swave logo (←home)
cover




《ルポ・チッソ水俣病関西訴訟原告団霞が関へ》

上告取り下げ署名第一陣・25000人分を手渡す
新潟の患者も合流、前夜の交流会も盛り上がる


【寄稿(写真も):山中 由紀



70人が参加して関西訴訟団を支援した[全水道会館で]
 01年11月11日(日)〜12日(月)にかけて、チッソ水俣病関西訴訟原告団は国に上告取り下げを求める署名の第一陣を持って、 霞ケ関に出かけました。私も引っついて行きました。

 11日(日)午前10時、新大阪駅の中央待合室集合!とのことだったので、私は15分ほど前に到着。すると、原告団副団長の岩本章さん が不機嫌にしている。天王寺駅で待ち合わせをした原告二人が来なかったらしい。続々と、他の原告も集まってきたが、 10時になってもその二人の姿はない。新幹線は10:28発。さてどうしたものか。  関西訴訟を支える会の横田さんと片平さん、市大の教養科目「公害と科学」皆勤モグリの中島さん、前の原告団長・岩本夏義さんの 遺族の恵さんらと鳩首会議。恵さんが構内放送を頼みに走る。放送される直前に、問題の二人が登場。彼らは「二度と待ち合わせするか」 とブツブツ。約束の時刻の5分も前から待っていたのに章さんは来ないし、新幹線の時刻は迫るしで、あせったらしい。  とにかく、副団長の章さんを筆頭に原告8名(うち女性が5名)、支援3人プラス私の計12人が、700系のぞみに乗車。弁当とお茶を配り、 ヤレヤレと腰を落ち着けたところに、田中泰雄弁護士が駆け込み乗車して来られました。


快晴。美しかった富士山

 天気は快晴で、富士山の景色は絶好調! 「こんな富士山は一生に何度も見られるもんやないで」「曇っていることが多いもんね」 「私は二回目や」「甲府からの方がきれいやねんで」「これだけで今回は来た甲斐があった。もう十分や」「もう帰ろうか」 「富士山のまわりをくるっと回って戻る線路やったらイイのに」「いつまでたっても東京に着かへんねん」「東京で待ってはるで」などと、 しばし富士山談議に花を咲かせました。支える会の片平さんは席を外していて、せっかくの富士山を見損ねたのでした。

 午後1時前、東京駅着。ホームには、権瓶さんと旗野さん(新潟水俣病の患者と支援者)、東京告発の鎌田さんの姿がありました。 そこから、都営三田線に乗り換えて、集会が開かれる水道橋へ移動。スタスタ歩けばたいしたことではないのですが、なにせ水俣病患者。 政府に患者と認定して貰うべく裁判を起こしているだけあって、普通の御一行様ではありません。年の割に難聴だし、 視野が狭くなっているもんで、とにかく直進して歩いていっちゃいます。足が弱いため、スピードがゆっくりなので助かりますが、 あっちウロウロ、こっちウロウロ。
 地下鉄にたどりつかないうちに、章さんが歩けなくなったので、タクシーを呼んで、原告の坂本美代子さんと恵さん、 東京人の鎌田さんが同乗して去っていきました。転勤族で、去年、大阪に来たばかりの中島さんがいなかったら、残された我々は、 方向が分からず往生したことでしょう。




「東京の集い」に70人が参加

この日のメイン講演を行なった錦織弁護士(右)と諫早漁業権放棄無効確認訴訟原告の森文義さん
 駅の側にあるにもかかわらず地図に載っていない不思議な全水道会館で開かれた「水俣病関西訴訟の上告取り下げを求める東京の集い」 には、70人程度が集まりました。メイン講演は、錦織淳弁護士。彼は、チッソ社員に噛み付いたとして逮捕・起訴された水俣病患者 (川本輝夫さん、故人)の弁護士としてデビュー、公訴棄却判決(起訴したこと自体が違法とされた珍しい事例)を勝ち取った立役者の一人。 現在は、諫早干潟干拓事業に漁民が同意して漁業権を放棄した契約の無効確認訴訟の弁護団長です。この裁判は、先月2日が初弁論。 無効の根拠は、漁獲に影響がないということだったから同意したのに、ノリの色落ちはなにごとぞ! というものです。 演題は「不知火海と有明海 行政責任をめぐって」で、内海や干潟の命にとっての大切さ、「有明で発信機を付けて放流したトラフグが 青森県にいた。有明は日本の沿岸漁業の母体。今こそ、海を守る一つの動きを!」と熱弁。その訴訟の原告である森文義さんと 支援の2女性も参加されていました。



