いまの地球環境下で「石けん」と「合成洗剤」のあり方を科学的に議論しようということを主目的に、
第25回洗剤・環境科学研究会(徳島年会)が8月25、26の両日、徳島大学・常三島キャンパスで開催された。
記念講演、特別報告、シンポジウム、分科会、吉野川干潟のオプショナルツアーと盛り沢山のプログラムだったが、
上下2回に分けてレポートする。
(文責:SW編集部)
第1日のプログラムは次の通り。
| [年会長挨拶講演] |
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「21世紀を歩みだした私達の課題」 堀 均(洗剤・環境科学研究会徳島年会長・徳島大学教授) |
| [記念講演1] |
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「社会的存在としての化学物質―ダイオキシン、PCBを中心に」 立川涼(前高知大学学長、ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議代表) |
| [シンポジウム] |
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「エコシステムを考える―水循環における洗浄剤を中心に」 |
| シンポジスト |
| 大矢 勝(横浜国立大学助教授)
坂下 栄(環境科学オフィス主宰)
天谷和夫(洗剤・環境科学研究会会長)
福永秦久(叶シ日本科学技術研究所 技術部長)
上月康則(徳島大学助教授) |
| コーディネーター |
| 堀 均(徳島大学教授) |
講演の要旨とシンポジウムの概要は次の通り。
◇
〈1日目〉
=厳密であり、適当である点にケミカルの妙味がある=
| [年会長挨拶講演] |
「21世紀を歩みだした私達の課題」 堀 均(洗剤・環境科学研究会徳島年会長・徳島大学教授)
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 あいさつ講演をする堀年会長(左側立つ人) |
- 年会長として、ここ徳島にお集まりいただいたことに感謝と歓迎の意を表したい。
- ケミスト(有機合成)として、"We are living in a chemical world"という言葉が一番フィットしている。これは我々が様々な化学物質に囲まれているということだけでなく、
我々自身もミクロで言えばケミカルであるという考え方で、そういう前提に立って、いかに生きていくかということを考えると、今回のテーマである循環型社会という方向に行く。
- 今日、ゲノムプロジェクトによって解明されたところでは、生態は実に厳密なメカニズムであるかということが分かっている。しかし、私はケミカルのリアクションは"厳密だがいい加減"だと言いたい。
このいい加減は、いわゆる関西弁で言うところの「ええ(良い)加減」で、賛成とか反対とかでなく、より良くかつ安全なものへの創造が必須ではないだろうか。
=21世紀の社会のあり方は良識ある市民が考え、決める=
| [記念講演1] |
「社会的存在としての化学物質―ダイオキシン、PCBを中心に」
立川涼(前高知大学学長、ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議代表)
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- 科学や技術の視点もさることながら、社会的な側面から化学物質を考えようという感じで話したい。
- 20世紀は科学技術の時代だった、という見方は否定しようがないだろう。飛躍的に進展した科学技術によって経済も進展し、雇用も増大し、生活も豊かになった。
しかし、何事にもプラスとマイナスがあり、環境面では人の死や生態系の破壊を含む深刻なマイナス面をもたらした。
- その象徴的な事例がダイオキシンだ。ベトナム戦争における枯葉作戦がその典型だが、その後、イタリア(セべソ)での農薬工場の事故もあった。
そして、なによりも大きなインパクトはごみ焼却でダイオキシンが出たということだ。これは我々の生活と密接な関係にあり、これは悲劇というか、
