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| 《ルポ・チッソ水俣病関西訴訟原告団霞が関へ》 |
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上告取り下げ署名第一陣・25000人分を手渡す 新潟の患者も合流、前夜の交流会も盛り上がる |
| 【寄稿(写真も):山中 由紀】 |
11日(日)午前10時、新大阪駅の中央待合室集合!とのことだったので、私は15分ほど前に到着。すると、原告団副団長の岩本章さん
が不機嫌にしている。天王寺駅で待ち合わせをした原告二人が来なかったらしい。続々と、他の原告も集まってきたが、
10時になってもその二人の姿はない。新幹線は10:28発。さてどうしたものか。
関西訴訟を支える会の横田さんと片平さん、市大の教養科目「公害と科学」皆勤モグリの中島さん、前の原告団長・岩本夏義さんの
遺族の恵さんらと鳩首会議。恵さんが構内放送を頼みに走る。放送される直前に、問題の二人が登場。彼らは「二度と待ち合わせするか」
とブツブツ。約束の時刻の5分も前から待っていたのに章さんは来ないし、新幹線の時刻は迫るしで、あせったらしい。
とにかく、副団長の章さんを筆頭に原告8名(うち女性が5名)、支援3人プラス私の計12人が、700系のぞみに乗車。弁当とお茶を配り、
ヤレヤレと腰を落ち着けたところに、田中泰雄弁護士が駆け込み乗車して来られました。
天気は快晴で、富士山の景色は絶好調! 「こんな富士山は一生に何度も見られるもんやないで」「曇っていることが多いもんね」 「私は二回目や」「甲府からの方がきれいやねんで」「これだけで今回は来た甲斐があった。もう十分や」「もう帰ろうか」 「富士山のまわりをくるっと回って戻る線路やったらイイのに」「いつまでたっても東京に着かへんねん」「東京で待ってはるで」などと、 しばし富士山談議に花を咲かせました。支える会の片平さんは席を外していて、せっかくの富士山を見損ねたのでした。
午後1時前、東京駅着。ホームには、権瓶さんと旗野さん(新潟水俣病の患者と支援者)、東京告発の鎌田さんの姿がありました。
そこから、都営三田線に乗り換えて、集会が開かれる水道橋へ移動。スタスタ歩けばたいしたことではないのですが、なにせ水俣病患者。
政府に患者と認定して貰うべく裁判を起こしているだけあって、普通の御一行様ではありません。年の割に難聴だし、
視野が狭くなっているもんで、とにかく直進して歩いていっちゃいます。足が弱いため、スピードがゆっくりなので助かりますが、
あっちウロウロ、こっちウロウロ。
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「東京の集い」に70人が参加
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せっかく大阪から来たんだからと、中島さんと私にもマイクが回ってきました。ちょうどイイので年明けに出る 『風雪19年 チッソ水俣病関西訴訟の原告たち』(緑風出版)の宣伝をしようと、枕詞に「1990年に大学に入って、 原告の岩本さんや川上さんに出会ったことで、ずいぶん予定が変わりました。おかげで、まだ大学にいるんですが」と言ったら、 最前列に座っていた錦織弁護士を初めとして場内が爆笑となり、すっかり有名人になりました。 | ||
「あみかけ一座」の出し物は、踊りの他にもあります。公演依頼はお取り次ぎしますので、御相談下さい。新潟からは早速、 貰いがかかっていました。 | ||
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最後はアピール。新潟の旗野さんは「ガンバレ!というのは気が引ける。ちょうど良い塩梅で続けていってください。 私たちも出来るだけのことはします」、東京に住む大村トミエさん(患者)は「川本輝夫さんも応援していると思います。 私の方が皆さんより先に逝くと思いますので、川本さんに宜しくいっておきます」。他に、田島さん、ハイヤ節の荒馬座の人、 平群さんからも挨拶がありました。
交流会は宿でということで、一部の原告はワゴンで、他は徒歩で、旅館へ。途中、東京ドームと遊園地があり、
「乗り物に乗りたい」とワイワイガヤガヤ。旅館には「歓迎 関西水俣病訴訟原告団様」という看板があり、その隣には
「歓迎熊本県青年団・・・様」。なんだか満室で、交流会場も、離れた2部屋が割り当てられていて、お世話を焼いてくれている東京の人達は驚愕。
