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《ルポ》水俣病関西訴訟控訴審勝利へ連続集会

依然続く"58人の認定への闘い"

【寄稿(文・写真):山中由紀


テレビクルーも入る中で議論は伯仲
会場風景
1995年に村山内閣が示した最終解決策に1万人以上の人々が乗り、裁判を止めたり、水俣病の認定申請を取り下げたりしました。そんな中、関西在住の58人は「自分達58人の症状が奇病ではなく水俣病だと認めて欲しい」「国と熊本県は、落ち度があったことを認めて詫びて欲しい」「漁が出来なくなったから関西に出てきて必死に働いていた。提訴が遅いといって12人を門前払いにした一審判決は酷すぎる」ということで、病身ながら控訴審を続けてこられました。 2001年度中と予想される判決を前に、「がんばれ!チッソ水俣病関西訴訟 控訴審勝利に向けて関西連続集会」として、昨年年12月、奈良(9日)・兵庫(10日)・京都(16日)・大阪(17日)と4ヵ所で連続的に集まりがもたれました。以下は大阪集会のルポです。


◇  ◇  ◇


大阪での会場は天満橋のドーンセンターという、女性が申し込むと料金が安くなる公立施設。センターに入った途端、いきなり歌声が聞こえてきました。水俣の柏木敏治さんのコンサートの最中でした。受付で貰ったチラシを見ると、午後1時開始と書いてあったので、30分も遅刻したようですが、講師である浴野成生(えきの・しげお)さんの講演が始まったのは14時10分。その前には弁護団の永嶋里枝さんによるお話が10分ほどありました。コンサートの前には新作ビデオ「45年目の水俣病−関西在住患者は今」の上映があったそうで、その頃は寂しかったようですが、結局、聴衆の数は小雨模様にもかかわらず80人ほどに膨らみました。





「証人・浴野教授の頼もしいところは“データを自ら出して実証する点”」

<永嶋里枝弁護士の話>

テレビクルーも入る中で議論は伯仲
永嶋里枝さん
関西訴訟が提訴して18年。原告団、医師団、弁護団、支える会、みんなが年をとる中で、ひょっとしたらいちばん意気軒昂なのが原告ではないかと密かに思っています(笑)。

原告の健康障害とメチル水銀暴露の間には因果関係があることを、裁判所に分かってもらいたいのです。四肢末端の感覚障害を持つ人が、不知火海沿岸に多発していることは、井形昭弘さん(被告側の医学証人)も「常識」だと証言しています。ただ、四肢末端の感覚障害は他の原因でも起きるから、水俣病ではないと主張してくるのです。でも、そんなことはないのです。

浴野先生達は、メチル水銀入りの魚を食べた漁村と、食べていない漁村で検診をされました。同じような食生活、同じような年齢構成の漁村が、宮崎県にあったのです。四肢末端の感覚障害の持ち主は、メチル水銀入りの魚を食べた漁村の人達の65%を占めていましたが、そんな魚を食べていない人達の中には1%しかいませんでした。この違いは、メチル水銀しか考えられません。

私が浴野先生に初めてお会いしたのは1996年で、控訴審が始まる前でした。浴野先生はメチル水銀中毒の海外文献を私達に紹介し、メチル水銀は大脳皮質を障害すると考えられていることを教えて下さいました。それは、実は被告の主張に似ていました。被告は、大脳皮質の障害がメインで、末梢神経の障害はサブと主張していたのですが、私達は末梢神経の傷害こそメインだと主張していました。いろいろと勉強した末、浴野先生のおっしゃる通りだと納得し、控訴審では大脳皮質障害説に転換しました。すると、被告も主張を替え、大脳皮質と末梢神経は同じように障害されている!と言い出しました。

浴野先生は、海外文献を紹介されるだけではなく、自分でデータを出して実証しようとされているところが凄いのです。私は浴野先生の証人尋問を担当しました。尋問のために法廷へ入る前、階段で、「浴野先生!」と話し掛けて黙りました。すると浴野先生は「今、私と心中する気でいると言おうとしたでしょう」と言われました。大当たりでした。私はよほど悲壮な顔をしていたのでしょう。浴野先生は「そんなたいしたことではないですよ」と、お得意のテニスに出かけるような雰囲気でした。



