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 −「水俣病事件」関西訴訟特集 I−

(6)水俣フォーラム「記念講演会」:終わっていない水俣病

絶えず起きている第2、第3の水俣病=大岡氏
忘れるべきでない水俣病が投じた波紋=鶴見氏




水俣・佐伯展
主催者あいさつをする栗原水俣フォーラム代表
水俣フォーラム主催の第3回「水俣病記念講演会」が4月21日、東京・有楽町マリオン朝日ホールで開催された。5月1日の"水俣病記念日"に前後して行われるこの講演会、今年は「この日本に生まれて」をテーマに、広いジャンルの人たちが講演した。 キャスターの蓮舫さんの司会で進められ、主催者を代表して水俣フォーラム代表の栗原彬さんが「昨年も新たに2人の患者さんが認定されている。罹病者は10万人といわれており、まさに水俣病は終わっていないとの認識を新たにしている」とあいさつした後、講演に移った。
講師は、第1講が水俣病患者で語り部の杉本栄子さんで「私の海、私の村、私の水俣病」と題し、第2講が詩人の大岡信さんで「水俣を通じて考える−言葉の力」、第3講が沖縄大学教授の宇井純さんで「世界の公害、日本の水俣病」、そして第4講が哲学者の鶴見俊輔さんで「戦後の日本−水俣の位置」と題してそれぞれ40分ずつ講演した。 この中で、大岡さんは「犯罪的なことが長く行われてきた。水俣病は今も絶えず起きている。これからも水俣病を通じて言葉の世界を考えたい」とし、鶴見さんは「戦後、日本は進むべき道を見失った。とりわけ水俣病が投じた波紋が忘れられないことを望む」と語った。

今回は、4講演のうち杉本栄子、宇井純両講演の概要を紹介する。





"二度と繰り返したくない"を念頭に生きていきたい

〈杉本栄子さん/水俣病患者・水俣病資料館語り部〉
水俣・佐伯展
「二度と繰り返して欲しくない」と涙ながらに語る杉本栄子さん

  • なに不自由ない網元の娘として育ったが、母が昭和34年(1959年)に病院で"マンガン病"と言われてから全てが一変した。
  • しかし、父からはどんな目にあおうとも他人を怨むではないと常に言い聞かされた。今日の自分の中に父のその教えは脈々と生きている。
  • そして、自分も発病し10年間寝たきりの生活を送ったが、今日、こうして歩けるようになったのは、まず素晴らしい夫に恵まれたこと、水俣の草木を食べてきたこと、家族作りをしたことと父の「他人を大事にせよ」との言葉を守ってきたためと思っている。
  • 私は水俣が大好きだ。だから二度とこのようなことは繰り返したくない。そして、今語り部という役割を仰せつかっているが、知ったかぶりをせずに、水俣からはみ出さないように生きていきたいと思っている。



次世代にどう引き継ぐかを常に考え行動したい

〈宇井純さん/公害研究者・沖縄大学教授〉
水俣・佐伯展
「次の世代にどう引き継ぐかが課題だ」と反省を込め語る宇井純さん

  • 子供の頃、開拓地で農業をやった経験から化学肥料をいかに安く作るかを会得しよう と大学では化学を専攻したが、原料はただのようなものでもいろいろなコストがかか るということが分かって、当時出始めた農業用塩ビの研究に転じ、日本ゼオンという 会社に就職した。
  • 3年間在籍したが、工場の立上げから営業までいろいろ経験でき、実業の経験はこれで良いと59年夏に大学に戻ったら水俣で奇病が発生しているという噂を耳にした。内心ドキッとした。自分もゼオン時代、工場で水銀を流した経験があるからだ。
  • 調べていくうちにチッソの工場内部にその原因があると思うようになり、当時、細川一先生(チッソ付属病院長)に相談したが、学生(大学院生)であること、確証をつかむに至っていないことなどから公表は尚早ではないかと止められた。しかし、そうしているうちに65年にこんどは新潟で水俣病が発生したことが明らかになり、大きなショックを受けた。「62年に発表していたら、少しでも防げたのではないか」と反省し、以来、自分で調べたことは全て発表しようと誓った。それは今日まで続いている。
  • 水俣病事件の経過を振り返ると、いろいろな節目があるが、1957年に漁獲を禁止しなかったのはチッソの圧力に屈した県の怠慢であり、59年に至りチッソは東大を手先に使って必至に反論を試み、ついに60年代前半にはもみ消しの意図がはっきりした。これらを私は「公害の起承転結」と考える。しかし、「結」だけはしまらなかった。公害の特徴と言っても良い。
  • 68−69年にかけてヨーロッパで勉強する機会を得た。そこで痛切に思ったのは水俣病の事実を世界にもっと早く伝えるべきだったということと、この問題は日本でないと伝えられないということであった。
  • また、「なぜ日本の被害者は立ち上がらないのか?」とも思った。それは、患者からすれば金欲しさと見られるためだ。
  • そういうことを考え続けてきた結果、以下のようなことを申し上げたい。
    1. こんなに巨大なことだったということにもっと早く気がつくべきだった。
    2. 「公害」は自分の身に起こるまで気がつかない。故に、科学者は真実を伝えるためにもっとやるべきことが沢山ある。
    3. あれほど厳しい被害を受けている患者なのになぜ差別を受けなければならないのか。
    4. 水俣病はすんだのか? とんでもない。今見えているのは氷山の頭のみだ。「杉並病」もその一例だ。東京都や主流にいる科学者は否定しているが…。
    5. 弱者・被害者にどう取り組むか。これは極めて難問だ。
    6. 私たちの世代がなぜ公害問題に取り組んだのか考える時がある。答えは汚れていない時に生まれたからだ。我々ができること、しなければならないことは「次の世代にどう引き渡せるか」だ。これが最重要の課題だと考えている。



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