● もやい直し

関係性の修復の意。もともとは、たとえば漁船と漁船を綱でつなぐことを「舫い」と言い、そのもつれを直すことを「もやい直し」と言う。 直接的には、緒方正人さん(漁師・水俣病患者)が「本願の会」発足の議論の中で使った言葉で、 文字として記録されたのは水俣病センター相思社が発行している機関紙『ごんずい』(22号。1994年5月25日号)に記載されている。 新生・水俣市のキーワードを求めていた市も使い始め、公式の場では吉井正澄市長(当時)が1994年5月1日の水俣病犠牲者慰霊式で初めて使った。








































 

● 菜根譚 (さいこんたん)

中国・明の末期の洪自誠(こう・じせい)の語録。2巻から成り、前集(222条)は仕官して人と交わり、職務を処理し、臨機応変の道を説いている。後集(134条)は主として隠退して山林に閑居する楽しみを説いている。 思想的には儒教を中核に、仏教や道教も取入れたもので、東洋的人間学を述べた書。書名の「菜根」は宋の汪信民(おう・しんみん)の「人常に菜根を咬みうれば、すなわち百事なすべし」から。

吉井さんはこの中から―

         風来疏竹 風過而竹留声   
         雁度寒潭 雁去而潭不留影
         故君子事来而心始現 事去而心隨空

―の部分の 事去而心隨空(事去りて したがって心むなし(空))を取上げたが、「空」は「色即是空」の空と思われ、深い意味を持つ言葉であり、ただ「むなしい」と受取られては未練だということになりかねないので、「静」とした、としている。

【この項、吉井正澄氏解説】







































 

● 川本輝夫 (かわもと・てるお)

水俣病患者運動のもっとも著名なリーダー。水俣病闘争の顔と言われた。とくに未認定患者のための運動に注力した。 1931年、水俣市月浦で5人兄弟の末っ子として生まれる。父と4人の兄はすべてチッソ勤務。1955年頃、自身が発病。65年には劇症の父を看取る。 68年認定を申請するが棄却され、70年の再棄却に対する行政不服審査請求を経て、71年、棄却処分取消の環境庁裁決を経て認定される。 その間、独力で勝ち取る。チッソとの自主交渉の道を選び、1年8ヵ月に及ぶ東京本社前に座り込んだり、多彩な運動をリードした。 73年、チッソとの補償協定に調印したが、以後も数多くの裁判を起こし、未認定患者のための運動を続けた。 83年には水俣市会議員に当選し、議員バッチはしない、長時間の質問などで議会を“活性化”させた。99年2月、肝臓ガンで死去。

夫人のミヤ子さんは今年から水俣病資料館の語り部として活躍。








































 

● 羅漢の和 (らかんのわ)

羅漢(らかん)は阿羅漢(あらかん)の略称。仏教において、究極の悟りに到達し、人々から尊敬・供養を受けるにふさわしい境地に至った者を言う。

ここでは、吉井正澄さんは、哲学者・梅原猛氏の著書『森の思想が人類を救う』の中の、「羅漢の和」という言葉から引用した。 梅原氏は、仏教の中で最も自由を強調する禅宗では、何物にもとらわれない完全な自由人で、いかなる状況にも対応できる人間として取り上げている。 羅漢は個性豊かで、それぞれ異なった人間だとも言われ、その自由で個性的な羅漢が、ある一つの基本的な点で和する、そいう社会が理想社会である、としており、翻って水俣市民も自由で個性豊かな羅漢を目指して自己研鑚を積み、その上で平和と福祉の増進という基本点で、全員が和することができるものでありたいという願いから引用したもの。 

【この項、『続議員人生あれこれ』から】