オペラなんて大っ嫌い−という人たちへ   小池−大勝 対談 BACK>>




小池 哲央さん(右)
(沖縄県立芸術大学音楽部教授)

大勝 秀也さん(左)
マルメ市立歌劇場音楽監督主席指揮者)

司会・構成  誉 礼


――実は、このメニューでオペラを取り上げることになった時、ある程度は予想したものの、意外にアンチ派の声が強いのに内心驚いています。もちろん、いわゆる食わず嫌いの人もかなりいるわけですが、今日は海外生活・経験の豊富なお二人に、海外との比較も含めてお話を伺いたいと思います。 まず、大勝さんは今回短いお帰りの時間の中でいろいろな層とクラシック、オペラを通じて接触されていると思うのですが、いかがですか。
市民合唱団と《 第9 》で盛り上がる
大 勝たまたま昨夜(7月19日)、冒頭ご紹介あったご意見の方と同じ町だと思うんですが、埼玉県の和光市のサンアゼリアというホールの5周年記念で、周辺の志木、朝霞、和光、新座の4市の市民合唱団約200人くらいの人たちとベートーヴェンの《 第9 》をやらせていただきました。私もいまなお興奮さめやらずという感じですが、大体年齢構成は男性が50人くらいで、90%が50−60才の方だったと思います。失礼ながら、クラシックだめ、譜は読めない、ドイツ語もはじめてという方がほとんどのようでしたが、実に素晴らしい合唱をしてくれましてね、感動しました。終わってからの打ち揚げでも、涙を流して、盛り上がりました。曰く「こんなにクラシックがいいと思わなかった」「火事場の馬鹿力って知ってますか」「指揮者って近寄り難い存在と思っていた」などなど、いろいろなお話を聞きました。近々(7月30−8月2日)二期会の《 フィガロの結婚 》(モーツァルト)も振ることになっているんですが、おかげでそのメンバーがたくさん来ていただけるようになりました(笑い)。 なにがいいたいかといいますと、日本の場合、結局コミュニケーションといいますか、普通、指揮者はあまり行かないんですが、私は4回出まして、かみくだいたお話しをして練習したんです。それがみなさんの食わず嫌いを少しでも和らげていったんだと思うんですね。したがって、日本の場合、オペラ嫌い、クラシック嫌いの相当部分はその辺にあるのではないかと最近思いはじめています。
――小池先生は、他に例を見ない、一大学と外国のプロが一緒になって、しかも海外でオペラをやるという大事を目の前にされているわけですが、アマチュアの合唱団と芸大の学生さんを比較するのもいかがかと思いますが、いかがですか。
オペラは演奏者・観客が一体となる祭の場だ
小 池いまの火事場の馬鹿力、そういう体質は確かに日本にありますね。日本あるいは日本人のいいところではありますが、私はそれが過ぎると、ちょっと気持ち悪いと思ってしまうんです。これは、別の表現をすれば集団と個という問題でもあるわけです。ただ、アマチュアという言葉が出ましたが、オペラの世界でも日本には本当のプロはごく一握りにすぎません。 それと、反応の中に(オペラは)高いというご指摘もありましたが、それは率直に事実として認めますが、それ以前の問題として、たとえばヨーロッパの連中は着飾って楽しむことというのは、ある意味でしょっちゅうやってるんですね。日本は、3万円か5万円かは別として、そういう値段じゃないと感じないというか、なにか錯覚している部分が多いと思いますね。(金額が)高ければいいもので、安いのはランクが低いと短絡しがちな雰囲気があります。あえて誤解を恐れずに申し上げると、欺瞞です、それは。オペラでいえば、日常から脱却した場、それが舞台なんですが、観客のみならず舞台に上がっているものも、その決められた空間によって感じるということは絶対必要なんです。とにかく(オペラは)祭なんですから。劇場とはそういうテンションになるところ、空間なんです。そこのところをやや履き違えておられるんじゃないでしょうか。でも、日本人って欧州では考えられない、凄いエネルギーで凄いことしますよね。
大 勝5000人の《 第9 》とか。
小 池いいところではあるが、もう少し生活の中にそういうものを入れようという時に、そのエネルギーがどのくらい通じるか、続くかということが本当は大切なんですね。ただ、これは日本の社会機構につながっていく問題です。
大 勝週休2日の浸透とか、残業とか。
高価がいいものという欺瞞が白けさす
――白々しいということにはどうですか。
小 池3万とか5万だから普通じゃないからいいという、そういう欺瞞がクラシックやオペラの白々しさにつながるんではないでしょうか。正直言って、私も日本の劇場のロビーとかの雰囲気は大嫌いです。ブランドものが氾濫してたり…。生活の場とつながればそれでいいんですが、どうもそうは思えない。
――ということは、小池先生も白々しさを感じている?
小 池その点ではね。ですから、2000円とか3000円とかで、そこそこのものが見れればいいんですよ。しかも、文化庁のなんとかでなく、いわばおらがオペラとかで。大勝君がやってきたようなことがもっと日常茶飯事になればいいですね。
大 勝要は、日常生活の延長にオペラやクラシックがないんですね。特別なものなんです。
小 池クラシックは日本で生まれたものでないだけに違いがあるかもしれませんが、たとえばドイツの凄いところは国で(オペラを)支えるんですね。国でやるということはいうまでもなく国民の納める税金でやるということです。政治絡みの問題なんです。たとえば、音楽監督にしても国民の人気次第で首がすげ替えられるんですよ。
日本はTVの多様性が伝統文化の発展抑える
――大勝さんの場合、スウェーデンという日本とは大部生活慣習の違うところに腰を据えているわけですが。