「科学を信頼し、裁判長の理解力にかけよう」

<浴野成生さん(熊本大学医学部教授)のお話>

テレビクルーも入る中で議論は伯仲
浴野成生さん
私の証言は、証拠と論理で構成されています。科学に信頼を持って下さい。あとは、裁判長の理解力にかかっています。 これからOHPでお示しします。たくさんありますし、見にくいこともあるでしょうが、これは私が正しいと思ったものばかりです。私が示して分からなかったとしても、浴野が証拠を示していると思って、聞き流して下さい。分からないとは思わないで下さい。

メチル水銀中毒研究のメッカは水俣病のお膝元の熊本大学かと言うと、そうではありません。魚を食べると脳に水銀が溜まります。食べない方が良いのではないか、特に妊産婦さんは!という恐怖感に駆られて、世界では膨大な研究が進められています。そして、メチル水銀は大脳皮質を障害するというのが、世界では普通です。つまり、日本では鎖国が終わってなかったようなものだと言えるでしょう。

原田正純先生達が調べたへその緒の水銀値をグラフにしてみました。すると、水俣病の劇震地と言われる湯堂や茂道よりも、水俣の対岸にある御所浦島(ごしょううらじま)の方が、水銀値が高かったのです。とても驚きました。私達が調べたのは御所浦島の大浦という地区です。そこには水俣病だと認定されないけれども、四肢末端の感覚障害を持つ人がたくさんおられました。435人中71人には毛髪水銀値のデータがありました。見舞金契約が結ばれた後、熊本県の衛生研究所が測るだけ測って測りっぱなしにしていたのを、宮澤信雄さんたちが発掘してきたデータです。71人の最高値は35ppmでした。日本の基準は50ppmです。下回っているから大丈夫だと言われていたのです。

彼らの症状がメチル水銀の影響かどうかを明らかにするために、メチル水銀以外の条件が同じ漁村を探しました。不知火海から魚が泳いで行かないところ、水銀で海が汚染されていないところ、年齢構成が同じところ、職業に関係なく食生活が同じところ(僻地だと食べ物を分け合うから、散髪屋さんも漁師も同じ物を食べる。大浦も同じ)。この難しい条件をクリアしたのが、宮崎県の市振(いちぶり)という集落です。男性の方が水銀を取り込みやすいと言う論文があるので、男女比が一定になるようにして、健康診断も兼ねて、検診をさせていただきました。 私は1992年から93年にかけて、海外の水銀中毒の文献をすべて読み、それから市振(いちぶり=宮崎県)に出かけて、成果を論文発表したのが1996年です。手袋ソックス型(つまり、四肢末端優位)の感覚障害は、市振には1人しかいませんでした。

また、新発見もありました。二点識別覚といって、たとえば手の平を2ヵ所同時に突っ突いて、二ヵ所突っ突いているかどうか分かるかどうか、二ヶ所の距離を変えてやってみる検査があります。5mmの距離でも普通の人は分かるのです。市振の人もわかりましたが、大浦の人は分からないのです。手足だけではなく、舌の二点識別覚も検査してみました。舌の二点識別覚がおかしくなる病気というのはないのですが、大浦の人達は普通ではありませんでした。これは明らかに水俣病です。今は、このことを論文にまとめている最中です。 感覚は、言ってみれば、4つの駅を経由して知覚します。感覚が鈍いということは、4つの駅のどこかがおかしくなっているということですから、どの駅がおかしいのかを調べるのが、科学です。鉄道に例えて言えば、普通は上り(感覚神経)も下り(運動神経)もダメになるのですが、水俣病では上りだけがやられて、下りはOKなのです。だから、運動マヒがないのです。ハンターとラッセルの論文もそのように言っています。

