾鉱山を初めとする日本の公害の歴史や水俣病の現場などを説明する。中略】

  • 水俣病は子供がたくさん発見されたことで発見された。環境汚染はそこに住むもっとも弱いものに現われる。そして、水俣ではもう一つ重大なことが起こった。へその緒を通して母親から胎児に病毒が伝わってしまったことだ。それまで誰も気がつかなかったことだ。これらの厳粛な事実を踏まえて、私たちは次の世代のために環境を守らなければならない。

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○疫学調査を重視した裁判所の判断で道が開けた○

「公害訴訟における立証活動−大気汚染訴訟の因果関係を中心として−」


西村隆雄=全国公害弁護団連絡会議事務局長=

西村隆雄さん

  • すでに紹介されているが、日本では1960年代に主として工場からの公害、大気汚染が問題になった。そして、その後70年代半ばから現在まで自動車、道路からの大気汚染公害がいまだに解決できずに大変な問題として残っている。
  • 70年来、これらに関わってきた経験を通じて話したいが、これらの裁判では大気汚染と公害病の因果関係が大きな焦点として争われてきた。一口で因果関係と言っても、その概念は多様だ。基礎医学の分野では具体的な原因物質を特定して、それが体内でどのような働きをし、どのような過程で疾病するかというメカニズムが細かいところまで立証できないと因果関係を立証したことにはならない。
  • これに対し、同じ医学の分野でも疫学の分野ではその疾病の原因物質は何か、結果に関連する要因は何かを探求する。ここでは因果関係の中では具体的なメカニズムの解明までは要求されていない。
  • 日本の民事の損害賠償の中で法律自体は概括的な規定しかないが、判例の積み重ねの中で具体的な因果関係をどこまで立証するかある程度確立されてきている。具体的には法律上の因果関係とは「特定の事実が特定の結果発生を招来した関係」を意味するものとしており、厳密に自然科学的な方法による因果のメカニズムが証明されなくてはならないものではなく、法的な責任を追及する前提として必要な程度の因果の蓋然性を立証すれば足りるとしている。
  • 法律上の因果関係とは結局のところ、結果に対する法的責任をだれが負うかを確定するものだから、因果のメカニズムまでは不要であり、原告被害者にそこまで求めるのは法的に反するというのが判例の立場だ。
  • 以上を踏まえて、我々原告側の訴訟活動としては、具体的には、当該地域における激甚な大気汚染と深刻な歴史と、これに対し立法・行政上の対応措置が取られてきたことを前提とした上で、全国各地で実施されてきたこと疫学調査・研究において繰り返し大気汚染と公害病の関連性が明らかになってきたことを立証の中心に据え、これに動物あるいは人を対象とした実験研究の結果を合わせて、因果関係の立証を行ってきた。
  • 大気汚染の裁判の中で先陣を切ったのは四日市の大気汚染だった。この中で被告の企業側は因果関係の立証には疫学では不十分である、メカニズムの厳密な立証まで要求されるんだという主張を展開し、さらに集団的な因果関係では不十分で、個々の原告と因果関係を具体的に厳密に立証する必要があるということを主張した。しかし、裁判所はその被告の主張を排斥し、まず集団的な因果関係については疫学調査を重視すると明言した。このような判例がある程度確立したことはその後の裁判に大きな力となった。
  • 大気汚染訴訟ではこれをもとにその後の訴訟を展開したが、その後の被告の企業側は日本で行われる大気汚染の疫学が手法としては杜撰で信頼性がないという主張を展開した。
  • 被告側は、具体的には実行できないような、理想的な調査が行われない限り因果関係は論じられないと主張した。そして、この主張に沿う疫学の学者を証人にし、まったく逆の証言をさせるということをやった。また、転々と証人をする東大の教授とか、米国の大学の学者を約1000万円、70万元を払って証人に引っ張り出すこともやった。
  • それに対し、原田先生初め何人かの専門家に証人に立ってもらったが、企業側がやったような御礼はもちろんできないし、学者生命をかけて法廷に立ってもらった、いわば血と涙の中で今の前進があったということを申し上げたい。





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