いつもながらソフトな語り口で檄を飛ばす宮澤信雄さん
 その後、田中泰雄弁護士から、最高裁では第二小法廷の担当になり、裁判長は北川さんという裁判官出身の人、 調査官は吉田さんという人になったことなど、現状の報告がありました。また、元NHKの宮澤信雄さんから檄が飛びました。 休憩をはさんで、参加原告が正面にずらりと並んで、一言ずつご挨拶。
 せっかく大阪から来たんだからと、中島さんと私にもマイクが回ってきました。ちょうどイイので年明けに出る 『風雪19年 チッソ水俣病関西訴訟の原告たち』(緑風出版)の宣伝をしようと、枕詞に「1990年に大学に入って、 原告の岩本さんや川上さんに出会ったことで、ずいぶん予定が変わりました。おかげで、まだ大学にいるんですが」と言ったら、 最前列に座っていた錦織弁護士を初めとして場内が爆笑となり、すっかり有名人になりました。


大阪でデビューしたばかりの「あみかけ一座」の東京初公演
 すっかり雰囲気が和んだところで、歌舞音曲の登場。11月4日に大阪で発足したばかりの「あみかけ一座」踊り部の登場です。 保母さんの森本さんと、新人のピョンさん(男性)によるパントマイム。関西訴訟が何を訴えているのかを表現するもので、 大阪では泣き笑いの大喝采。東京でウケルのかどうかが私の関心の的で、客席のほうを注目していました。最初は皆さん 「何だこれは」と引いていたものの、次第に引き込まれてくれました。アゼンとした人達も少なくなかったでしょうが、 錦織さんや森さん達には大受け! なかなか、見かけによらずノリの良い人たちです。
 「あみかけ一座」の出し物は、踊りの他にもあります。公演依頼はお取り次ぎしますので、御相談下さい。新潟からは早速、 貰いがかかっていました。


 最後はアピール。新潟の旗野さんは「ガンバレ!というのは気が引ける。ちょうど良い塩梅で続けていってください。 私たちも出来るだけのことはします」、東京に住む大村トミエさん(患者)は「川本輝夫さんも応援していると思います。 私の方が皆さんより先に逝くと思いますので、川本さんに宜しくいっておきます」。他に、田島さん、ハイヤ節の荒馬座の人、 平群さんからも挨拶がありました。

 交流会は宿でということで、一部の原告はワゴンで、他は徒歩で、旅館へ。途中、東京ドームと遊園地があり、 「乗り物に乗りたい」とワイワイガヤガヤ。旅館には「歓迎 関西水俣病訴訟原告団様」という看板があり、その隣には 「歓迎熊本県青年団・・・様」。なんだか満室で、交流会場も、離れた2部屋が割り当てられていて、お世話を焼いてくれている東京の人達は驚愕。 「二つになるとは聞いていましたが、襖で隔てられた二部屋だと思っていた」そうです。おかげでギュウギュウに座ったので、 妙に親密な交流会となりました。
 あみかけ一座のピョンさんは小田原の住人だそうで、一座は「今晩は箱根泊」と上機嫌。田中弁護士と支える会の片平さんの 姿は最初から交流会場になく、新潟勢と中島さんも「翌日は仕事!」と帰途に。患者の大村さんは田島さんが送っていくなどして、 夜の10時には散会。私が寝たのは深夜1時半過ぎでした。




協力要請に議員側の対応はまちまち

 翌日は8時に朝食。部屋によっては朝の4時から起き出して、おしゃべり開始。私の部屋は7時で助かりました。9時半には、小雨の中、 車4台に分乗。一路、議員会館へ。「上告取り下げにご助力を!」と国会議員の部屋を分担して約1時間ほど回りました。 社民党の辻本さんの秘書が控え室をキープしてくれたので、そこが拠点。議員会館に行くのは、私は初めてでした。
 私の組は、原告が坂本さんと恵さん、宮澤信雄さんともう一人(今度、日野市の市議選に出るという若者)。割り当てられた行き先は、 自民党の加藤紘一議員を手始めに、民主党の枝野幸男さん、社民党の土井委員長と中川智子さん、無所属の川田悦子さんなど。 通りがかりに、家西悟さんや北川れん子さんという、面識はないけれども知っている議員の部屋があったので、立ち寄ると、 北川れん子さんのとこでは奥に通され、お茶が出ました。他では秘書が立ち話で応対してくれるとこばかりだったのに!  「奈良医大の御輿さんのご紹介で」と言ったのが良かったようで、原告の良い休憩になりました。話が盛り上がったので、 土井さんの部屋に行く時間がなくなりましたが、原告は「追い返されるかと思っていたのに、相手をしてくれるなんて」 「秘書って、どうやってなるの」などと上機嫌でした。

