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《ルポ》第6回水俣病事件研究会に参加して

衝撃受けた昨年の鹿児島での2人の認定患者の出現
潜在患者の救済に県予算充当は県民の判断必要では

【寄稿(文・写真):山中由紀


テレビクルーも入る中で議論は伯仲
会場風景
 2001年1月13日(土)、14日(日)にかけて、第6回水俣病事件研究会(於・熊本学園大学)が、数々のトラブル、例えばスライドが動かない、OHPの電源を入れてもなかなか動かないと思ったらコンセントが外れていた、張り切って会場に行ったら無人だった(階を間違えた)を乗り越えて、行われました。

 この研究会は、水俣病事件に係わりを持った医者・弁護士・チッソ労働者・研究者・写真家等によって1996年に始まったものであるが、近年、水俣病に関心を持つ若手の医者や研究者・記者の参加も増え、1年間の成果を発表している。もちろん、患者や支援者も出席している。ここで発表すると、多種多様な人々に聞いてもらえるが、通常の研究会とは違い、容赦のない質疑の嵐に晒される。発表者の手腕が問われる珍しい場であると言えよう。

 今回は新潟の斎藤恒医師の「けい動脈硬化が多い」という話や、大阪の三浦洋医師の「知覚障害の特徴」、写真家の芥川仁さんの「写真家が見た水俣病事件」、哲学者の丸山徳次さんの「水俣病事件の教訓と責任の諸相」など、全部で20件の報告がなされた。その中から、原田正純さんの、鹿児島県から新しく認定された2人の胎児性水俣病患者の話を以下に報告したい。

この話は、驚きであった。鹿児島県は水俣市と接しているし、海もつながっているから、患者が出ることに不思議はない(患者かどうかは県が決める。チッソは県に患者と認定された人々に補償金を支払う。実際、熊本県の認定患者は2千人弱だが、鹿児島県の認定患者は1千人弱である)。
 しかし、胎児性の年代の人が認定されるとは、思いもよらなかった。胎児性水俣病は脳性マヒと区別しにくいため、認定されるのは大人の水俣病よりもずっと困難なのである。なのに、2人も認定されたのだ。ケチのつけようのない証拠が揃っていたものと思われる。原田医師による報告を翻訳すると、下記のような人達であった。


第1例:Mさん。1963年生れ、男性。

 漁師の子。両親とも認定患者。5人兄姉の末子。知的障害があり、普通学級には通っていない。59年生れの兄は泣くこともミルクを飲むこともせず、生後6カ月くらいで死亡しており、胎児性水俣病の疑いがある。姉は3人とも結婚している。 現在、母親と二人暮らし。水俣病の認定申請では、保留。1995年の和解に応じたところ、月7500円を上限とする針灸代しか出ない「保健手帳」の対象となった。これでは先行き不安なので、保健手帳の返上を決意。1999年5月、鹿児島県に水俣病の認定申請。2000年3月28日、水俣病患者と認定された。


第2例:Kさん。1961年生れ、女性。

 漁師の子。父親は認定患者。母親は95年の和解で、医療手帳(一時金260万円と月数万円の医療手当が出る)。2人姉妹で、63年生れの妹は看護婦をしている。授産施設に通っていた時期もあったが、精神病院にも20年近く入っていた。原田医師の手元には74年に「胎児性水俣病の疑い」と診断した記録が残っている。申請しなかった理由は、母親が亡くなっているので分からない。へその緒のメチル水銀値は0.725ppmで、これは通常の10倍以上の値。
 現在、父親と二人暮らし。2000年6月に鹿児島県に認定申請したところ、同年12月26日、水俣病患者と認定された。

原田医師は、Mさんが和解で一時金のつく医療手帳の対象にならなかったことについて、

  • 小児性患者と胎児性患者は、感覚障害が証明できないことが多いため、大人とは別の認定基準が必要である。
  • しかし、95年の和解では、大人の基準を胎児性患者にあてはめたため、医療手帳にならなかった。
  • しかし、本来の認定基準では、小児性と胎児性向けに別の基準があるから、認定になった。

また、2人の認定について

  • このような重症な患者が今になって発見されているなんて、悔しい。
  • こんなことでは、他にも患者が多数存在する可能性がある。
と述べておられた。


<潜在患者を探すか、探さないか>

 この2人に認定申請を勧めたのは、2人の地元にある「水俣病出水の会」という鹿児島の未認定患者団体。95年の和解の内容に異議を唱え、行政訴訟を起こす一方で、埋もれた患者の発掘にも力を入れている。
 95年の和解では、約13000人が認定申請を取り下げた。高齢者なら260万円の一時金や月数万円の医療費で一安心かもしれないが、胎児性や小児性という若い患者にとっては別だ。和解では、大人の基準しかなかったため、月7500円の鍼灸費しか出ない人が多く出た。これでは、とても生活できない。親が生きている間はなんとかなるかもしれないが、窮地に陥るのは時間の問題だろう。

 水俣病の認定業務は、県が窓口である。「なんで体がこんなに弱いのだろう。手足の感覚が鈍いし、味も分からなくなってきた。あ、これが水俣病なんだ。親兄弟と一緒だ。私も魚をたくさん食べたから。これから、どうしよう」と自覚した人が、県に書類を出すことで、認定審査が始まる。県は潜在患者の発掘をしようとはしない。申請を待つだけ。窓口が用意されているのだから、わざわざ探しに行く必要はないということである。

 今回の2人は、「あんたは水俣病に間違いないから申請しなさい」と勧めてくれる人があったから、申請手続きをした。勧めてくれる人がなかったら、老親は申請なんぞ思いもよらず、ただ、子の行く末に心を痛め続けていたことだろう。認定されれば、チッソから補償金が入り、年金や医療費も出るから、とりあえずは一安心である。でも、もし、申請しなかったら、申請しても認定されなかったら・・・(そういえば、この2人が認定された際、12人が棄却されている)。おそらく、生活保護などの福祉の予算が異常に嵩んでいくことだろう。

 潜在患者の救済を、福祉予算でまかなうことは、良いことだろうか? 福祉予算の対象となるべき人々がはみ出ることになりはしないか? 税金を投入してでも潜在患者を発掘して認定し、チッソに補償させる方が、県の税金の使い方としてもふさわしく、公共の福祉にも適うと私は思うのだが。補償金のせいでチッソが倒産するかどうかの心配は、県ではなく、国のレベルで考えれば良いことである。県の福祉予算を投入する話ではなかろう。
 潜在患者が多数存在するだろう熊本県と鹿児島県では、県民投票をして、県民の意思を問うてみたらどうだろう。チッソに負担させるのか、県の福祉予算を使うのか。

 次回の水俣病事件研究会は、2002年1月12、13日に行われることが決まっている。会場は未定であるが、熱き討論が繰り広げられることだろう。






 
●やまなか・ゆき
大阪市立大学大学院経済学研究科在学中。市大自主講座実行委員。同大理学部・木野茂講師が自主講座を発展させて開設した全学共通科目「公害と科学」をサポートするとともに、水俣病関西訴訟問題や香川県の豊島問題にも関わっている。木野茂氏との共著『水俣まんだら−聞書・不知火海を離れた水俣病患者』(るな書房)を出版している。
最近、ひっそりと放映されることが多い公害・薬害・産廃・労災などテレビの環境問題系ドキュメンタリーが「いつ」「どこで」放映されるかの情報を提供することを目的にホームページを開設した。
 *http://homepage2.nifty.com/yukidon/index.html