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| 《「豊島」のその後》 |
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シートで覆われ、間もなく視界から消えるゴミの山々 見学にボランティアで対応する住民に何らかの“気持ち”を |
| 【寄稿(写真も):山中 由紀】 |
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ゴミの投棄といっても、ゴミがそのままジッとしているわけではない。有機物のゴミなら土に還るが、無機物の場合は真下の土壌を汚染する。ゴミがどんどん積み重なっていけば、圧力がかかり、温度も上昇していくため、化学反応が起き、ガスも出る。雨が降れば、ゴミの層を漂った後、地下へ浸透していく。ゴミが重金属物質を含んでいたり、焼却されていたりなどしたら、どんな化学反応が起こるかしれたものではない。豊島の一角にゴミの搬入が行なわれたのは、1978年(本格化したのは83年)から1990年までの12年間だが、その後は、雨ざらしでの置きっぱなし状態が続いていたのである。 公害調整等委員会が1995年に行なった調査で、投棄現場から瀬戸内海へ1日に300トンの汚水が流出していることが判明した。ゴミの中の有害物質が海に流れ出ているのだ。豊島の住民は、汚水の流出を止める工事をしてくれるよう、香川県に求めた。しかし、香川県は「本格的な工事は公害調停が成立してから行なう」と述べ、土のうを積むにとどまった。土のうは台風が来ると一部崩れる始末で、気休めにもならなかった。 調停は、県が住民への謝罪を拒否していたことが原因で難航していた。住民が県の謝罪を求める理由はただ一つ、県にケジメを付けさせるためである。そもそも、豊島に50万トンものゴミが搬入されることになったのは、豊島住民が、県は県民の親であるから悪いようにはしないと信じ、県が業者を指導するという約束を信じたからである。折々に自治会を挙げて反対を主張し、陳情してまわったものの、県の言い分を受け入れてきた結果が、瀬戸内海を汚染するゴミの山の完成である。住民の県に対する信頼感は、消え果ててしまった。回復への一歩を踏み出すためには、県が非を認めて住民に詫びることが絶対条件だった。
2000年6月6日、公害調停成立。調印式が行なわれた豊島小学校の体育館には、600人もの豊島住民が駆けつけ、その前で県知事は深々と頭を下げた。住民会議議長が駆け寄り、知事と両手で握手をした時、場内は拍手と嗚咽の声であふれかえっていた。これからは住民と県が共に創っていくんだという「共創の精神」のスタートだった。
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ゴミは梱包して船に載せ、近くの直島の三菱マテリアルへ運ばれる。マテリアルの中で無害化処理されたのち、建設資材として全て再生される計画になっている。ゴミの処理が終わるのは2017年3月末の予定であり、ゴミの運び出しが始まるのは来年の秋頃である。今はまだ、瀬戸内海への汚水の流出が止まっただけに過ぎないが、投棄現場の風景は一変した。 シートに覆われた部分は白色、梱包施設や汚水浄化施設を造るためにゴミをどけた部分は岩肌がむき出しになっている。どけられたゴミは、ゴミに汚染された土壌も根こそぎはぎ取られ、隣接するゴミの山に積み上げられて、シートで覆われた。取り残された汚染土壌があるかどうかの検体採取には住民も立ち会った(私も2001年7月に汗を拭き拭き、見学)。これからでこぼこの岩肌を整地して、各種施設が建てられていく。 「一面のゴミ平野」を見慣れた目には、今の投棄現場は言葉は悪いが「つまらない」し「あっけない」。この夏に二度訪問(2001年7月と9月)したが、その間にも、ゴミはどんどん見えなくなっていった。ただ、調停成立から1年と少しでここまで現場の様子が変わるのなら、もっと早く工事を始めてほしかった。やる気になれば直ぐにできるものを、ぐたぐたと浪費した時間がもったいない。やるせない。
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【豊島住民会議公式ホームページ】は、こちら。 http://www.teshima.ne.jp/ ●山中由紀(YAMANAKA Yuki) 生命・環境系ドキュメンタリー番組放映情報の案内屋さん *http://homepage2.nifty.com/yukidon/ 郵便振替口座:00930-2-67410 HP「環境系の番組情報」 |
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