「二つになるとは聞いていましたが、襖で隔てられた二部屋だと思っていた」そうです。おかげでギュウギュウに座ったので、
妙に親密な交流会となりました。
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協力要請に議員側の対応はまちまち
翌日は8時に朝食。部屋によっては朝の4時から起き出して、おしゃべり開始。私の部屋は7時で助かりました。9時半には、小雨の中、
車4台に分乗。一路、議員会館へ。「上告取り下げにご助力を!」と国会議員の部屋を分担して約1時間ほど回りました。
社民党の辻本さんの秘書が控え室をキープしてくれたので、そこが拠点。議員会館に行くのは、私は初めてでした。
降り続く雨の中、今度は環境省へ。12時から記者会見だそうで、会見に出る人は直行。その他の原告らは、地下の食堂でご昼食。 場所取り、メニュー決め、食券の購入、並ぶ、運ぶ、食べる、と賑やか。他に、車の運転役の3人とカメラマンの宮本茂美さんが一緒でした。 食後もゆっくりしてたら、食堂のオバサンに怒られたので、暖かい食堂から、寒い一階ロビーのソファーに移り、 記者会見組の戻りを待ちました。暇だったので、守衛さんに「薬害根絶の碑って、どこですか?」と尋ねたところ、 「こちらです、あ、濡れますね」と傘まで貸してくれました。正面玄関に向かって左の緑地帯に碑はありましたが、 言われないと気が付きませんよ、きっと。玄関では、雨の中、薬害ヤコブ病の支援団体が街宣車を乗り付けて歌を流していました。 最初は右翼かと思いましたが、声が女声で妙だなと。おそらく、ヤコブの支援の会のHPで聞けるコスモスの歌だと思います。 | ||
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ロビーでダンボール2箱分の書名を渡す 12:45に記者会見組が帰着。13時から、特殊疾病対策室長にこのロビーで署名を渡す段取りだから時間がないということで、 記者会見組は気の毒なことに昼食後回し。室長は時間通りにお供を1人連れて登場。通りすがりの人も注視する中、副団長の岩本章さんが 申し入れ書を読み上げ、ダンボール2箱分の署名を進呈。室長のお供の人が抱えていました。もう1箱あれば、室長自ら持たざるを 得なかったことでしょう。次回からは、ゆったりとした箱詰めで渡すのも一興かと思います。
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カメラマンの宮本さんと、東京の離島・新島から昨日から駆けつけてくれている小林洋一郎さんに環境省前で見送られ、 4台の車は東京駅へ。14時53分発の700系のぞみに乗車。改札口まで宮澤さんが送ってくださいました。それから先は、 なんと原告8人の他は私だけ! 支える会の横田さんは、署名依頼のために団体まわりをしてから帰るとのこと。 無事に大阪に辿り着けてなによりでした。なにせ新潟勢は、事故のため、ダイヤが混乱していたそうです。 | ||
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次回集約は2月。さらなるご協力を 今回、環境省に届けた署名は、9月末の集約で、約25000人分です。次回集約は来年2月末だそうですので、ご協力をお願いいたします。 署名用紙の要請文の部分は「なんでもあり」で、各自が創意工夫を凝らして構わないのですが、「あみかけ」座の森本さんが、 要請文がイラストに変えたバージョンを完成させました。本邦初、いや世界初かもしれません。前代未聞の署名用紙です。 これも、取り次ぎますので、メールでご相談下さい。
原告の東京行動については、翌13日の熊本日日新聞に写真入りで出ていましたが、読売新聞大阪本社版の社会面にも、
縦1.5cm、横23cmという横長の記事になっていました。短いので、全文掲載して、本文を締めたいと思います。
<追伸>
今回、原告団長の川上敏行さんは不参加でした。無理をして行くほどのことはないだろうと(大臣と会うわけでもないですし)
いうことで副団長に任せて自重しただけで、入院しているわけではありませんので、まぁ、ご心配なく。
●山中由紀(YAMANAKA Yuki) 生命・環境系ドキュメンタリー番組放映情報の案内屋さん *http://homepage2.nifty.com/yukidon/ 郵便振替口座:00930-2-67410 HP「環境系の番組情報」 |
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