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「環境紛争処理北京WS」(2)

 第2セッション


◇第2セッション「環境汚染とその被害の諸相」
1. 谷 洋一「水俣病事件−被害者の闘いと市民の支援活動−」
2. 汪 勁「ある騒音妨害判決に見るわが国の環境立法、環境行政及び司法の課題」
3. 森脇君雄「被害者からの報告−尼崎−」
4. 松 光子「日本の大気汚染−被害者運動とその教訓−」
5. 韓 祥「長年の汚染事件 いつ結果が出るのか」
6. 印 純生「公害被害者には法律援助が必要」






 
○新しい知見をもとに被害状況の継続的な調査が望ましい○

「水俣病事件−被害者の闘いと市民の支援活動−」


谷 洋一 =アジアと水俣を結ぶ会事務局長=

谷 洋一さん

  • 1970年から水俣病問題に取組むとともに、日本のみならずアジアの様々な公害問題、環境汚染問題に取組んできている。本日は「被害者の闘いと市民の支援活動」について話をさせていただくが、運動の評価や医学的な面からの話しは宇井先生、原田先生に委ねるとして、私は"支援"ということを通じて水俣病問題を話したい。
  • 水俣病事件は改めて話すまでもないが、水俣市のチッソ水俣工場のアセトアルデヒド工程等で生成されたメチル水銀が水俣湾や水俣川河口に垂れ流され、内海・不知火海の魚介類を汚染、それを主食にしていた漁民を中心とした沿岸住民数十万人に被害を 与えた、日本最悪の公害事件である。
  • 30数年間、水俣病問題に取組んできたものの、いま、本当の意味で水俣病問題の実態を把握したかどうかということに対する反省の念が強い。十分にできていなかったということを改めて感じている。
  • 水俣病事件は、1956年に発見されて以来45年が経過しているが、まだ多くの問題が山積されており、到底解決されたとは言えない。

    【以下、OHP等で水俣のロケーション、魚や猫の発病地などの説明あり】

  • きわめて濃厚な汚染を受けた地域には約10万人ほどの人たちが住んでいた。私たちはこれまでこの地域を重点にしていろいろな調査をしてきたが、 最近になって、日本の基準値は50ppmとなっているものの、10ppm以下でも胎児や幼児に影響があるという研究結果が多く発表されている。 そう考えると、多分200万人以上の人たちが何らかの形で影響を受けたのではないかと、今は考えつつある。
  • 水俣病事件は、歴史的には何度も被害者と加害者の政治的関係の中で揺れ続けてきた。紛争の焦点は、加害企業であるチッソの責任の問題、またその加害を容認し、拡大させてしまった国・県の責任の問題などが争われた。
  • 同時に、被害者として認定するのかしないのか、補償をいくらにすべきかという問題がこの40年にわたって焦点となっってきた。しかしながら、本当の意味での解決はその地域での汚染をなくし、かつ、被害者への全面的な福祉政策を十分にすることが必要であったと反省せざるを得ない。
  • 認定問題とは同じ被害者を線引きすることになるが、そこに真の合理性や公正さがあったのかということも極めて疑わしい結果になっている。
  • 中国においても、吉林省・松花江や貴州省・百花湖で水銀汚染が起こったということが報告されているが、72年にストックホルムで開かれた国連環境会議で、当時の周恩来首相のリードで調査され、歯止めがかかったということが報告されたのを我々は承知している。ただ、その歯止めの基準は今では改めて問い直す必要があるのではないかと考える。
  • 水俣病のような環境汚染は見ようとしなければ見えてこない。全体の汚染の広がりについても一人一人の患者がもっている一人一人の症状の重さや深さについて、丹念に記録し、丹念に調査を繰り返していくことで新しい被害の実態が明らかになってくる。
  • 公害被害者についてはすみやかな救済が必要であると同時に、そのことの継続的な調査をすることもより重要になってきている。
  • 中国においてもぜひ一つの基準こだわらず、新しい知見を基準とした調査を継続する ことで被害者に本当の意味の救済を考えていただけたらと思う。
  • 被害者にとって、訴えることや裁判は極めて多くの困難を必要とする。ぜひ公害被害者のために王先生が主宰する援助センターが大きな力になることを願っている。

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○違反していなければ問われないが問題は人々の生活への影響だ○

「ある騒音妨害判決に見るわが国の環境立法、環境行政及び司法の課題」


汪 勁 =北京大学法学院副教授=

汪 勁さん

  • ここではまず、環境紛争を発生させた問題点とそれに関する分析を試みたい。紹介する件は北京で発生した訴訟案件で、法廷には私の教え子たちが代理で出廷した。
  • 一番の問題は、中国における「環境汚染防止法」の中に書かれている環境騒音および環境騒音汚染に関する規定で、それぞれ異なった認識を持っている。