大 勝こんど帰ってきて痛感したんですが、日本の人がヨーロッパの連中が劇場へ良く行くのと同じように歌舞伎や寄席にいくかというとそうではありませんよね。なぜか? テレビの多様化ですね。あれだけ揃っていたら、わざわざそれこそ高い金払って出掛けなくてもいいわけですよ。たとえば、スウェーデンだとテレビ番組がそんなにバラエティーに富んでいませんから、長い夜をどう過ごそうかとなると、映画に行こうか芝居に行こうか、オペラ見に行こうかということになるわけです。で、私は日本人に欧米並みに劇場へ足を運ばせるのは難しいのではと最近は思っています。
――ちょっと悲観的ですね。
維持し発展させたい伝統文化
小 池とにかく日本のメディアの発達は凄いですよ。
大 勝それは紛れもない事実ですが、日本にも伝統文化はあるわけですから、それをキープする、発展させる努力をしないとだめですよ。
小 池その辺が文明と文化の違いじゃないですかね。
――もう少し具体的に。
小 池見えなくても伝わるものが文明であり、見える形で伝わるのが文化だと思うんです。無駄だけど無駄なためにやる。日本人独特の考えであり、特性だと思うんですが、これを意識して積極的にやることが必要です。
大 勝ドイツ時代に、ドイツ人から「なんでそんなに勉強するのよ」といわれました。面白いんですよ、ドイツ語なのに彼らは譜を見る。日本人はドイツ語なのに暗譜で唱う。それが日本人であり、ドイツ人なんですね。スタートが違うから、日本人は彼らの10倍頑張らなければだめだという思い込みでやってきたわけです。ただ、彼らの中にも日本語勉強している人なんか「おい秀也、ユウウツって字書けるか」って聞いてきますよ。書けないっていうと、こうだよと逆にやられる時もあります(笑い)。
サッカーでも日本には「個」がない
――オペラ大嫌いから少し外れてきましたが(笑い)、さきほど小池先生から「個と社会」という言葉が出ましたが、大勝さん、これに関しての実体験いろいろおありでしょう。
大 勝山ほどありますね(笑い)。たとえば、指揮してよく解るんですが、向こうはみんながウァーとやりたいのを、まあまあ君抑えて、彼出したいからというような形で作っていくんですが、日本はちょっと出してよ、出てよ、もっと出そうよという形なんですね。団体の中の個なんです。そこいくとドイツなんか出方に個があるんですが、日本はあっ誰か出たな、じゃ俺もという感じですね。先日のワールドカップも見ましたが、日本人はサッカーでももっと自分を主張していいのでは。確かに約束事はこうだったけど、こういう展開になっちゃったからシュートしちゃったとか、ないんですよね。
小 池ペレがスポーツ紙に書いているんですが、日本はファンタジーノ、想像力あるプレーをすべきだと。創造力とは、先を読んでそこに行くのではない、こないところに行くんだというんですね。科学者もそうですよね、ファンタジーというか直感でいろいろ発見したり、ひらめいたりしたんだと思うんです。確かに、中田や城は昔の世代に比べればまったく違う可能性を秘めているとは思いますが、簡単にいうと自由な中で勝手にやってるだけで、ファンタジーに欠けてると思います。実は、音楽もファンタジーなんですよ。オペラもそういう感覚で見ていただくとこれまでとは違うものに見え、感じると思うんですが。
――やっと、話しが戻ってきた(笑い)。
日本人の個性は白すぎる
大 勝個性があまりにも白いんですね、日本人は。誰も思いつかないことをやりたいという発想が乏しいのではないでしょうか。たとえば、本題のおじさんたちにいかに(オペラについて)興味をもってもらうかは、指導者なり、指揮者がかみ砕いて話すことで相当変わります。冒頭のケースにしても、指揮者って年の人だと思っていた、37才か大勝さんは。といわれて融合しました。
――そろそろ、まとめに入りたいのですが、日本においてよりオペラが大衆の身近なものになるためには、より親しまれるにはどのようなことが考えられますか。
失楽園やフーテンの寅さんをオペラにしたら
大 勝たとえば、『 失楽園 』をなぜオペラにしないんですかね。『 フーテンの寅 』なんかにどうして目を向けないんですかね。オペラなんて浮気とか、不倫とかのストーリーが多いんですよ。なぜ、日本のオペラは難しいというか、くそ真面目なんでしょう。そういうふうに考えていただければ、オペラに親しみをもっていただけるんじゃないでしょうか。スウェーデンで私の友人のスウェーデン人がちょうど例のペルーの日本大使館の占拠事件とダブってしまったんですが、ストックホルムで実際に起こった人質と立てこもる事件で、後にストックホルム症候群といわれた事件に材を取ったオペラを作曲したんです。評判をよびました。日常の中にオペラのネタはいくらでもあるんですね。だから、大嫌いという人もそういうものが上演されれば親近感をもってくれると思いますが。
演歌に欲しいクリエーティブ性
――小池先生は、車の中で演歌なんかも聞いておられますが、演歌とオペラどうですか。
小 池演歌の前に、いま大勝君が指摘した社会問題との関わりということですが、欧州には音楽を通して社会的問題として投影出来るような状況があるんですね。日本の場合、どう結び付けるかということだと思うんです。そこで、演歌ですが、一口で言いますと、演歌は愚痴のたれ流しなんですね。そこにはクリエーティブなものがない。発展性がない。演歌を悪いとは思いませんが、社会への訴えかけがあればいいんじゃないでしょうか。私が聞くのは、この頃、五木ひろしや都はるみは声量が落ちたな、筋肉が落ちてんだなという、ジャンルは違いますが、歌い手として他山の石にしているわけです。それにしても美空ひばりは別格でしたね(笑い)。
――なんとか落ちがついた感じですが、要はクラシックにしてもオペラにしても日本オリジナルなものがでてこないと、多くのみなさんからオペラっていいもんだなという評価は得られないんじゃないでしょうか。このテーマは、いずれ取り上げたいと思っています。ありがとうございました。