我々にとってこれまでのシステムを深刻に考え直せというメッセージだ。したがって、今、求められているのはライフスタイルの変更だ。その際、21世紀が20世紀の経済成長の延長線上にあるということは無理だ。
- 化学の存在を否定するわけにはいかないし、賢明ではないと思う。むしろ、どう使いこなしていくかだ。そこには技術面だけでなく、法律の問題や教育の問題も入ってこよう。
- 具体的な一例を上げれば、医療廃棄物の処理だ。世界的に大きな問題であり、日本はとくに塩ビ製が多いため、ちゃんとやらないと大量のダイオキシンが発生してしまう。焼却技術の再評価は大いに必要だ。
 記念講演で熱弁を振るう立川涼さん |
- かつて放棄したPCBの処理工場の跡地土壌の処理も大変な問題だ。とくに処理した結果、新たに環境に出るダイオキシンあるいは環境ホルモンは減るかもしれないが、大半のものは食品経由でくるだけに、地域性がなくなり、日本中が同じものを食べている状況になった。
ということは、人への取り込みはより長期化して、個人差を超える。言い換えると、危険と安全は紙一重で、その境目は大変微妙になってきた。しかし、ダイオキシンや環境ホルモンの毒性は我々の想像を超える現象をもたらすと考えるべきだ。
ある意味では過剰防衛であっても予防原則を徹底する必要があろう。
- それに関して、専門家の責任という考え方もあるが、いまや多様なことを求められるので、それらに全て対応できる専門家はいない。むしろ、良識ある市民に行政や産業界や学者が加わって、最終的な決定権は市民にあるということがフィンランドなどで行われているが、
恐らくこれからはそういう方向に進まざるを得ないのではないか。もっとも、そもそも良識ある市民がいるのか−という議論もあるが、民主主義は良識ある市民の存在を前提にしなかったら動かない。
- 20世紀はいわばモノと金があればハピーだった。その意味で日本は優等生だった。しかし、21世紀はどうだろうか? 私は多元価値社会であり、人々の様々な価値観、百人百様の幸福を追求する時代だと考えている。したがって、横を見て真似するのでなく、
自分自身でやらなくてはいけない。ということは自己責任を問われることにもなる。したがって、それを可能にするような政治の仕組みが必要だし、その動きはすでに出てきている。すなわち「情報公開法」とか、「NPO法」、「地方分権法」などの法律がそれだ。
- 情報を公開すれば周囲がチェックし、干渉することになる。企業に対してもそうだ。しかし、それを真面目にやれば行政はいくら人手があっても足りない。それで、NPOや市民運動が大変大事な役割を負うことになる。
市民運動とは先見性と先導性、選択性をもっている。行政は平均値だし、批判的なことはできない。そういう中で、これからのNPOの存在はかけがえのないものになる。日本のNPOはまだまだ官製が多く、NPO本来の活動は十分でないが、しかしその実力が上がっていることは事実だ。
20世紀の閉塞感に対し明るい展望をもっているなら地方自治、しかも市町村単位のものではないかと考えている。情報公開によって、問題意識を持った地域住民の参加を基礎にした社会的合意の形成があらゆる分野で大変重要なキーワードになろう。
それには住民が汗をかく必要があるし、地域とか市町村も競争原理にそった行動をすることが必要だし、組長とかのそれぞれのリーダーの力量は大変重要だ。
- 過去50年の教育の責任と言っても良いが、残念ながら我々日本人は政治的な教養が乏しい。これからはこの面を大いに訓練する必要があろう。
- 最後に、我々には二つの大きな権限があるということを確認したい。一つは投票であり、もう一つはモノを買うということだ。とくにモノを買うということは日常的にやっている。しかも社会的に我々の明確な意思表示だ。
今後、我々が世の中を変えていくことは、モノを買うということを通じて行う手段と言っても良いのではないか。
| [シンポジウム] |
| 「エコシステムを考える―水循環における洗浄剤を中心に」
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 メインテーマのシンポジウムに熱心に聞き入る人たち |
■堀 均コーディネーター
- 実行委員会としては、生物の原点は水の循環・再生であると考え、今回のテーマにした。それぞれのお立場から、「水循環における洗浄剤を中心に」お話いただきたい。