    【以下、スライドで「環境汚染防止法」などの仕組みを説明する】

  • 騒音に関する規定では、夜は55デシベル以下でなければならない。これを超えた場合は、騒音汚染ということになる。いま、承知しているのは「環境騒音防止法」の中の環境騒音汚染およびそれを生じさせたことについての法的解釈だ。
  • この案件における被告側が原告側の住民の周辺で測定した騒音値は54.4デシベルで、国の基準である55デシベルとは0.6の差があり、したがって基準以下であり、騒音汚染ではないという判決が下った。
  • 一方、原告側は、法律的には基準を超えていないとは言えても、実際の生活環境に大きな障害を与えているので、その点を主張した。環境騒音というのは、交通法第2条の第1番目に「工業生産、建設・施工、交通運輸などによる生活の中で生じた周辺環境に影響を与える音である」と規定されている。
  • これに対し、被告側の主張は55デシベル以下で基準を超えていないので違法ではないというもの。そこで、環境保護総局に陳情したが、同局の判断は実際に基準を超えていないので、環境騒音汚染には該当しないという解釈だった。
  • したがって、人民法院(裁判所。以下同じ)は環境保護総局の見解に従い、基準を超えていないから、違法行為にはあてはまらないという判決を下し、結局原告側の敗訴となった。
  • 環境汚染防止法の第61条にも書かれているように、実際、違法した場合はそれなりの損害賠償を払わなければならないが、55デシベルという基準を超えていない場合は環境汚染ということにならないので判決としても有罪にはならなかったわけだ。
  • 一方、中国民法通則第124条の規定として、国家の環境汚染防止法に違反した場合、これについては民事責任を取らなければならない。もし今回のように基準を超えていない場合は、違法行為とは認められないので、一切の責任や損害賠償にもあてはまらない。
  • 私は、中国において今もっとも重要なのは環境騒音汚染におけるいろいろな問題を解決するためにどういう形で立法していくべきかということだと考えている。環境行政機関で、環境問題の管理だけでなく、いかに環境の危害に対する人々の合法的な権利を守っていくべきかをより真剣に考えるべきだ。
  • それと、法院での判決においても法律に従うことも大事だが、もっとも重要なのは人々の健康、人々の生活をいかにして法的立場で守っていくかということだ。
  • もう一点は、法律上で実際の行政における法律法規を守っていくかということと、それと民法通則との関連をしっかり明確に解釈していかなければならないということだ。簡単に言えば、いくら排出した騒音、排ガス、廃棄物等が基準を超えていないとはいえ、同じように人々の生活に危害を与える可能性があるからだ。

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○勝ち取った損害賠償で地域の再生に取組む○

「被害者からの報告−尼崎−」


森脇君雄 =汚染被害者、あおぞら財団理事長・西淀川公害患者と家族の会会長=

森脇君雄さん

  • 日本の公害患者の一人として話をしたいが、34年間闘ってきたことを5分間で話すというのは大変難しい(笑い)。したがって、中国の方には「公害患者から見た日本の大気汚染」という中国語に訳した冊子を配布したい。
  • ここには私の20歳代の頃からの闘い、大気汚染の歴史、裁判闘争、医者や科学者や弁護士との連携ぶり、闘いの重要性などを記したので、ぜひお読みいただきたい。

    【スライドによりスモッグなど汚染状況等を説明する】

  • 私が住んでいる大阪・西淀川地域は10万人の人口だが、その中で7000人を超える認定患者がいる。我々住民は、1週間に1回はビラを配ったり、6000人動員のデモ行進をしたり、140万人の署名を集めたりの運動を展開した。
  • 裁判は21年に及んだ。10の企業を相手にした闘いだった。最後は責任を認め、10社の社長や副社長が患者に謝罪した。これは、患者にとってお金よりもなににも替え難いことだった。
  • 損害賠償金は39億9000万円が支払われたが、我々はその金で、私が属している公害地域再生センター(あおぞら財団)を作り、疲弊した町を再生するという闘いを始めた。子供たちと一緒に、新しい町作りをどうしたら良いか調査をしながら、楽しく町作りに今取り組んでいるところだ。

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○病気と闘いつつ各国NGOに「公健法」の存在知らせたい○