私は頭が悪いので、一から自分で全て読んでみました。最初は、運動神経もやられていると書いてありますが、後の論文で運動神経はOKだと訂正しています。エライ先生達は、最初の論文しか読んでいないので、運動神経もやられていると言うのです。関西の患者さんも阪南中央病院の検査によると腱反射があります。運動神経がやられていないから、腱反射があるのです。これは医学的に言えば、末梢神経が無事ということでもあります。 水俣病の治療は、リハビリです。脳溢血の患者がリハビリで回復しているのを見ても分かるように、脳はリカバリーできます。個人の努力で良くなるのです。外から分からない程度には回復できます。でも、見えても動くものへの対応が遅いのでぶつかりやすい、聞こえても早口は分かりにくい、などの苦労があるのです。 来年の4月から、このことを熊本大学の教養でレクチャーします。




河内音頭で盛り上り、ハイヤ節で締める

そして、アイリーン・スミスさんにマイクがまわりました。「発見の旅をして、一生懸命になっている姿。ここでやるんだ!という姿。自分には何が出来るのかを、永嶋弁護士と浴野先生、お二人の姿を見て、考えることが出来ます。ハンターラッセルの論文を、ちゃんと読んだことがあるのか。何が本物で偽物か、これを自分で発見して、みんなを説得すれば、本物は輝いているから、みんなもそうだそうだと言ってくれると思います」。 その後、来春に予想される判決に向けての署名活動について、来年1月15日が第二次の集約日であることのアピールがなされた後、5分間の休憩となりました。休憩の間、岩波新書の『証言・水俣病患者』にも出てくる仲村妙子さんの息子さんは、原告の坂本美代子さんに「あんたがかね」と懐かしがられていました。彼自身は「僕はその頃まだ中学生だったので、あまり〜」と照れておられましたが。

休憩後は、出席されていた原告全員が、正面に居並びました。全15人、うち女性が11人。代表して2人の原告が挨拶されました。まず、一審の原告団長の長女で、現在は原告団の会計を務めておられる小笹恵さんが「雨の中、ありがとうございました。浴野先生の話を聞いて勇気づけられました。胸を張って法廷に立とうと思います。勝っても負けても意義のあることだと思っています」。次に副団長の岩本章さんは「裁判を始めて18年、水俣病を発病して36年。裁判は必ず勝ちたいと思っています。一審はパーセントの判決で残念でした」。後で聞くと、小笹さんは自分が挨拶する羽目になるとは予想していなかったそうです。いきなりの挨拶とは思えない、とても立派な挨拶でした。

次は河内音頭。和太鼓にのって水俣病事件を河内音頭で語るといいますか、知る人ぞ知るの大阪名物です。ただ、今回は念がいっていて、「えんやこらせぇ〜〜、どっこいせ〜」と「そ〜ら〜よ〜〜い、どっこいさ〜、さ〜の〜よいの〜さっさ〜」というアイの手の入れ方の練習から始まりました。この音頭は15分ほどの長さで、手拍子まであるので、けっこう疲れます…。

テレビクルーも入る中で議論は伯仲
柏木敏治さんのコンサート風景
お次は、柏木敏治さんのコンサート(後半)。全部で5曲、水俣弁の歌も交えておられましたが、4曲目の「春の汽車は遅い方が良い」では、スライドで風景が映し出されるという趣向でした。

司会の方が、「全員が水俣病と認められるような判決が欲しいです。今回は、原告の皆さんには水俣弁が懐かしいかなと思って、柏木さんに来ていただきました。そして、大阪だから、河内音頭。最後はハイヤ節で締めたいと思います」ということで、歌・柏木さん、手拍子・全員、和太鼓付きで、賑々しく閉会しました。



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チッソ水俣病関西訴訟につきましては、下記のHPをご覧ください。
新作ビデオ「45年目の水俣病」の案内や署名活動の説明が載っています。
http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/






 
●やまなか・ゆき
大阪市立大学大学院経済学研究科在学中。市大自主講座実行委員。同大理学部・木野茂講師が自主講座を発展させて開設した全学共通科目「公害と科学」をサポートするとともに、水俣病関西訴訟問題や香川県の豊島問題にも関わっている。木野茂氏との共著『水俣まんだら−聞書・不知火海を離れた水俣病患者』(るな書房)を出版している。
最近、ひっそりと放映されることが多い公害・薬害・産廃・労災などテレビの環境問題系ドキュメンタリーが「いつ」「どこで」放映されるかの情報を提供することを目的にホームページを開設した。
 *http://homepage2.nifty.com/yukidon/index.html