プロフィール


●小池 哲央 (こいけ てつお)
沖縄県立芸術大学音楽部教授。
1946年、群馬県生まれ。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。
高校の音楽講師を経て、73年に西独フライブルク市立歌劇場と歌手契約、バイロイトの ワーグナーフェスティバル合唱団、フライ ブルグ市大聖堂合唱隊ボイストレーナー、同市立歌劇場ソリストなどを経て86年帰国、二期会 オペラスタジオ講師(95年3月まで)を経て、91年沖縄芸術大学助教授、96年教授に。今回の キプロス合同公演の実質責任者としての任を果たす。演奏活動のほか企画、演出、構成なども幅 広く手掛ける。二期会会員。


●大勝 秀也 (おおかつ しゅうや)
マルメ市立歌劇場音楽監督主席指揮者。
1961年、東京都生まれ。東京音楽大学指揮科卒業。
日本オペラ協会で下働き7年の後、88年渡 独、ボン・オペラ劇場の無給研究生となり、音楽監督デニス・ラッセル・ディヴィス氏に師事。 89年に《 アイーダ 》の指揮でデビュー。91年からゲルゼンキルヒェン市歌劇場、94年にはボ ン・オペラ劇場の第一指揮者に。その間、世界的な歌手との共演、コンサート活動を行い、ヨー ロッパ各地のオーケストラに数多く客演、96年《 バラの騎手 》で大成功を収め、96年スウェ ーデン第3の都市マルメ市の歌劇場と契約。任期1年を残し、さらに3年間の延長契約を結んだ。 明年3月と6月にはNHK交響楽団の指揮をとることも決まっている。キプロス公演の《 フィガロの 結婚 》の指揮もとる。