「日本の大気汚染−被害者運動とその教訓−」


松 光子 =汚染被害者、尼崎公害患者と家族の会会長=

松 光子さん

  • 私は、日本の兵庫県尼崎市から来た大気汚染公害患者で、尼崎市は1995年1月17日に起こった阪神大震災の被災地の一つでもある。
  • 尼崎の大気汚染が悪化し始めたのは、1955年頃からで、それは日本が戦争に負け、戦後、復興のため高度成長、所得倍増、列島改造と矢継ぎ早に復興節を出し、あらゆる手段を通じて国土の建設、産業優先の政策、国際社会と肩を並べるための生産活動が1975年頃までにものすごい大気汚染をもたらし、55年から60年くらいには3メートル先が見えず、昼間でも車はライトをつけなければ走れず、ノロノロ運転が続く状態だった。
  • その頃から、工業地帯において咳や痰、風邪を引いてもなかなか良くならないという人が増え、尼崎でもとくに南部工業地帯の住民からこのような症状を起す人が多くなったが、それが工場群から吐き出される煙のせいだとは住民は気がつかなかった。
  • しかし、1地域の住民により始まった大気汚染の測定で尼崎の公害のひどさが全市の住民に浸透し、"青い空を取り戻そう""健康な町作りを"という活動が始まり、その中から「尼崎公害患者・家族の会」が発足、患者の救済・地域環境を守る運動へと大きく発展した。そして、65年代には4大公害裁判が被害者はじめ弁護士、医師、研究者・学者等の献身的な努力が実を結び、全て住民側が勝利を納めた。
  • その後、全国各地の公害反対運動が広がり、その結果、公害健康被害補償法が制定され、大気公害裁判も次々と提起され、千葉・西淀川・川崎・倉敷・尼崎・愛知が大企業や国・道路公団を相手に責任を認めさせ、勝利和解をした。とくに尼崎は絶対に認めようとしなかった国・道路に差し止めを認めさせたことは特筆されよう。
  • しかし、その12年余の闘いの中で死亡者は140名を越え、あまりの苦しさに耐えきれず自らの命を絶った人も多く、2度と被害者を出さないでほしい、出してはいけないとの思いで、国内だけでなく、91年12月にバンコクで開催されたNGO会議を皮切りに韓国、タイ、台湾、シンガポール、フィリピン、インドへと病気と闘いながら、公害輸出、大気汚染・環境破壊等の問題について交流し、日本にしかない「公健法」の存在を知らせ、国に制定させるために、いかに被害者が闘ったか、医師・学者・弁護士・その他大勢の人々の協力を得たかを知ってもらった。
  • 尼崎が公害裁判を提訴したのは1988年12月。これまで地域環境を破壊し、公害患者を大量に生み出してきた企業や国の責任を明確にし、謝罪させ、患者の完全救済を図り、尼崎に美しい水と緑を復活させて住み良い町にするためだ。そのため、私たちは"後世に残そう美しい運河のまち"のイラストマップを作成し、またそれを阪神センター合唱団で合唱組曲にまでしていただいた。
  • この公害の体験から言えることは、なにより住民の声を反映した町作りが大切で、その地域に住んでいる住民の声に行政は耳を傾け、企業は社会的責任を果たし、尼崎を再び公害の町にしてはいけない。闘いの歴史と教訓をムダにしないで、願いである"後世に残そう美しい運河のまち"の実現に微力を尽くしたいと考えている。

