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| ◇1932年 | | 東京に生まれる |
| ◇1956年 | | 東京大学応用化学科卒業 |
| | | 日本ゼオン(株)に3年間勤務した後、東京大学大学院工学研究科応用化学専門課程に戻り、プラスチック溶融体の流動特性を研究 |
| ◇1959年 | | 水俣病の水銀説を聞き、個人的に調べ始める。大学院博士課程は土木工学科に進む。 |
| ◇1965年 | | 新設の東大工学部都市工学科の助手に就職 |
| ◇1966年 | | ミュンヘンの国際水質汚濁防止会議で新潟の第2水俣病について発表。翌年から新潟水俣病の被害者が提訴した民事訴訟に弁護団補佐人として加わり、公判廷尋問で活躍 |
| ◇1968−69年 | | WHO(世界保健機構)上級研究員としてヨーロッパの公害を調査、オランダでは酸化溝による下水処理を研究 |
| ◇1970年 | |
水銀問題の紹介によりフィンランド自然保護協会大賞を受賞
同年、東大に帰任してから、公害の研究・調査結果を市民に直接伝える場として、自主
講座「公害原論」を開講、以後15年にわたる自主講座で環境問題の市民学習運動を組
織し、環境科学研究の促進への強い刺激を与える一方、市民の手による公害監視運
動、被害者救済・支援活動、企業の"公害輸出"を阻止するなど全国の公害反対運動に
対するサービス・情報ネットワークを築いた。今日、全国の大学が公開講座を催し、市民
へのサービスと大学自身の活性化を図ろうとするのは、宇井純自主講座の成果に学ぶものといえる
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| ◇1979年 | | アジア環境協会を再組織して会長に就任 |
| ◇1982−83年 | | フルブライト研究員として米ミシガン州立大に留学 |
| ◇1986年 | | 東大助手(21年間)を退職、沖縄大学教授に就任 |