 降り続く雨の中、今度は環境省へ。12時から記者会見だそうで、会見に出る人は直行。その他の原告らは、地下の食堂でご昼食。 場所取り、メニュー決め、食券の購入、並ぶ、運ぶ、食べる、と賑やか。他に、車の運転役の3人とカメラマンの宮本茂美さんが一緒でした。 食後もゆっくりしてたら、食堂のオバサンに怒られたので、暖かい食堂から、寒い一階ロビーのソファーに移り、 記者会見組の戻りを待ちました。暇だったので、守衛さんに「薬害根絶の碑って、どこですか?」と尋ねたところ、 「こちらです、あ、濡れますね」と傘まで貸してくれました。正面玄関に向かって左の緑地帯に碑はありましたが、 言われないと気が付きませんよ、きっと。玄関では、雨の中、薬害ヤコブ病の支援団体が街宣車を乗り付けて歌を流していました。 最初は右翼かと思いましたが、声が女声で妙だなと。おそらく、ヤコブの支援の会のHPで聞けるコスモスの歌だと思います。




ロビーでダンボール2箱分の書名を渡す

 12:45に記者会見組が帰着。13時から、特殊疾病対策室長にこのロビーで署名を渡す段取りだから時間がないということで、 記者会見組は気の毒なことに昼食後回し。室長は時間通りにお供を1人連れて登場。通りすがりの人も注視する中、副団長の岩本章さんが 申し入れ書を読み上げ、ダンボール2箱分の署名を進呈。室長のお供の人が抱えていました。もう1箱あれば、室長自ら持たざるを 得なかったことでしょう。次回からは、ゆったりとした箱詰めで渡すのも一興かと思います。

環境省特殊疾病対策室長に上告取り下げの要請文と25000人分の署名を渡す岩本章副団長(左側) [環境省1階ロビーで]
 光景を皆が写真に撮り終わった頃、守衛さんが2人、何故か私に近づいてきて「どちらの団体ですか?」。私はちょうどおっとりモードだった (薬害の碑の件で親切にされたせい?)ので、「水俣病関西訴訟の原告とその支援者で、上告を取り下げてくださいと署名を持ってきて、 今、特殊疾病対策室の室長さんにお渡ししたところですが」と上機嫌で答えたところ、「庁内で撮影するときは事前に許可を得てください」 とのこと。「あ〜、庁舎内! あ〜、そういえば! あら〜、スイマセ〜ン」と間の抜けた返事をしちゃったところ、「困るんですよ。 でも、もう終わったのなら」と去ってくれました(笑)。

 カメラマンの宮本さんと、東京の離島・新島から昨日から駆けつけてくれている小林洋一郎さんに環境省前で見送られ、 4台の車は東京駅へ。14時53分発の700系のぞみに乗車。改札口まで宮澤さんが送ってくださいました。それから先は、 なんと原告8人の他は私だけ! 支える会の横田さんは、署名依頼のために団体まわりをしてから帰るとのこと。 無事に大阪に辿り着けてなによりでした。なにせ新潟勢は、事故のため、ダイヤが混乱していたそうです。




次回集約は2月。さらなるご協力を

 今回、環境省に届けた署名は、9月末の集約で、約25000人分です。次回集約は来年2月末だそうですので、ご協力をお願いいたします。 署名用紙の要請文の部分は「なんでもあり」で、各自が創意工夫を凝らして構わないのですが、「あみかけ」座の森本さんが、 要請文がイラストに変えたバージョンを完成させました。本邦初、いや世界初かもしれません。前代未聞の署名用紙です。 これも、取り次ぎますので、メールでご相談下さい。

 原告の東京行動については、翌13日の熊本日日新聞に写真入りで出ていましたが、読売新聞大阪本社版の社会面にも、 縦1.5cm、横23cmという横長の記事になっていました。短いので、全文掲載して、本文を締めたいと思います。



「水俣病上告取り下げ求める」

水俣病の被害拡大を防げなかった行政責任を認定した今年4月の大阪高裁判決を不服として、 国と熊本県が上告した「水俣病関西訴訟」で、訴訟原告団や支援団体などでつくる 「水俣病上告取り下げを求める全国ネットワークは」12日、環境省を訪れ、 上告取り下げを求める国と県あての要請書を提出した。岩本章・原告団副団長らは、 大阪高裁判決に沿った水俣病の認定基準の見直しや、住民の健康被害の調査実施などを訴え、国の対応を批判した。




<追伸>

 今回、原告団長の川上敏行さんは不参加でした。無理をして行くほどのことはないだろうと(大臣と会うわけでもないですし) いうことで副団長に任せて自重しただけで、入院しているわけではありませんので、まぁ、ご心配なく。



 
山中由紀(YAMANAKA Yuki)
生命・環境系ドキュメンタリー番組放映情報の案内屋さん
 *http://homepage2.nifty.com/yukidon/
郵便振替口座:00930-2-67410 HP「環境系の番組情報」


↑戻る