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○全財産を費やしたがいまだに解決しない○
      
「長年の汚染事件 いつ結果が出るのか」

韓 祥 =汚染被害者、内蒙古赤嶺市農民=

韓 祥さん

  • 私は内蒙古赤嶺市からやってきた、橋頭湾子村の農民だ。今回のこの機会は一生のうちでも得がたいものだと感謝している。
  • 私が住んでいるところは山奥で、周囲の住民も貧しい。政府の"貧困から脱して豊かになろう"という方針に従って、1985年頃に村委員会から荒れ山を購入した。買った当時は非常に苦労した。朝は日が昇る前から、夜は日が沈むまで家族とともに畑で働き、果樹を植えた。小さな苗から育て上げたので花が開き、実がなった時はなんとも言えない喜びだった。
  • しかし、悲劇は畑の近くに銅製錬工場ができた時から始まった。その工場から出る煙によって、私の果樹がドンドン枯れ始め、葉も変形し始めた。私は今、ここに85年から99年までの14年間の葉を全て持ってきている。 後でぜひ見ていただきたい、私の心血をそそいだ"成果"を。
  • さきに日本の被害者からも紹介があったように、私のところもスモッグでほとんど見えなかった。喘息にかかった人も多かったし、健康な人は喘息にかかるのを恐れて避難するほどであった。
  • そこで私は自治政府に訴え、政府からも調査団が派遣されたが、実際の損害賠償については調査団の判断で決めるようにと言われ、結局、ほとんどキャッチボール状態だった。調査団が98年6月18日に我々のところに調査にきたが、その時の判定もおかしなもので、私の果樹園の隣の大豆畑に関しては公害環境汚染によるものとしたが、私の果樹園に関しては公害ではない、という判定だった。
  • このあまりにも不公平な判定に対し、私は一体誰に訴えたら良いのか! 私の果樹園はもともと多くの実がなっていたのにドンドン死んでいく。今は少量しか獲れない。しかも牛も公害に汚染された草を食べてほとんど病気になって死んでいった。
  • 大人たちは先も短いが、可愛そうなのは子供たちだ。生まれてくる赤ん坊も先天的に指がないという変形の病気にかかっているケースもある。私は研究者に尋ねたところ、今はまだ果樹が犯されているから生きていける。しかしそのうち土壌も全部やられるだろう。そうすれば果樹のみならず家畜、人間、町全体がほろぶことになろう、と言われた。こういう話しを私はいろいろな人にしているが、村の住民たちは理解しないので困っているのが実情だ。
  • 内蒙古自治区の環境保護センターにも陳情した。公害の基準を超えているのではないか、そうでなければこのように果樹がドンドン枯れていくこともないし、奇形の子供が生まれるというようなことはないのではないかと。しかし、センターはほとんど銅工場と裏でつながっているのか、結局、工場側が示した数字通りの証明書を書く。ということは法律に違反しているという法的証拠がなくなるということになる。林業局にも訴えたが、ここもまったく同じような結果だった。
  • そして、国家環境保護総局にも訴えた。重要視してはくれたが、もし法で定められた基準を超えたものについては厳しく罰せられなければならないとは言われたものの、実際、基準を超えているという真実を証明してくれる機関は一体どこにあるのか? いつも私たちだけで頑張っているが、私たちの利益、生活を守っていこうと考えている人は少ないのではないかと感じている。
  • 最後に一言言いたい。私はこれまであらゆることをやった。私の全財産の評価資産は140万元だが、全ての財産を裁判費用などに使ってしまった。この資産は一家で10年以上かかって築いてきたものだ。それが公害で全てなくなるのみならず、この問題はいまだに解決していない。みなさんの暖かい手をお借りしてなんとか法律を改善してほしいと願っている。これは私だけのためでなく、私たちの子孫の問題、これからの中国の発展のためにも重要な問題だと思っている。

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○和解勧告に被告が欠席したので成立しなかった○

「公害被害者には法律援助が必要」


印 純生 =汚染被害者、秦皇島市農民=

印 純生さん

  • 私は秦皇島の農民。秦皇島は海に面しており、いままでは素晴らしい環境だった。しかし、私たち農民11世帯がこんど北京鉄道局に対して、騒音問題に関する提訴を起した。
  • 私たちの訴訟はすでに一審が終わり、そこでは敗訴した。今は二審の裁判を起している最中だ。我々もさきほどの韓氏と同様、法的知識については疎く、不慣れの部分も多いので、なんとか法律に携わっている先生方の力をお借りして、政府機関あるいは法的に騒音問題の解決を早急にやっていただきたいと願っている。
  • 我々の問題は1997年に大秦鉄道西疎解工程が開通して以来、騒音と振動によって昼も夜も正常な生活ができなくなってしまった。とくに工事に伴う周辺住宅の撤去・移転は、鉄道から遠いものから移転手続きが進められ、近くのものは手配されなかった。
  • 騒音と振動によって正常な生活が妨げられるようになったため、我々の申し出によって99年に秦皇島現地モニタリング・ステーションが環境騒音測定を行った。その結果、最高騒音レベルが96.4デシベル、平均騒音が70デシベルであった。
  • 99年7月26日、訴訟を起こし、北京鉄道局を法廷に訴えた。しかし、それまで秦皇島で約1年間、審議されず、そのまま放置されていた。その間に、裁判所の調停で10万元で和解できないかという提案もあったが、その時に被告が出席しなかったので、我々はあくまでも被告側が出席した上で、当事者同士で解決していきたいという考えもあったので調停は成立しなかった。
  • 一審では失敗に終わったが、今、二審で争っている。時間の関係で今回の話しは終わるが、一見は百聞にしかずで、みなさんが我々の現場に来られて見ていただければ一目瞭然だと思う。但し、その際、騒音のあまりのすごさに卒倒しないようにお願いしたい(笑い)。

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