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=欧州では石けんに問題。議論は科学的データでやろう=
■大矢 勝(横浜国立大学助教授)
- 私のような見解を持つ者をこの場に呼んでいただいたことに感謝している。
- エントロピーの法則などを見ていて、若い頃は、地球はもうだめじゃないか、江戸時代の生活に戻らなければだめではないか。それはサイエンスが根本的な原因だ。否定しなければだめだなどと考えていた。次には医学が悪いと思ったりもした(笑い)。
現時点では科学技術否定はやめ、肯定しながらなんとか方向を模索しようという考え方をしており、そういうスタンスから洗剤問題への見方などをお話しし、ご理解をいだだけたら幸いだ。
- 界面活性剤のリスク評価(LCA)について欧米ではすでに従来日本がとってきた方法とは異なるやり方や見方で取り組んでいることが明らかになっており、その結果、必ずしもこれまで日本で言われていた「石けんの方が合成洗剤より環境にやさしい」
とは言えない結論がオランダなど国レベルで報告されている。
- 一例を上げれば、石けんの最大許容濃度は27という、石けん派のみなさんから見たら考えられないような、1桁高い数値が出ている。したがって、使って良いかどうかということではヨーロッパでは問題ないという範囲に入るわけで、
もともとヨーロッパには石けんVS合成洗剤という発想はないが、科学的にもそう解釈される。
- したがって、結論としてはむしろ石けんの方に総じて問題があり、それについて反対するなら科学的データ、具体的な数値を基にした反論をし、議論することが今後大事ではないかと考える。
=環境に長期に残る合成洗剤が汚染の原因だ=
■坂下 栄(環境科学オフィス主宰)
 左から堀さん、大矢さん、坂下さん |
- 私は生態学の中で植物の浄化作用という観点で研究をしてきた。解剖学も現場で学んだ。そして、60年から合成界面活性剤−合成洗剤の有毒性に行き当たった。
- 人体および環境に合成洗剤が有害だという警告が出たのは1960年代初頭で、洗濯機 とセットになって日本で普及し始めて10年あまり後になる。そして、いわゆる主婦湿
疹と名づけられたように、若い主婦たちに様々な形で症状や現象が現われ始めた。合成洗剤を使わなくなれば湿疹の症状が治る例は枚挙にいとまがない。
- 一口で言えば、合成洗剤か石けんかでなく、合成洗剤が環境汚染の原因である、問題があるということだ。その最大の理由は環境にも長期にわたり残留するからだ。
=持続可能な社会作りと石けんはマッチする=
■天谷和夫(洗剤・環境科学研究会会長)
- 本研究会は25年前にスタートし、研究の成果を行政に反映させるという活動もしており、有リン洗剤をやめさせるということもやってきた。
- これからは持続可能な循環型社会を目指して行動しなければならないが、共存する生物の住む生態系の重要な環境は水だ。人類を含む地上の生物は水の循環の中に生きて
いる。したがって、生物に悪影響のある物質を排出させることは人間を含む生物全体の生命に直接危害を与え、これは循環型社会に脅威を与える。合成洗剤による汚染も
この観点から考察する必要がある−というのが私の前提だ。
- その意味で、今年の初めに新聞史紙上に出た記事、その中の大矢講師のコメント、さらには時を同じくして出された本(『合成洗剤は本当に有害なのか?』)でのいくつかの表現は不適切であり、反論したい。
- そして、結論的に言うと、水の環境に排出された時に石けんは生分解性が良く、反面、界面活性剤は生産の過程で生成する不純物の中には環境中の寿命が長いものが含まれ
ているので環境に長期間蓄積して影響を与える。ひいては生態系に影響する。したが
って、この点からも石けんが優位というわけだ。
- もう一点は、合成洗剤の原料の石油は再生可能でなく、しかも有限の資源だ。持続可能な循環社会ということを考えると、合成洗剤という前にその原料資源がいつかはなくなるわけで、再生可能な物質に切り換えるということを考えると、
合成洗剤はなくなる運命にあると言える。持続可能な社会を作っていくには石けんが生き残ると言わざるを得ない。
=地球環境を取り戻すために「川」を重視しよう=
