<なぜ書くか>
西川は、化学企業で働いているから、仕事だから、「環境ホルモン問題は、問題ない」と言っているのだろうと聞かれることがある。この点の説明から始めたい。なぜこの問題に私は情熱を傾けているのだろうか。それは、仕事、正義感、楽しいからの3つのためだろう。
<仕事、生活のため>
仕事のためであることは確かである。少なくともきっかけはそうであった。環境ホルモンに関する私の仕事は2つに分かれる。ビスフェノールAなどの個別の製品に関する対応と環境ホルモン問題全般に関する検討である。前者は100%仕事のためである。しかし、後者は仕事のためだけで行っているのではない。
後者の中心は
「環境ホルモン問題は、何が問題か」を執筆することである。この論文は私の検討結果、意見であって、会社の見解ではない。論文中にもそう断っている。しかし、他人はそう受け取らないだろう。会社との関係は微妙である。幸い、私の論文は好評なので問題は生じていないが、もし、内容が間違っていたりして会社に迷惑をかけることになったら難しいことになろう。仕事だけが目的だったら、(その1)だけで終わりにし、(その2)以降は書かなかったかもしれない。
<正義感、使命感から>
環境ホルモン報道にはフェヤーでない点がある。フェヤーでないのがメディアだけならあきらめるが、研究者の説明自体がフェヤーでないのが嫌なのだ。大きな目的のためには、そして、多くの人の注目を集めるためには多少のアンフェヤーはやむ得ないと考えているのだろ。しかし、そのために化学工業のイメージを悪くされてはかなわない。私は人間的に未成熟なのか、純真なところがあるので、アンフェヤーなのが他の人より気になるのだろう。
<楽しい、好きだから>
楽しさにも色々ある。私の場合は知的好奇心を満足できること、勉強することで化学品安全担当者としての力が付くところが楽しい。そう言う意味では、環境ホルモン問題は筋のいいテーマである。英英辞典を引くときのように、一つの疑問点を解決すると解決したが故に、2つの新たな興味ある検討テーマが出来てしまうから。
<立場の違う人も同じ>
はじめは仕事のためであったが、つぎは正義感が中心になり、今では楽しいからが情熱の源になっている気がする。
環境ホルモンは問題だと主張する人の場合も、同様であろうと想像する。正義感で運動しているように見えても、生活がかかっていなければ長続きしないだろうし、好きでなくては良いアイデアは浮かんでこないはずだ。
<勇気がいる>
危険だと主張する人、安全だと言う人が、お互いに相手の痛い点を指摘し合うことが、安全性を高めるために重要と思う。どちらか一方だけでは進歩しない。危険だという人はたくさんいる。しかし、安全だと説明できる人は極めて少ない。だから、私の存在価値は大きいはずである。
安全と言うのは勇気がいる。十分な検討に裏付けられた自信がなければ言えないからだ。危険だという人の100倍勉強しておかないと安全だとは主張できないように感じる。
<研究者との違い>
「研究の緒についたばかり。まだ、結論らしいことは何も言えない。」「問題かもしれないと言う可能性は否定できない」「グレーだ」と研究者はおっしゃる。一方、企業の製品安全担当者は、その時点で利用できるデータだけで、安全か否か(販売してもいいのか否か)を判断しなければならない。研究者と製品安全担当者の役割の違いを感じる。製品安全担当者が研究者の真似をして、「研究の緒についたばかりだから、、、」と言えば、逃げたことになるのではなかろうか。
<私は川が好きだ>
土曜日は、午前中は図書館、午後は絵画教室で過ごすことが多い。絵画教室に行く途中、大岡川を渡る。橋から川を覗くと底が見える。泳げるのではないかと思うほどきれいだ。
昔に比べて水質は良くなった。しかし、一層の改善を行うべく新しい視点で見直してみよう。環境ホルモン問題は、そういう問題だ。環境は悪化している、人類の生存が脅かされる問題だと言う人は、この30年間の環境改善努力を知らない人であろう。
<得する人、損する人>
環境ホルモンが大騒ぎになって得する人は誰で、損する人は誰なのか。得をする人は誰かは容易に推定がつくからここでは触れない。損をするのは誰だろう。
化学企業は損をするわけではないと思う。環境ホルモンだと話題になっている製品の販売量は少し減少するだろう。しかし、代替品も化学製品だ。代替品の方が値段は高いはずだから、化学工業全体から見ると売上高は増えるにちがいない。化学工業のイメージが低下するのは痛い。しかし、政府が3年間で約300億円という多額の予算をとって、安全性データを整備してくれるのは有り難い。差し引きすると得をしているように思う。
いったい誰が損をするのだろう。誰が何を損するのか、そこに本当の問題点がある。私の論文のタイトルである「環境ホルモン問題は、何が問題か」には、そういう気持ちも込めている。
<マスメディアの限界>
環境ホルモンに限らず、メディアの論調は全て同じであることが多い。60年前は軍に強制されたのでやむ得なかったと聞いている。しかし、現在はそれを理由に使えない。
個性が大切と言われるが、メディアに限らず個性を発揮することは難しい。センス(個性)を磨き、発揮するためには、金もかかるし努力も必要である。幾つもの面で個性を発揮するのは無理である。
それにマスメディアの場合は多くの購読者を集めなければならない。小選挙区での候補者のように、当たり障りのないことしか言えないのだろう。
<インターネットに期待する>
インターネットが普及してきた。≪さうすウエーブ≫のように私の論文を掲載してくれるものもある。マスメディアの個性のなさをインターネットが補う時代になってきた。これからはマスメディアの比重が低下し、インターネットの役割が増してくるであろう。しかし、インターネットにも問題がある。ホームページの数が増えすぎてどれを見ればいいのかわからない。必要な情報を探すための時間がかかりすぎる。だから、いくつものホームページを見るわけにはいかない。お気に入りを決めなければならない。それを≪さうすウエーブ≫に期待したい。
|
|