■福永秦久(叶シ日本科学技術研究所 技術部長)
- この場に出てくるのはいささか場違いという気がするが、与えられた役割を果たしたい。私は25年前に、化学分析を行うためにいまの会社に入り、20年前に生物の化学分析の仕事をし、さらに人間を含めた生物の生息環境を良くする方向に仕事が進んでいった。
- 日本の流れとして、河川のコンクリート化により、治水はされたが、生態が失われてしまった。1988年頃、治水を進めながらなにかできないか−ということで調べたらドイツ、スイス、オーストリアで80年頃から一度改修した河川を元の状態に戻そうという発想が出てきた。
- それが「近自然河川工法」だが、これは河川本来の姿を取り戻すための基本的な考え方(工法)であり、90年に建設省(当時)が打出した「多自然型川づくり」もそれと同じ考え方と言ってよい。
- 我々人類は地球の循環系・エコシステムと無縁でなく、酸素、食料、水など大きな恩恵を受けており、これは将来も変わらないであろう。現在の環境問題の多くは自然界では分解されない物質の生産や排出であり、分解であっても排出量が分解量を上回っているために生じている。
これを打開するためには、周辺にもっと自然を復元すべきで、そのためには「川」を重視すべきだと考えている。
=沿岸域の水環境の再生に各界の連携望まれる=
■上月康則(徳島大学助教授)
- 都市の水代謝を受けとめている沿岸域の環境の現状について述べたい。
 左から天谷さん、上月さん、福永さん |
- 沿岸域の水環境を見る場合、「貧酸素水塊」とそれが生態系に与える影響について考える必要がある。
- 大阪の淀川に代表されるが、河口から神戸にかける大阪湾湾奥での残留時間は約5日程度で、その間に高級下水処理で十分に除去されない窒素やリンを植物性のプランクトンは利用して表層部で異常増殖し、赤潮となる。その結果、酸素を消費する物質が多いと海底を中心に酸素不足の状態、
すなわち貧酸素となる大阪湾では現在でも約10%の水域で貧酸素水塊は発生している。
- その結果、海底では汚濁、汚染物質の分解は進まず、大阪湾の湾奥では深さ1メートルほどに汚染物質を含むヘドロ状の環境修復に向けた取り組みが始まっており、大阪でも尼崎臨海部の海と陸の環境を再生することを目的に具体的な実証システムが始まろうとしている。
- その際、専門家、行政、事業者の連携が必須と考える。
◇
《1日目を聞いて》
事務局の努力によるものと思われるが、折からの厳しい残暑とあいまって、地元・四国における立川涼さんの人気は絶大で、中規模の教室は約200名の聴衆で満員。クーラーの効果もなく、全員が汗だくで講演を聞くという図柄であったが、さすがベテランというべきか立川さんの論調はケミストの域をはるかに超えた社会学・
政治学の範囲にまで及ぶ講演であった。もともと、立川さんは地方の時代来るという論を早くから張っていたが、最近はさらにそのことを強調。とりわけ、NPOや市民運動のいっそうの高まりと質の向上を促している。
一方、率直に言って期待はずれだったのはシンポジウムだ。聞くところによると、反合成洗剤理論を長い間展開してきたこの研究会の熱心なメンバーは「石けんの方が問題あるのでは?」との論をデータをもとに展開する大矢勝さんを講師に呼ぶことに根強い反対があったとか。
しかし、それでは真の研究会とは言えないという正論を年会事務局が時間をかけて説得した結果実現したという。
そういう経過からすれば、アンチ石けんの旗頭である大矢さんをとにかくこの場に呼んだ、きてくれたということで満足すべきなのか? とも思わなくはないが、せっかく同じテーブルについたのだから、せめてデータとデータで研究者らしく渡り合って欲しかったと思うのは筆者だけではなかったはずだ。
終了後、会場から指摘もあったが、受けて立つ石けん派に残念ながらその用意は不充分だったと言わざるを得ない。したがって、石けん派の反論はひいきめに聞いても精神論あるいは感情論的に聞こえてしまったのは残念だった。洗剤・環境科学研究会が21世紀型の研究会に脱皮するためには、
過去40年の伝統にこだわるのではなく、新たな、広い、弾力的な発想が必要ではないか。
(司 加人)
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